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豆喰らう鬼 2


     2


「調子はどうですか若だんな」

「今朝も大丈夫そうだよ」

もう如月だというのに、朝からたっぷりと火鉢に炭がくべられている長崎屋の離れで、今朝も調子の良さそうな若だんなが、毎朝飽きずにそう聞いてくる兄やの佐助に笑顔を返した。

「すぐに朝餉をお持ちしますんで」

その笑顔を見た仁吉が「それはよかった」と言って朝餉を取りに離れを出て行く。普通、若だんなは調子が良い時は店へ行って朝餉にするのだが、最近は朝の冷え込みが厳しいとみて離れでの朝餉をとっていた。
そうして朝餉がくるその間にと、佐助がひょいひょいと一太郎の身仕度の世話をする。どんな日の朝でも、若だんなが不便になることはこれといってなかった。

「そういえば、今日は節分だよね」

一太郎はそう言いながら、きょろきょろと離れの中を見回す。

「佐助、鳴家達は……」

小鬼達の姿が見当たらないとみて、若だんなは少し不安げな顔付きで兄やを見やった。だが佐助がその返事をする前に、華やかな市松模様の着物を着た妖がふらりと屏風から出てきて口を挟む。

「どうやら今年もそうらしいねぇ。心配するだけ、無駄ってもんだよ」

若だんなの問いに答えるように答えたのは、この屏風の付喪神である屏風のぞきだ。

「お前、鳴家達がどこに消えたのか知っているのかい?」

「さぁねぇ。でもいいじゃないか。うるさいのが一日中いなくなって」

佐助の問いに答える屏風のぞきは嬉しそうだ。いつも小鬼達に噛み付かれているせいだろう。

「たしかに……今日限りのことだけど」

今日限り。そう、これは今日限りのことなのだ。どういうわけだか毎年節分の日に限って、この長崎屋の鳴家達は朝から一日中どこかに消えてしまう。
鳴家達は小鬼とはいえ、れっきとした鬼の妖。それに加えて江戸の人は信仰深い。厄介鬼とはその類が異なっているとはいえ、払われてはたまらないと、毎年姿をどこぞに隠しているのだろうと、兄や達は若だんなに話していた。

(気の小さい鳴家達らしいといえば、そうなんだけどね……)

それでも鳴家達は一体どこへ消えるのか、一太郎にはそれが気になって仕方がなかった。



「ねぇ、仁吉はあの子らがどこに消えたんだと思うかい?」

「鳴家ですか?さぁ。あまり気になりませんけどね」

この手代の全ては若だんなの身一つであるので、若だんなに害のない話にはとんと無関心らしい。毎日何度も離れで顔を合わせているのに、この無関心さでは些か、鳴家達がかわいそうだ。

「私はものすごく気になるんだけど……」

まだ一口しか口にしていない食べかけの大福を持ったまま、上目遣いに兄やを見つめる。するとすぐに兄やの表情がざわついて、そのままじっと若だんなに見つめられた手代の口はいとも簡単に緩くなった。

「そうですね……鳴家達は確かに離れからは消えてしまっているようですが、僅かながらに気配が残っていますよ」

鳴家という妖はどこの家にもいるものだから、確証はあまり持てない、おそらくのものだと仁吉は言葉を繋げて次にこう言った。

「おそらくそう遠くには行ってません。もしかしたら、鳴家達はこの長崎屋のどこかに隠れているのかもしれませんよ」

「えっ?」

まさか鳴家達がこの長崎屋に居るとは思ってはいなかった一太郎は、おおいに驚いた。すぐに眉間に皺を寄せて、仁吉の顔を覗き込む。

「長崎屋に隠れているかもだって? それを知っていたの。どうして今まで何も言わなかったんだい!」

「若だんな…?」

何故若だんなが不機嫌になっているのかわからない様子の手代が、きょとんとした顔のままでいるので、若だんなは唇を尖らせて手代に詰め寄った。

「私が聞かなくっても、あの子らのことなんだから、教えてくれたっていいとは思わないのかい?」

なんとも兄や達の無関心さには呆れたものだ。一太郎のことについては、何から何まで関心しつくしているくせに、同じ妖達のことであっても、一太郎以外の全てのものごとには興味がないに違いない。その証拠に、若だんなに大声を出されても当の兄やは、何くわぬ顔でこちらの顔を覗き返してくる。
無言のままで見つめあっていたが、互いの息も掛かろうかという距離で、真正面から仁吉の秀麗な顔をまじまじと見るのは気恥ずかしい。それよりも、その仁吉にじぃっと見つめられていることが恥ずかしく、怒りと羞恥心との二つが合わさって、若だんなの顔を赤く染めていた。

「若だんな、どうかされたんですか?」

そこへふいに顔を出したのは薬種問屋の番頭だ。
若だんなが大声を出したので、何事かあったのかと、様子を伺いに来たらしい。
慌ててなんでもないと、若だんなが言おうとすると、この期を逃すかとばかりに、素早く仁吉が若だんなの前に出る。

「いえ…ね、番頭さん。どうやら若だんなのお加減が優れないようなんで」

「仁吉!何を言ってるんだい」

「この大福でさえ、たった一口しか食べれなかったんですよ」

あらぬことを言われて怒る若だんなの手元から、素早く大福を取り上げた手代は若だんなが一口しか食べていない大福を番頭に見せるように差し出し、「大福くらい、食べれるよ!」と言い張る若だんなを宥めながら、食べかけの大福を自分の口へと押し込んでしまった。

「こんなにおいしい大福も口にできないなんて……。若だんな、今日はもう休んでいて下さいね」

そう言って仁吉がひょいと一太郎を脇に抱える。そのまま有無を言わさず、若だんなを離れの方へと連れていくと言う。ついでに仁吉は菓子鉢に残っていた豆大福を、鉢ごと番頭に「よろしかったらどうぞ」と差し出した。
若だんなのことはいつものように番頭も心得たようで、有り難く菓子鉢を受け取りながら、薬種問屋はお任せ下さいと述べ店先へと戻っていった。

(ああもう、なんでこんなことになるのかね)

まだほんのり顔の赤い若だんなは手代に抱えられたまま、盛大な溜息をひとつ店先に洩らして、そのまま離れへと消えた。




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