すずろなる、ひとへ心 5
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「われは鈴の音よりも、鳴家がぎしぎしさせる音の方が、楽しくて好きだよ」
己を抱き締めている仁吉の腕を解いて、にっこりと一太郎が笑う。
「兄や達の声も、われは大好き」
次いで屏風のぞきや他の妖達も、祖父や両親、長崎屋の皆も大好きだと言う。仁吉は眼下に居る一太郎を、ただただ見つめ返した。
(どうしてぼっちゃんは、こんなにも)
こんなにも、愛しいと思えるのだろうか。
(皮衣様の、お孫様……)
仁吉が千年以上も思い続けた思い人の孫。それが一太郎だ。妖ではなく人間で、まだ六つの子供である。おまけにひどく病弱で、寝込んでいる方が多い程、病とは縁が深かった。
それでも。
(あたしは、ぼっちゃんを……)
一太郎を守りたい。仁吉は強く強くそう思う。こんなにも小さな人間一人が、ただもう、貴いのだ。
「兄や達と、凧揚げ。楽しみだなぁ」
一太郎に鈴の音は似合わない。いつまでも笑い声の側に居させたい。そう思って、もう一度一太郎を抱き締めた。
(一太郎ぼっちゃん……あたしの、御主人)
もう一度、愛しいと思える主人に仁吉は出会えたのだ。この胸の中の、小さな主人に。
「仁吉?」
自分の名を呼ぶその人が、今はもうどうしようもなく愛しい。抱き締めた先から伝わる温もりが、睦月の夜を静かに包んでいった。
「仁吉、どうしたんだい?」
珍しくぼうっとしている手代に向かって、若だんなは心配げに肩を揺すった。
(やれ、あたしとしたことが……つい懐かしいことを)
仕事中に物思いに耽るとは、なんとも珍しい事だと仁吉自身も驚く。だがそれも一瞬の事で、すぐに手代の顔に戻ると、手にしていた凧をそっと子供に手渡した。
「おいらの凧……!」
凧を手にすると、子供は初めてその顔を明るくさせて嬉しそうに笑った。
「まぁ。駄目でしょう、長崎屋さんにお礼をなさい。本当に助かりました。ありがとうございます」
手代に礼の一言も言わない息子を母親は叱ったが、無事に凧が見つかって安心したのだろう。最初に比べると随分落ち着いていた。
「お気にならさず。いや、この長崎屋の庭に落ちていてよかったですよ」
丁寧に幾度も頭を下げる客を、仁吉が柔らかく受け止める。それが効いたのか、客はやっと頭を上げた。
「それでは失礼を」
最後にもう一度だけそう告げると、凧を大事そうに抱えた息子の手を引いて、客は去っていく。
「あの子を見ていたら、私も久しぶりに凧を揚げたくなったよ」
六つになった時、兄や達から貰った、若だんなにとって大事な大事なお気に入りの凧。壊れたら嫌だと言って、貰ったのにもかかわらずあまり揚げたことはないのだが、久しぶりに凧を出すのもいいかもしれない。
「ねぇ仁吉、後で揚げてもいいだろう?」
この正月も寝込んでいたので、尚更若だんなは凧が恋しくて仕方がない様子だ。そこでなんとか兄やの許可を貰おうと頼み込むのだが、これに仁吉は嫌な笑いをしてみせる。
「いいですよ。ただし、この後若だんなが嚔(くしゃみ)や咳を、一つもしなかったらの話ですが」
仁吉のふくみ笑いが気にかかるものの、お許しが出たのはありがたい。
「本当だね? 凧揚げができるなんて、私はもう何年……へ、へくしっ」
喜んだ途端の嚔であった。すぐにしまったと気づいて、若だんなが手代の手から逃れようとしたのを、あっさりと手際よく仁吉が捕まえる。
「残念でしたねぇ、若だんな」
慰めるように優しい声を掛けながら、仁吉は若だんなに掻い巻きを二枚着せると、ひょいと抱えてすぐ様離れへと歩みを進めた。
先程の客のものであろうか。遠くから鈴の音が聞こえた。けれどもそれは、微かに耳元に残るだけで、仁吉は何も振り返らない。ただ時折、懐かしいと思う音だった。
(皮衣様……懐かしいですね)
だが今は、それよりもぎしぎしと離れを軋ませる音が心地よい。
気づけばあっという間に、離れの居間へと辿り着いていた。