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をとこ冥利 1


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江戸は四谷。大木戸を抜けて、暗闇の中を二人組が提灯も灯さずに走り続ける。暗闇なので見えないが、一人は軽い身なりで二本を差している。浪人のようだ。その男の後ろを走る連れは、振り袖姿であった。

「も、もう駄目やって……」

振り袖が重いのか走り慣れていないのか。川の手前で一人が息をついて立ち止まる。先を走っていた男も、連れが止まったのを悟って足を止めた。

「大丈夫だ。提灯の灯りもだいぶ遠退いたようだし、もう一踏張りさ」

男がしゃがみ込んでいる連れの肩を、励ますように抱き寄せる。道の真ん中では不味いから、近くの路地に入った。
走り続けていたので気付かなかったが、夜風はなかなか冷たいものであった。立てるか? と男が尋ねて二人とも立ち上がったが、振り袖を着た連れの方は辛そうな声を上げる。

「そやけど、うち、もう足が」

男がしゃがんで連れの足を診ると、左足のふくらはぎがひどく腫れているようだった。

「腫れてるな……下駄で走らせたのが悪かったな。だが、ここで見つかっては意味がない。走芽(はしめ)、堪えてくれ」

(侑馬(ゆうま)はん……)

抱き寄せられて、静かに頷く。このまま時が止まってしまえばいいと思うのに、現実はそう、甘くはない。

「相沢様―――!」

遠くに提灯の灯りが見える。侑馬が、しまったと舌を鳴らした。まだここに居ることは発見(ばれ)ていないようだが、見つかるのも時間の問題だろう。
侑馬はしばらく黙っていて、抱きしめた手を解くと、走芽の両肩を掴んで静かに言い聞かせる。

「ここに居ては不味い。……仕方ない、走芽、よく聞くんだ。お前一人で、ここから逃げるんだよ」

そう言われて、振り袖姿の可愛らしい顔が、瞬間強ばった。

「そないなこと…! 侑馬はんと離れるなんて、うちにはできん!」

「江戸へ入ったんだ。二人で逃げていたのでは、人相書きなどされたら、きっとすぐに見つかってしまう。大丈夫、すぐに会えるさ」

宥めるように肩を揺すりながら、侑馬は走芽を優しく説得する。

(そやけど……うち一人やなんて)

侑馬の言う事は最もであるが、それはかなり不安であった。
何しろこの走芽、江戸へ来るのは初めてなのだ。

「走芽」

優しげに名前を呼ばれて、走芽ははっとして顔を上げた。見えない。暗闇で見えないが、愛しい侑馬の顔がそこにある。

「わかった、やってみる」

まずは無事に逃げのびなければ。その為には、一旦ここで別れるしかない。

「走芽、よく聞くんだよ」

時間のない中で、侑馬は小声で何事か囁きかける。
提灯の灯りが近くに見えた。
別れ際、二人はお互いに何か渡し合って、それから侑馬が橋を渡って去っていく。

「居たぞ、先を行くのは相沢侑馬様に違いない。逃すな!」

走芽は路地に身を潜めて、じっと息を殺した。
追手が橋を渡り去っていく。走芽は撒いたようだった。

「侑馬はん……」

走芽の声はこの暗闇に溶けるだけ。江戸の広い夜は、静かに更けていくのだった。


※二本…大刀と小刀 
(刀と脇差のこと) 



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