陽光(リメイク前)
広がる距離に
「…………」
夜月くんと別れた私は、彼の姿が寮の中へ消えて行くのを見届けた後――桜の場所へ、ひとりで来ていた。
一番大きな桜の幹に腰かける。よく、彼が座っていたように。
そこで空を見上げた。かつて彼が目にしていたものを、少しでも感じたかったから。
「……っ……」
前触れなく、視界が歪む。真っ赤な夕焼けが、やけに目に痛かった。
「夜月くん……」
なんど名前を呼んだって、呼び足りない。
名前を呼んで、それで彼が返事をしてくれるなら。私は百回だって千回だって、彼の名前を呼び続けていたと思う。
「……夜月くん」
そう……ここで、夜月くんが眠っていて。私の肩に、寄りかかって来たんだ。
あの時、恥ずかしかった。けど、満たされた気持ちでいた。
誰でもなく私に、身を委ねてくれているのが、嬉しかったんだ。
「……っ」
あの時の温もりは、もう無い。私自身が、消してしまった。
ちゃんと、せめて。夜月くんのことを大切に思っていると、そう伝えられていたら。
そうしていたら、夜月くんは……。
『……ひなた』
あの日のように、彼に触れたい。でも、出来ない。
埋められない溝が、生まれてしまったから。
「…………さびしい、よ」
自分のせいなのに。身勝手にも、そう考えてしまう。
そして、その気持ちをいったん口にしてしまうと――……心の奥から溢れ出して、止まらなくなる。
「……いやだよ、夜月くん……。忘れられるのは、いやだよ……っ!!」
膝を抱え込んで、そこに顔を埋めて泣いた。
そうして、改めて感じるんだ。――忘れられた側の、痛みを。それを相手に伝えられない、苦しみを。
再会した頃の彼が、どれだけ辛かったのか。……ようやく、私は真に理解できたのかもしれなかった。
涙は、止まる所を知らずに流れ落ちていって。
でも、痛みは決して、洗い流されることはなくて。
ただただ、膿んだ傷口のように、じくじくと痛みを増していくばかりだった。
――……ふと気が付いた時には、すっかり日が沈んでしまっていた。
私は名残惜しさに耐えつつ、立ち上がる。
「遅くまで外にいたなんて知ったら、夜月くん、心配するよね……」
そう自分に言い聞かせて、ぐっと涙を拭い。何度も振り返りながらも、やがてその場を離れた。
「まさかこんな形で、あの子と普通に話が出来る日がくるとは、思いもしませんでした」
それから数日後。校門の前。私は、学園を去る深空さんの見送りに来ていた。
夜月くんの学費や、学園内における生活費はこの学園が負担してくれるとはいえ、必要なお金がゼロなわけではなくて。
お父さんがいない今、深空さんが働くしかないから。だから、もともと今日には帰る予定だったという。
「……ひなたさんには、辛い立場を強いてしまいましたね」
「いえ……一番辛いのは夜月くんですから。私は今できることを、しようと思います」
せめて、これからは彼の力になりたい。彼の望むことを叶えてあげたい。
……もし、記憶が戻らなくても。それでも……。
――忘れられたままで構わない、なんて。そんなこと、思っていないくせに。
「希望を捨てないで下さい。……いつかきっと、思い出します」
「…………ありがとうございます」
私は、ちゃんと笑えているだろうか。
……分からなかった。
記憶を失ったまま日常生活に戻ってきた夜月くんを、土盾くん達は温かく迎え入れてくれた。
戸惑いがない訳ではないだろうけれど……少なくとも表面的には、今まで通りに彼と接してくれている。
それから、一週間が経って。
「水霧君、大丈夫ですか?」
「あっ、ありがとうございます、風羽さん!」
細川先生に命じられて、優次くんが黒板の字を消そうとしていた時だった。
背が足りないのか、少し辛そうに背伸びをしていた彼を、夜月くんが素早く助けていた。
夜月くんは、記憶喪失になる前よりも、優次くんと親しくなっていて。優次くんも、あまり彼のことを怖がったりしなくなった。
それは、いい変化だと思う。
でも――。
「ねえ、ひなたちゃん」
そんな彼らを横目に、土盾くんが小声で話しかけてくる。
「夜月の事なんだけどさ。……ひなたちゃんは、このままでいいって思う?」
「え……」
「オレ達が今まで見ていた夜月ってさ、いつも無愛想で、その癖なんだか息苦しそうに生活してたと思うんだよ。でもさ……」
土盾くんは、優次くんと親しげに話す夜月くんを眺めながら。
「――今の夜月からはさ、そういう重圧?みたいなものが感じられないんだ。
だから、夜月にとっては……辛い事とか、忘れたままの方が幸せなのかなぁって。たまに考えるんだよね」
「…………」
忘れたままの方が、幸せ……。
「なあ、陸はどう思う?」
「……実際、風羽が思い出そうとしているかどうかは度外視して考えると……。あいつにとって、一番の悩みは常に人間関係だった。それを思えば、ここで全てをリセットしたのは、ある種……正解だったのかもしれないな」
私からしたら、彼らの意見はとても大人のように感じた。
お願いだから思い出して欲しいと、内心だだをこねているような私とは違う、と。
「……何もかも忘れられていた、という現状は確かに辛いが。……俺達に関する事だけを思い出して、嫌な事だけは忘れたままだなんて虫が良すぎる。――そう、俺は思う」
決して、忘れられたままでも全く構わないと言っているわけじゃない、と火宮くんは続けた。
「虫が良すぎる……かあ。でも、望んじゃダメってわけじゃないよな?」
「……ああ。当然、どう考えるかは自由だ。今話したのは、あくまで俺の意見だからな」
「でも、あたしは火宮クンの意見に同意だなー。実際問題、『自分達のことだけは思い出してー!』なんて、都合良すぎでしょ」
「…………そうかもしれないね」
複雑ではあるけれど、正論だと思った。
でも、自分の声は思っていたよりも気落ちしていて。私の本心が漏れ出ていた。
「ひなたちゃんは、思い出して欲しい?」
「…………うん」
「何がなんでも?」
「……わからない」
正直に答えると、土盾くんは少し考え込んでから。
「……じゃあさ! 今度、皆で一緒に遠くへ出掛けようよ!」
「え?」
「いつもと違う所の空気を吸ってさ、気分転換をした方がいいと思う。夜月とも、もっといっぱい接してさ。
それで、また改めて、考えてみればいいんだよ」
「それ、は」
「だってひなたちゃん、最近夜月とあんまり話してないでしょ?」
「……!!」
痛いところを突かれて、どきりとした。
……そう。夜月くんが日常生活に戻るのと同時に、私は彼と距離を置くようになっていたんだ。
もちろん、彼から話しかけられればちゃんと応対するし、時には談笑だってする。
でも。気を抜くとすぐに、また辛い気持ちが溢れ出してしまいそうになって。それを見たら、夜月くんはきっと責任を感じてしまうと思ったから。
だから最低限の付き合いしか、しないようになっていた。
そして空気で察したのか、だんだんと夜月くんも話しかけてこなくなってきて。
……ふたりきりで最後に話したのは、学園を案内した、あの日。
それから、たった一週間ちょっとなのに。……ずいぶん、遠くに感じた。
「それじゃあ決まり! んじゃあ早速日にちとか決めようよ!」
「え、あ、ちょっと待って……!」
「おーい、夜月! 優次ー!」
止める間もなく、土盾くんは夜月くんと優次くんを呼んでしまった。
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