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豆喰らう鬼 1


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陽気漂う如月のことであった。
長崎屋の若だんな一太郎は、このところ調子が良い。今日もいつもの様に幾分か遅い朝餉を済ませてから、若だんなは薬種問屋の帳場で、さしてすることもない(…というか、させてもらえない)のでおとなしく店番をしていた。

「おや若だんな、最近はてんで元気そうだねぇ」

そう言って薬種問屋に顔を出したのは、馴染みの岡っ引き清七だ。日限の親分で名が通っている岡っ引きはしょっちゅう長崎屋に顔を出しているので、病弱な若だんなのこともよく心得ている。よって、最近よく店番をしている若だんなを見ては、明日にでも調子を崩すのではと心配半分、皮肉半分に声をかけてくるのだった。

「……おかげ様で」

こちらもそれを心得ている若だんなは、少し不貞腐れたような顔をして岡っ引きと顔を合わせる。堂々と言い返せないのは、事実若だんながしょっちゅう寝込んでいるせいだった。
手代の仁吉に奥へと促された日限の親分は、僅かに火を吹く火鉢の前にしっかりと腰を落ち着けた。今日もなんぞ起こった話を聞かせてくれるのかと問うと、岡っ引きは珍しくつまらなそうな顔を若だんなに向けてよこした。

「それが今日はどういうわけだか、これといった事件がないんでさ」

「それはまた、珍しいですね」

昼も近いというのにとくに事件はないのだという。それで岡っ引きがつまらなそうにしているのかと、すぐに合点がいく。では何故この岡っ引きが長崎屋に顔を出したかといえば、それは今、手代が持ってきた菓子鉢が目当てのことに違いなかった。
仁吉が三つばかり小皿に大福をのせて差し出すと、岡っ引きは茶が入るのも待たずに大福に噛り付いた。

「おや、今日のは豆大福だね」

仁吉から一つ、入れたての緑茶と大福を差し出された若だんなが、普段はあまり食べないその豆大福を手に取って嬉しそうに呟いた。その様子を見た手代の頬が、途端に緩くなる。

「今日は節分ですからね。若だんなが喜ぶのではと、今朝方小僧に買いに行かせたのですよ」

「律儀だねぇ、仁吉さん。いや、こんな職に就いてると、行事の一つや二つも忘れようってもんなんでね」

忙しい岡っ引きなんぞ、そうなるもんではないと、大福をおおいに頬張りながら清七が言い張る。その様子を横で聞いていた仁吉の、岡っ引きを見る目が冷めている。

(こりゃぁ、放っておいたらまずいかね)

忙しいと言いつつ悠々と大福を食べている岡っ引きの物言いが気に食わず、今にも妖である手代が何か言いだしてしまうとも限らない。人と違って遠慮のしらないことを口に出されてはたまらず、若だんながそれとなく不安になった、その時であった。

「親分さん、下っぴきが店先においでですよ」

薬種問屋の店先から番頭がやってきて、大福を頬張っている岡っ引きに声をかけた。
この時の若だんなにとっては好運にも、どうやらどこぞで何かあったらしい。

「こいつはいけねぇ」

慌てるといったわけでもないが、岡っ引きはそう言って立ち上がると、ご馳走さんと一声残し、長崎屋を去っていく。

「日限の親分さんは、どうして口だけは達者なんですかね」

見事に全てたいらげていった空の小皿を片付けながら、仁吉は不機嫌そうに眉をひそめている。

「仁吉、聞こえるよ」

「だって若だんな、本当のことでしょう」

(たった今、店先に親分さんが居たばかりじゃないか)

当然の如く言い張る手代に顔をしかめるが、確かに岡っ引きの口は、しゃべるにしろ食べるにしろ、達者であることには違いなかった。つい先程、目の前で大福を軽々三つもたいらげた姿を見ているせいもあり、若だんなは顔をしばらくしかめたままだったが手代の意見も一理あるので、溜息をひとつついてから、自分も大福をひとつ口にする。
口に広がる滑らかな餡とやわらかな餅、塩見のきいた豆の風味がほどよく絡まっている。豆大福は口にすることが少ないので、一口食べただけでも若だんなの顔には笑みが戻った。

「おいしいよ、仁吉。たまには豆大福もいいもんだね」

「そりゃぁよかったです、若だんな」

そう一言若だんなが嬉しそうに物を言えば、ころっと機嫌がよくなるのだから、相変わらずにこの手代も若だんなに甘いことこの上なかった。
だがふと豆大福を見つめていて、若だんなは思い出したかのように手代を近くに呼び寄せた。

「そういえば……今朝も鳴家達はいなかったね」

少し声をひそめて、兄やの耳元で若だんながこっそりと囁く。

「あれは毎年のことですからね。なに、今日限りのことですよ」

返事を返す仁吉も、若だんなに近寄ってこっそり小さく囁いている。

「やっぱり小鬼でも、鬼は豆が怖いのかな?」

毎年この日に思う疑問に若だんなは、今朝の離れでの出来事を思い出していた。




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