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おだいじ


『なんと言われようと、あたしたちの主人は、若だんなですよ』



(これは、本心なんだろうね)

若だんなは溜息をついて、寝返りをうった。時刻は昼五ツ半、辰四つ時も終わろうかという頃合いだった。調子が幾分かよくない若だんなの為、先程佐助が離れに持ってきてくれたほんの僅かの朝餉である粥を口にしてから、若だんなは溜息をつくばかりだった。
昨日の諍いのことが頭を離れなかったのだ。

(どうして兄や達は、あそこまで癇癪を起こすのかな)

日頃、屏風のぞきとの折り合いが悪いせいだろうか。しかし、昨日は些か拙(まず)かった気がする。若だんなが祖父のことを口にしたせいだろうか。それとも何か別の、気に触ることを若だんなが口にしたのだろうか。
だがこんなにも気落ちしまっているのは、そのせいだけではなかった。
昼五ツ半になっても調子が優れぬとみて、いつの間にか若だんなの周りには、心配そうにきゅわきゅわと不安気な声を立てながら、昨日頼んだ依頼には行かなかった居残り組であるのか、何匹かの鳴家と呼ばれる妖達が集まっていた。そのうちの一匹が様子を伺うよう枕元に寄ってきたので、心配ないよと、指先でその頭を軽く撫でてやった。

(皆、本当に心配してくれているんだよね…)

若だんなが気落ちしているのは、このことであった。とくに胸を傷ませるのが兄や達だ。些か傍若無人な行為であっても、その原因はおのずと若だんなへと辿り着く。
兄や達の大事は一太郎ただ一人と、この長崎屋に来た時から決まっている。病弱である若だんなを思うが故に、妖である手代は時に、若だんなも止められないような癇癪を起こすのだ。
それが一太郎は嫌だった。嫌以上に、とても辛かった。

(それでも、こんなことで私が暗くなっていたら、尚更悪いだろうね)

悲しいことに、昔からこの騒動に慣れてしまっている己がいることを、一太郎自身が十二分、理解していた。

(情けないったらありゃしないよ)

鳴家を撫でてやるのをふと止め、またもやこぼれそうになる溜息を押し殺し、一太郎は上半身だけを起こした。
その時だった。

「何をしているんだい、鳴家!」

つい一日前にも聞いたかのような声がして、若だんなも鳴家達も思わず身を固くする。見れば、その手に薬湯らしきものを持っている手代、兄やである仁吉がおおいに顔をしかめていた。

「若だんなを床から起こすなんて、一体どういうつもりだい?」

「そうじゃぁないよ、仁吉」

部屋に入ってきた仁吉が薬湯を脇に退かしているのを見た若だんなは、昨日のようなことになってはたまらないと、慌てて立ち上がって兄やを止めようとした。だが、お世辞にも快調と言えない若だんなは、立ち上がった途端、ぐらりとして軽い眩暈に襲われた。揺らぎ倒れそうになる身体を、風のように仁吉がすぐさま駆け寄って抱き支えた。

「若だんな!大丈夫ですか」

「…平気だよ」

もちろんその返事は建て前だ。だがここで引き下がってはいかんと、一太郎は支えられた身体ごと仁吉に縋り付いて、上目使いで首を横に振った。仁吉の剣呑な雰囲気に、早々と四隅へと逃げていた鳴家達までもが昨日のようなことになってはいけないと思ったからだ。

「もう少し横になっているよ、だから……」

だから、鳴家(この子)達を叱るのはやめてくれと懇願する。仁吉は心底納得いかないような顔をしていたが、これ以上若だんなが立っているのが辛いと思ったのだろう、鳴家にはそれきり目もくれず、ゆっくりと優しく一太郎を床にならせた。

「調子はどうですか」

先程の剣呑がどこぞに行ってしまった後で、一太郎の顔を覗き込みながら仁吉が心配そうに尋ねてきた。すぐに心配ないと答えると、仁吉はその端整な顔を渋くした。

「嘘は駄目ですよ。若だんな」

「別に熱はないよ」

若だんながそう答えても、その声は聞こえていないかのように手代の手が額にのせられる。むくれて仁吉を睨んでみるが、当の仁吉といえば、若だんなに睨むくらいの元気はあるとみて、ほっと顔を和ませている。

「ちゃんと全部、飲んで下さいね」

仁吉は若だんなの額から手をひいてから、脇に寄せてあった薬湯を若だんなへと差し出した。

「こりゃぁまた、すごい色だね」

差し出された薬湯を見て若だんなは苦笑いだ。だが仁吉に促されて、渋々薬湯を口にする。なんとも言えない味が口内に広がって「うえぇえ」と情けない声が部屋に漏れてしまった。兄やの方は、空っぽになった湯呑みを見て満足気だ。そのまま部屋から出ていかない様子をみると、おそらく今日はこのまま若だんなの側についているに違いなかった。

(これは、いつもの兄やだよ)

差し出された薬湯の中に、苦さ以外にも伝わってくるものがあって、ついさっきまで胸を痛め付けていた思いがさらさらと消えていく。

(私は………)

ぐっと込み上げてきそうな思いを、口内にまだ漂っている薬湯の苦味と一緒に一太郎は飲み込んだ。

(大事なのは、佐助と仁吉が私の側に居てくれることだね)

兄や達が側に居る。
鳴家達や屏風のぞきなどの妖達、二親や、今は此処にいない祖母や祖父達。
普段から痛いくらいに感じていたがどうして、若だんなはこんなにもたくさんの者達に支えられて生きてきたのだ。

(今更それをどうこう考え直すのは、道理に合わないね)

兄や達の大事が一太郎であるように、一太郎にとって肝心なことも、そういうことであった。

(こりゃぁ、まだまだ兄や達から離れられないのは、私の方かもしれないよ)

一太郎はあれこれと考えを巡らせている内に、最初自分が溜息をついていた理由をふと思い出し、思わず笑ってしまった。
兄や達の過保護すぎる心配性は、今に始まったことではない。

「若だんな?」

理由もなしに笑う一太郎の顔を、仁吉がそれはそれは心配そうに覗き込んだので、一太郎の顔にはもうひとつ笑みが浮かんだ。

「なんでもないよ。少し、眠いだけ」

若だんなが笑ってそう答えると、途端に兄やの顔にも笑みが浮かぶ。
若だんなは兄やのそんな笑みを見つめながら、瞼を静かに閉じた。そうしてすぐに夢の中へと誘われる。

(そういえば……鳴家達の調べはついたのかしら。屏風のぞきは、機嫌を治したかねぇ)

微睡む中、小さく騒ぐ妖達の声が、すぐ隣で優しく聞こえた。



2008.0201



あきゅろす。
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