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鬼が笑って


師走の寒さが走る青空の下、若だんなは懸想文の件もひとまず片付いたところで、二人の手代と長崎屋への帰路を歩いていた。だがその足取りは、やっと仁吉の疑いが晴れたというのにもかかわらず、行きのそれとは違って重いものだった。

「若だんな、寒くありませんか」

「歩き疲れたでしょう。若だんな、負ぶさって下さい」

そんな若だんなを気遣って、両脇をぴったりと離れずに歩く佐助が自分の羽織を若だんなに掛けようと、仁吉が優しく手を引いて様子を伺ってくる。

「佐助、仁吉、私は大丈夫だよ。でもそうだね……少し寒い、早く帰ろうか」

若だんなは引かれていた仁吉の手を握り返し、兄や達に向かって笑みを見せた。だが「寒い」の一言を二人の手代は目ざとく聞いていて、仁吉が渋々手を引っこめると、反対側からこれだけは譲りませんと佐助が羽織を掛けてきた。長崎屋はもうすぐだというのに抜け目ないその気遣いに、若だんなが思わず苦笑する。

「兄や達はいつまで経っても心配性だね」

本心から笑う若だんなを見て、自然と兄や達の顔も綻(ほころ)ぶ。だが若だんなの表情はまだ何か喰えない様子であった。若だんなに悟られぬよう、二人の兄やは互いに顔を見合わせた。些か羽織を着ている手代の顔が優れていない。

「しかし本当に呑み込めない事件でしたね。すごいですよ、若だんな」

羽織を若だんなに掛けた方の手代が、気分を変えようと明るい口調で声をかけた。

「色恋のことについては私はまだよくわからないけどね。仁吉のことは、よくわかるもの」

そう考えたら、そう難しくはなかったのだと若だんなは言う。

「でもやっぱり、おさきの心まではわからなかったよ」

色恋に限ってのことだけではない。相手が人間であっても、妖やその他の類、それが自分自身であったとしても、心というものを知ることはとても困難である。

「心の奥底の鬼……か」

おさきの心に宿っていたという鬼。その鬼は、一太郎が目にできる妖のそれよりもずっと、厄介で恐ろしいものに違いなかった。

「おさきにも鳴家なんぞが見えていたら、そんな鬼なぞは消えてしまったかもしれませんね」

若だんなが深く考え込んでしまわないようにと、仁吉も明るい口調で返す。だが、今回はその件に妖である自分も関わっていることもあって、すぐにその顔は渋くなる。

「守ってくれるものがある私は、幸せ者だね」

何か口にしそうになった仁吉を見た一太郎は、それを遮って一言、そう兄や達に呟いた。
一太郎の知っている鬼は少なくとも、恐ろしいだけの鬼ではない。
自分を守ってくれる手代達もその類である妖だが、普段は優しく大変自分に甘い、ただの兄やである。

「若だんな」

口に出しかけた言葉を遮られた仁吉が、たいへん落ち着いた声で優しく一太郎に話し掛ける。

「守るものがあるあたし達も、幸せですよ」

にこりと笑って言う様は、なんだか本当に幸せそうだ。反対側を歩く佐助も、笑いながらしっかりと頷く。気がつけば京橋を過ぎていた。
沢山の小鬼が待っている、長崎屋はもう目の前だ。



2008.0203



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