[携帯モード] [URL送信]
すずろなる、ひとへ心 4


     4


小僧二人が返答に困る前で一太郎は笑顔のまま座っている。どうしたものかと、仁吉は行灯で照らされた揺らぐ室内をゆっくり見回して……ふと目を止めた。

「……まさか」

仁吉がそう言いながら屏風に歩み寄ろうとすると、思った通り、その屏風から屏風のぞきが出てきたではないか。

「お前がしゃべったんだね」

仁吉がその目を細くして屏風のぞきを睨むと、隣に座る佐助も何やら拳をあたためている。一太郎が慌てて兄や達を落ち着かせようとするのを、屏風のぞき自身が止めた。

「なに、あたしは兄やさん達よりも、ぼっちゃんの方が好きなんでね」

「違うんだよ! 仁吉、佐助。われが屏風のぞきに聞いたの……それで」

それで、結果的に屏風のぞきが口を割ったのだろう。小僧達はそのまま屏風のぞきと睨み合っていたが、それをおろおろと見ている一太郎の顔からだんだんと笑みが消えていってしまうので、屏風のぞきが無言のまま本体の屏風に戻ったのを機に、睨むのを止めた。それから一太郎に向き直り、優しい声で話し掛ける。

「やれ、話してしまったものは仕方ないですね」

でも、と佐助がもう一度一太郎を己の膝に乗せながら問いかけた。

「ぼっちゃんはどうして、あんな返答を妖達にしたんですか?」

欲しいものを尋ねる妖それぞれに、何故いらない物などを欲しいと偽って返答したのか。小僧達はそれが知りたくて、じっと一太郎のを見つめる。それが気恥ずかしいのか、一太郎は畳の上に視線を落としながらおずおずとその口を開いた。

「……だって、最近兄や達は忙しそうだから」

昼間は仕方がないと心得ているけれど、最近は夜もなんだかそっけない。屏風のぞきから話を聞いて、兄や達が最近の夜早々に自室に引き上げてしまうのは、自分への贈り物の話し合いの為だと後から知ったのだが、一太郎はそれでもやはりちょっと寂しかったのだ。
だから、一太郎なりにどうにかして、二人の気を引きたかった。

「妖達にああ言えば、兄や達がわれに聞きにくると思って……」

そして案の定、兄や達は一太郎の元へとやってきた。
しかし、実際は屏風のぞきに聞き出したことがきっかけで、兄や達を困らせて気を引くはずが、思い違いで不機嫌にさせてしまった。
可笑しなことをしてごめんなさいと、一太郎はしょんぼり佐助の膝の上で小さくなった。
その様を見て、佐助も仁吉も優しげな溜息をつく。兄や達の不機嫌は屏風のぞきただ一人が原因なのだが、まだまだ幼いこの優しすぎる主人が、改めて愛しく感じられた。

「謝るのは、あたし達の方ですね」

二人して頭を下げてから、改めて一太郎に問う。

「一太郎ぼっちゃん。ぼっちゃんの欲しいものはなんですか?」

「……本当に、なんでもいいの?」

優しく己に微笑みかける小僧達を見ながら、遠慮がちに一太郎が尋ねる。すぐに仁吉が「ぼっちゃんがお望みの物は、なんでも差し上げますよ」と答えたので、それじゃぁと一太郎も嬉しげな顔を見せた。

「われは、凧が欲しいな」

「おや、凧ですか」

子供らしいその答えに、兄や達も笑みを浮かべる。
一般に凧と言っても、武者凧や字凧、奴凧など多様にあるが、一太郎が欲しいというのは安く買える庶民の子供達のための江戸小凧のことである。
特に子供達には、揚げて破れて捨てられる、一文凧が人気であった。

「お正月はずっと寝ていてばかりで遊べなかったから、われは兄や達と、凧揚げがしたい!」

一文凧ならば気軽に手に入る。小僧達は笑顔で了承すると、それならば明日にでも買ってこようと言いだし、今晩の内に凧を買うお店に目星をつけるらしい。

「夜目がよく利く、猫股を使うといいよ」

仁吉の言葉に佐助が大きく頷く。そんなに急がなくてもと一太郎が止めるのも、もうすでに耳に入らないらしい。自分の膝から仁吉の膝上へ一太郎を移すと、後を仁吉一人に任せて、己はちょっと出てくると言い残して佐助は夜の中へと飛び出して行った。

「あ、れ……行っちゃった」

兄や一人がいなくなったのが少し寂しいのか、一太郎が仁吉の袖をぎゅうっと掴む。

「大丈夫ですよ。明朝には、また会えますから」

膝上に居る一太郎をあやしながら、もう寝ますか?と仁吉が尋ねる。考える間もなく一太郎は首を小さく横に振ると、仁吉の膝上で体の向きをくるんと変えた。ちらりと上目遣いで兄やを一度見つめた後に、その顔を仁吉の着物に埋め込む。

「ありがとうね、兄や」

仁吉に抱きつくようにして僅かに頬を赤く染めている。
今の言葉には当然佐助も含まれているのだが、ただ単純に仁吉は嬉しかった。こちらも嬉しい、嬉しいと兄やに抱きつく一太郎の背を、仁吉は愛しげに優しく擦った。

(……ありがとうを言いたいのは、あたしの方なんですよ)

口には出さずに一太郎に囁きかける。本来ならば、凧よりももっと素晴らしいものを贈りたいと思う。
こうやって一太郎の傍に居ると、いつかの自分がまるで嘘のよう、過去に呑み込まれることなく仁吉は今のままでいられるのだ。

(あのお方と、ぼっちゃんを比べるなんて)

できるはずがないではないか。己如きに。
仁吉にとって、一太郎の祖母であるおぎんの存在は、紛れもなく白沢の一生の内で大切な存在であること他ならない。
しかし。

(今のあたしは、ぼっちゃんの傍に居るんだよ)

他の誰でもなく、一太郎その人に仕えているのだ。嫌と思うことは一度と無い。幸せである。
それは自分自身で白沢が選んだ今の全てであり、何よりも一太郎が、仁吉の全てなのだから。

「一太郎ぼっちゃん」

一太郎を抱き締めたまま、仁吉がその口を開いた。

「……鈴の音はお好きですか?」

「鈴?」

我ながら、なんとも馬鹿な問いを主人にしたものだと自責する。すぐに一太郎から疑問の返答が返ってきた。

(ぼっちゃんにこんなことを訊いて、一体あたしはどうしたいんだ?)

抱き締めた温もりと相反し、冷めた笑いが己を誘う。
夜風でも吹いているのだろうか。睦月の晩の、長崎屋の庭から微かな鈴の音が聞こえたような気がした。

「別に、嫌いじゃないけど」

やがてゆっくりと一太郎が口を動かす。鈴の音は嫌いではないらしい。
だがすぐに「でも、」と言葉を繋げた。




[←][→]

あきゅろす。
無料HPエムペ!