陽光(リメイク前)
『本物』の彼
「どうしました?」
夜月くんと優次くんが歩み寄ってくる。……夜月くんと目が合ってしまいそうで、思わず私は目を逸らしてしまった。
「つ、土盾くん、あの」
「実はさ、予定を合わせて皆で出掛けないかって話してたんだ!」
私の弱々しい声はあえなく遮られ。――結局、夜月くんや優次くんも土盾くんの提案に異を唱えることなく。
間もなく行われた話し合いの末、私達は週末に泊まりがけで出掛けることとなった。
場所は、学園の最寄り駅から約三十分ほどの、小さな町。
そこで私達は、土盾くんのお祖父さんが営んでいる骨董品店のお世話になる。
土盾くん曰く『静かなおもちゃ屋のような場所』とのことで、老若男女分け隔てなく立ち寄れる、雰囲気の良いお店みたい。
土盾くんの好意は嬉しいけれど、――大丈夫、だろうか。
今でさえ、夜月くんの方が見れないのに。
皆の会話が盛り上がる中、私は不安に駆られていた――……。
「もし不審な点を見つけても、まずは落ち着いて。冷静さを無くしてしまったら、その時できた筈の事も思い付かなくなるわ」
「……はい」
日々はあっという間に過ぎて、皆と出掛ける前日。保健室で、私は木梨先生から大切な話を聞いていた。
夜月くんを連れて行くことは問題ないけれど、予期せぬ事態が起きた時に、すべきことについて。
「……とはいえ、『落ち着いて』と口では言っても……なかなか難しいだろうから」
私の表情が、たぶん物凄く固かったんだと思う。木梨先生は緊張を解すように苦笑いしながら、私に携帯通信機を差し出してきた。
「それを使えば、すぐに私に繋がるから。何かあったら、それを使って」
「は、はい……ありがとうございます」
握り締めた通信機をお守りのように胸に当てて、私は木梨先生にお礼を言う。
木梨先生が味方になってくれる。それだけで、心が軽くなるような気がした。
保健室から出て間もなく――校舎から出ようと歩いていた時のこと。
「……だから、……分かってるんでしょ?」
あれ、と私は思わず耳を澄ませる。聞き覚えのある声。それは――。
「……はい。そう、ですね」
西園寺さんと、――夜月くん。
あの二人が話しているのを見た私は、反射的に物陰へ身を潜めてしまう。
「あはは……申し訳ないです」
「笑い事じゃないでしょ。どうするつもりなの?」
「どうする、と言われても……僕にはどうしようもないと思いますから」
夜月くんの声は、明るかった。『どうしようもない』、という言葉には見合わないくらい。
西園寺さんは幾分か苛立った声色で、夜月くんに言い寄る。
「私が言ってるのは、あんたの記憶がどうこうじゃない。その辺り、詳しくないからね。
聞きたいのは、光咲さんのことよ」
……!!
心臓が、びくんと跳ね上がった気がした。
「このままで、いいの?」
夜月くんはすぐに答えず、沈黙が辺りを包み込んだ。
私は自分の胸をぎゅっと押さえつける。鼓動の音が、身体から漏れ出てしまいそうな錯覚を起こしたから。
夜月くんの答え。それを聴くのが、怖い。
……でも、足はぴったりと床に張り付いて。全く、動いてくれなかった。
……そして。
「……『このまま』を望んでいるのは僕じゃない。光咲さんですよ」
…………。
「でも、それは仕方がない事です」
夜月くんの声は、淡々としていた。
「大切だと思っていた人間が、突然それまでの記憶を失う。――同じように接するなんて不可能ですよ」
事実をただ並べるように。
「……今の僕と以前の僕、彼女にとっては以前の僕が『本物』だという事でしょう。そして、それは僕に否定出来ることじゃありません」
夜月くんは……以前の自分が本物だと言った。
それはまるで、記憶を無くす前の彼が放った『昔の僕に戻って欲しいですか』、という言葉を思い起こさせる。
記憶を失っても、同じ所に納まってしまう。ぐるぐると回ってしまう。
そんな彼の声を聴いているのが、……そして何より、原因が私にあるということが――苦しかった。
「……それは、あんたの考えじゃないでしょ!」
突然、黙って夜月くんの話を聞いていた西園寺さんが声を荒らげた。
「あんたが今言ってたのは、『光咲さんがそう思ってるだろう』ってだけ。ただの分析であって、あんたの感情はどこにも入ってない。
――結局、あんたはどうしたいと思ってるのか。私はそれが聞きたいの!」
一呼吸置いて、
「今のあんたは、光咲さんのことをどう思ってるのよ!?」
――!!!
一瞬、息が出来なくなった。同時に、身体中が凍えたように震え出す。
……怖い。
今までの彼の淡々とした声、それで発されるだろう答えが。
これで、もし。関わり合いにもなりたくないと、そう口にされたら。
私は二度と、立ち上がれなくなると思った。
「…………僕は、」
ようやく、足が動いてくれる。
私は急いで、そして二人に気付かれないよう祈りながら、その場を走り去った――。
その日の夜。
私は、不思議な夢を見た。
「――……?」
混じりけの無い、真っ白な空間。
私の身体は透けていて、触れてみても感覚がない。
「…………」
時間が流れているのかも解らず、これは一体どういうことだろうと思っていた。――その時だった。
「…………ん」
近くで、微かに声が聴こえた。多分、男の子の声。
……私は、なぜか胸が切なくなって。声の主を捜すように、視線をさ迷わせる。
――唐突に、目の前に人影が形作られていく。相変わらず、そこに色は無かったけれど。
「……とうさん……」
人影は、小さな男の子の姿になった。
男の子は、こちらに背を向けた状態で座り込んでいて、顔は見えない。
――でも。その男の子が、どこか懐かしいように思えた。
「ひっ……!!」
そんな感情も、次に見た光景の前には跡形もなく消えてしまう。
目についたのは、この空間で初めての、白以外の色。
男の子を中心に、目を背けてしまいたくなるほどの――赤黒い液体が流れていた。
よく見れば、それは男の子の傍にいる誰かから出ているようで。――私は、それが『血』なのだと、すぐに、
「おとうさん……おとう、さん…………」
混乱する私をよそに、目の前の光景はどんどん変化していく。
男の子は壊れた機械のように、『お父さん』とうわ言を呟き続けて。流れる血は、みるみるうちに広がっていった。
「…………よづき、くん」
私はもう、理解してしまった。この男の子が一体誰なのかを。
この空間が何なのかは分からないけれど、そんなの今はどうでもよかった。
ただ、心の奥底から『彼は七年前の夜月くんだ』と感じていて。ただ、彼が苦しんでいる姿を見ていたくなくて。
「夜月くん……っ」
夜月くんに歩み寄って、手を伸ばす――……。
「……っ!!」
……ベッドから飛び起きた私は、しばらく現状が把握できなかった。
真っ暗な部屋と、やけに耳に響く時計の秒針。さっきまでの白と赤の空間とは、全くかけ離れていて。
そこでようやく私は、自分が現実に還ってきたのだと気が付いた。
「あ……」
ふと、視線を下に落とすと。握り締めた指の隙間から、僅かに青い光が漏れ出していた。
ゆっくりと手を拡げてみれば、そこにあるのは奏生石のペンダント。
そっか……私、これを握り締めたまま眠っていたんだ。
夜月くんのことで不安で堪らなくなってしまうと、私はいつもこれを握り締めるようになっていた。
普段から制服の胸ポケットに入れていて、部屋ではこうやって握り締めて。
そう思い起こしている内に、奏生石からはすうっと光が消えていき、心細くなるほどの暗闇が戻ってきた。
――見ていた夢は、この石が関係するのだろうか。でも、今まではこんな夢なんて見なかった。
それに、今の夢は……どう考えても、私が見たこともない光景。もっと言えば、夜月くんの『記憶』だった。
夜月くんが忘れている記憶のカケラの、ひとつ。
「どういうこと……?」
分からない。自分の声が思っていたよりか細くて、また不安になった私は、再びペンダントを握り締めながらベッドに寝転がる。
夜月くんに、触れることができなかった。そのことが、ずっと頭の中でぐるぐると回っていた――。
「あ、ひなたちゃんに穂乃花ちゃん! おはよう!」
旅行当日。
穂乃花とともに寮を出た私は、すでに集合場所の校門前に来ていた土盾くん達と挨拶を交わす。
「ほら。もうそのシケた顔禁止」
耳元でそっと穂乃花に囁かれて、私は何とか頷いてみせる。
ずっと、頭を離れない。
西園寺さんと話していた時の夜月くんの、淡々とした声も。あの夢も。
でも、せっかく土盾くんが提案して、行くことになった旅行。みんなの好意を無駄にはしたくはなかった。
土盾くんの言っていた通り、いつもと違う環境で過ごしてみたら、気持ちの整理もつくかもしれない。……そう思おう。
そしてその為には、ここ最近みたいに夜月くんを避けたりせず、みんなと同じように接していかないと……。
「それじゃあ、行こう!」
元気いっぱいの土盾くんを先頭に、私達は駅に向かって出発した。
「土盾君のお祖父さんって、どんな方なんですか?」
それから数分後。
土盾くんと話す夜月くんの後ろを歩きながら、私は彼に話しかけるタイミングを図っていた。
存在が気付かれにくい夜月くんが人にぶつからないよう、私達は彼を囲むようにして歩いている。
だから、話題に入るきっかけはいくらでもあるはず。なのに、どうしようもなく緊張してしまった。
「…………」
彼の後ろ姿を見ていると、少し前のことを思い出す。――決定的な溝が出来てしまった、あの日のことを。そして昨日のことを。
あの夢の中での、彼の声――。
「よ、……づき、くん」
声が、……震えてる。
しまったと思うと同時に、胸の内から焦りが身体中に染み込んできた。
……こんなの、ぜんぜん普通の態度じゃない。
彼に聞こえていませんように――と。そんな願い空しく、彼はこっちを振り向いて。
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