をとこ冥利 5
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「永代橋、ですか」
永代の橋の真ん中やなんて、なんか運命的やねぇと話すのはどうでもいいらしく、手代達は若だんなが永代橋まで行ったことに不機嫌らしい。
仁吉も佐助も、露骨に顔にその不機嫌を出してしまうものだから、これまでおとなしくしていた振り袖の女子が、手代達に苛立ちを見せた。
「若だんなの兄さん方、普通と順番が逆やないのん? まずはうちんこと、尋ねるんが礼儀と違います?」
離れにあげてもらえたのはいいが、紹介もないまま、手代達はただ若だんな一人のことばかり。
客人は、これに腹が立ったらしかった。
言われて一太郎と佐助が申し訳なさそうにするのに対し、何故だか仁吉は隣に座るこの女子を、冷たく見下ろしているではないか。
(仁吉。そんな目をしちゃぁ、いけないよ)
若だんなに視線だけで注意されると「おや、これは失礼を」と、心にも思っていない様子で、仁吉は軽く頭を下げた。
「改めて紹介するよ。こちらは走芽(はしめ)さん。わけあって、上方から江戸に来られたそうだよ」
「走芽どす。若だんなの兄さん方、ごめんやす」
お邪魔しますときちんと頭を下げる走芽を、相変わらず仁吉だけが、冷たい視線で見つめている。
さすがに佐助も、もう一人の手代のこの態度はいただけないと思ったらしく、妖のなんたら……妖の意思伝達のようなもので相方を指摘した。
仁吉はすぐに佐助の視線に気づいたが、寸の間何やら思案した後、ぱっと顔を上げて、正面に座る若だんなに尋ねた。
「それで、若だんな。この方を何故長崎屋に連れて来られたんです?」
「それはうちの口から説明します」
若だんなが口を開く前に、走芽が進み出る。
それを見た仁吉が、色男に似合う微笑を口元に浮かべて走芽に言い寄った。
何やら悪そうな目つきをしている。
「では走芽さんとやら。説明いただく前に、ひとつ、あたしの質問に答えてくれませんか」
「何……」
言い寄られた走芽の顔に、瞬間嫌な予感が走った。
「あまりにも可笑しいので、言わせてもらいますよ。走芽さん、一体どうしてそんな格好をしてるんです?」
言われた走芽が、先程の店先と同じく手代の顔を思いきり睨み付けた。
何を言いだすんだと若だんなも仁吉を睨んだが、仁吉は相も変わらず微笑を携えたままで、言葉を続ける。
「黒は粋な色ですからねぇ。確かに、江戸で好まれてはいますよ。けれども、若い女子が、黒い振り袖なんぞ着ますかねえ? 葬式じゃ、あるまいし」
「何てこと言うんだい仁吉!」
堪りかねて立ち上がった一太郎だったが、勢いあまって、前のめりに転んでしまった。
(しまった!)と思った時には既に遅く、火鉢に触れることはなかったけれども、
「大丈夫ですか、若だんな!」
「火傷は? どこか痛めたのでは」
すぐ様手代達が駆け寄って、走芽のことも忘れたかのように、若だんなの無事を確かめる。
「仁吉、何してるんだい! 失礼をしておきながら、その上お客人の前でも私なんぞに構うなんて、無礼にも程があるよ」
佐助にも心配いらないからと、一太郎は手代二人を遠ざけた。
(これだから私は、いつまでも経っても、兄や達に子ども扱いされるんだ)
一太郎の葛藤も知らず、いかにも納得がいかなそうな手代達は、渋々元の位置へと座り直した。
「……若だんな」
しばらくして……。
走芽に申し訳なく頭を下げ、怒りと恥ずかしさに顔を赤くした若だんなに、仁吉が優しく声をかけた。
「落ち着いて下さいな、若だんな。あたしの話を聞いて下さい」
「…………」
一太郎は答えなかった。
仁吉はもう一度席を立って、火鉢の向こうに居る主人に歩み寄った。
「若だんな」
落ち着かせるように、その背を撫でて、静かに優しく言い聞かせる。
「いいですか、若だんな。この走芽とやら、女子ではありません」
「仁吉……お前、何言って……」
仁吉の言葉を聞いた若だんなが、はっと顔を上げる。隣の佐助も、この発言には些か驚いたようだった。
仁吉と走芽を交互を見やると、若だんなと目が合った瞬間に、走芽の方は顔を反らしてしまった。
(……まさか)
ゆっくりと、一太郎は仁吉を見つめ返した。
この手代ときたら、何故だかいつも、己の前だけでは優しげに微笑んでみせるので、若だんなが知らずの内に頬を赤く染める原因となっていた。
それを自覚しているのかいないのか。今、目の前に居る手代も、それは優しげに微笑みながら若だんなに話しかける。
「男ですよ」
仁吉がはっきりと、そう告げた。
(男……なんだろうか?)
先程一瞬、自分の頭にもよぎった思いと仁吉の言葉を確かめるように、一太郎は無言のまま走芽を見つめた。
仁吉も佐助も、ただ静かに走芽に視線を送るのみで、それが煩わしいのかこそばゆいのか、寸の間の後、走芽は女子らしからぬよう胸元を緩ませると、だらけ座りで大袈裟な溜息を吐いた。
「ばれてしもたら、しょうがおへんなぁ」
何を諦めたのか、瞼を閉じて、己が首を傾げてみせる。
「走芽……さん?」
おずおずと若だんなが尋ねると、走芽は瞼を開けて、なんでもない離れの天井を見上げた。
時折ぎしぎしと軋む音だけが、妙にうるさく聞こえてならない。
「鈍いんやね、若だんな。それに弱いで。男って生き物(いきもん)は」
天井から若だんなに視線を移して、これは女のように走芽は喋る。
正体がそれと知れれば潔いところは、男らしくもあると言えるだろう。
「うちは走芽。京は宮川町、ふくやの走芽」
京の宮川町といえば、古くは若衆歌舞伎の小屋や茶屋が並び、そうした歴史から、今では陰間(かげま)と呼ばれる春を売る少年が遊廓に集う花街である。その宮川町に店があるということは、この走芽という男が何者なのかは、もはや明らかであった。
「陰間……なんですね」
若だんなの言葉に頷くと、「ご贔屓に」と走芽が笑った。
笑った顔が商売の、それであった。