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陽光(リメイク前)
伝えられなかった言葉


 最終的に辿り着いたのは、屋上だった。
 私と夜月くんは、ふたり並んで――と言っても、肩が触れない程度に離れて――手すりの前に立つ。

「……いい天気ですね」

「う、うん。そうだね」

 屋上には、私達の他には誰もおらず。その静けさと夜月くんとの距離、そしてさっきまでの嫌な緊張感が私の心をざわつかせていた。

 空を見上げる。雲ひとつないそれが、私達の間に流れる気まずい空気を取り払ってくれないだろうかと。そんな空想じみたことを考えた。


「……君は、空は好きですか?」

「えっ?」

 長い間、お互いに無言でいた。満ちていた沈黙を破ったのは、夜月くんの急な問いかけ。

「……気分が落ち込んだ時など、僕はこうして空を見上げます。そうすると、安心するんです。……遠く離れた誰かとも、繋がっているように思えるのです」

 空を見上げながら話す夜月くんの、その横顔に――なぜか胸が痛んだ。

 夜月くんは、こんなに近くにいるのに。手を伸ばせば、触れられるのに。
 ――いちど目を離したら、どこか遠くに消えてしまうんじゃないかと。そんな不安に駆られたからかもしれない。

「……君は、自覚していないかもしれませんが。……僕は、君に感謝しているのです。ずっと誰にも関わらないようにしていた僕を、君は救ってくれた。

 ……それは、どれだけ言葉にしても足りないくらいに……大きな気持ちなんです」

 私の顔をまっすぐに見据えて、夜月くんは告げてくる。その瞳に自分が映ったことで、不安な気持ちは収まったけれど。
 今度は、彼の思いがけない言葉に戸惑いと気恥ずかしさを覚えた。

「そんな……私は何も。初めのきっかけは土盾くんだし、それに」

「最初に君が僕に気付かなかったなどは関係ありません。君はちゃんと約束を守ってくれました。――僕の存在を、覚えていてくれた。それだけで、充分なんです」

 『約束』。その単語に、私は目を見開く。

「君は、僕に言ってくれたんです。僕のことを『忘れない』、と。……正直、期待はしていませんでした。どうせいつものように忘れられると、僕は指切りをしながらも思っていたんです。

 ――でも、君は忘れないでいてくれた」

 約束の内容どころか、それを交わしたことすら私は覚えていないのに。……私の中で膨れ上がる罪悪感とは裏腹に、夜月くんの声は微かに熱が籠もっているように感じられた。

「だ、けど。……私、夜月くんのこと……」

 後ろめたい気持ちから、夜月くんの真剣な眼差しに耐えられなくなって。私は思わず俯く。と、


「……俯かないで」

「……!」

「……顔を、上げて欲しいです」

 ――懇願するような、響きを乗せて。夜月くんは、そう囁いてきた。
 ……『顔を上げて欲しい』、だなんて。あくまでも、私の意思を尊重する言葉。

 ――そうだ。夜月くんは、そういうひとだった。

 思い起こせば、何かを一緒にする時、夜月くんは私にその選択を強制したことはない。必ず許可を取ってから、実行に移している。

 今日もそうだったけど、放課後に会う時も同じ。私を誘いはするけれど、一緒に行きたいと言い出さなければ彼はひとりで教室を出るだろう。

 夜月くんが、思い出の男の子だと気付いたあの日。――あれから彼は、私に対してずっと、そうしてきたんだ。


「……ひなた。……僕は、君がとても大切なんです。だから、君が何かを思い悩んでいるのなら力になりたい」

 交わしていた視線が一瞬だけ逸らされ、夜月くんは口を噤む。けれど、すぐにまた私の方を向いて。

「……僕に出来る事など、たかが知れているかもしれません。ですが、……それでも、僕は――」


 その時だった。


「わぁあああ! やっぱり屋上はいいよなぁーっ!」

「!!」

 突如聞こえた、扉を開け放つ音と、大きな声に。驚いた私達は反射的にそちらを向いた。

「あ、夜月にひなたちゃん! 珍しいね、放課後にここにいるの!」

 ――屋上にやってきたのは土盾くんだった。
 土盾くんはニコニコと笑いながら私達の元へやって来ると、

「やっぱ屋上はいいよね、開放的でさ!

 なんていうの? オレ、世界征服したー!って感じがするし!」

 土盾くんが現れたことで、空気が一気に明るいものに変わった気がする。……というか、今までの空気が半ば強制的に切り捨てられたような感じ。

 ――でも、そこが土盾くんの良いところでもあるんだよね。誰かが暗い気持ちになっていても、それを吹き飛ばしてしまうような明るさが。

「……馬鹿と何とかは高い所が好きだと、よく聞きますが。君はまさしくそれですね」

「えぇ、ナントカってなんだよ? 隠されると気になるじゃんかー!」

「……『馬鹿』には反応しないのですね」

 呆れたように言う夜月くんを横目に、私は考える。

 ――……夜月くんは最後に何を言おうとしたんだろう、と。


「でさ、もうすぐ星降りじゃん! 星降りの夜は、体育館でパーティーするんでしょ!? すっごく楽しみだよね!」

 星降りの日の夜。学園では食事をメインとしたパーティーを行うと、細川先生から以前HRで聞いていた。
 それは私の故郷でやっていたようなお祭りとは、規模も雰囲気も少し違ったものらしく。しめやかかつ晴れやかなもの、だそう。

 夜月くんが前に言っていたように、星降りも他の場所より綺麗に見られるそうだから……私も日々、迫り来る当日にわくわくしていたんだ。

「今年こそは、寝ないでちゃあんと星降りを見るんだ! だから最近は夜更かししないで寝溜めしてるんだよ、オレ!」

「……そこまでしなければ、日付が変わる時間帯まで起きていられないのですか?」

「えぇ、おかしいか? だってさー、」

 ふたりの会話は、噛み合っているのかいないのか。でも、弾んでるようには見えた。

 夜月くんと土盾くんは、性格も雰囲気も正反対だけれど。本当は人と話すのが夜月くんは好きみたいだし、よく喋る土盾くんと気が合うのかも。

「あ、そういえばさ。星降りの星って食べれるのかな?」

「……は?」

「だって、あれはマナの塊みたいなものなんでしょ? マナは人間の体内に常に宿ってるーってんなら、星だって食べれるんじゃないの?」

 土盾くんは想像でもしているのか、口をもごもごと動かす。――どうやらおいしいらしい。嬉しそうに笑っている。

「……あれは厳密には星ではなく、月のマナが」

「そんなの知ってるって。夜月はいちいち細かい事を気にするよなー」

「……君が気にしなさ過ぎるんです」

 想像の邪魔をされたと言いたげに、土盾くんは口を尖らせる。けれど、そこに不穏なものは全く感じられなくて。これがこの二人の空気なんだろう、と思えた。

「ねえねえ、ひなたちゃんはどう思う? 星を食べられたら、すっごくおいしそうな気がしない?」

「え、と。……うーん、そうだね。あまり想像が出来ないというか、その発想が今までなかったけど……」

 月から降ってくる青い光は、綺麗だとは思えどおいしそうだとは思ったことはない。
 それをそのまま伝えると、土盾くんは「それじゃあさ、」と切り出してくる。

「今度の星降りの日、一緒に試してみようよ。星が食べられるかどうか!」

「試す?」

「そう! 揃って口開けて、あーんってしてさ! そしたら勝手に口の中に入って来るって!」

 そう言われて、頭の中に思い描いたのは――私と土盾くん始め何人もの人が一列に並んで、空に向かって思いっきり口を開けている光景。

「……ふふっ。ちょっと、それは変だよ」

 あまりにもおかしい絵面に思えて、私はつい笑ってしまっていた。

「えー、名案だと思ったんだけどなあ」

 楽しげな土盾くんと、少しの間笑い合う。

 ……すると、強い気配を隣から感じて。そちらを向くと、


「…………」

 ――かち合う視線。
 けれど、それはすぐに彼――夜月くんの方から顔ごとサッと逸らされる。

「夜月くん……?」

「…………」

 夜月くんの表情からは、感情は読み取れない。でも、彼は『何か』を感じていたから、私をじっと見ていたんだと思う。
 ……口をきゅっと結んでいる様子は、まるで痛みに耐えているようにも見えた。

「どうしたんだよ、夜月。言いたい事が有るならハッキリ言わないと伝わんないって、前から言ってるだろ?」

「……」

 私と土盾くんは、夜月くんを見守る。
 するとしばらくの後、夜月くんは俯いた顔を上げて――私に、ためらいがちに目を合わせてから、言った。


「――……元気に、なったようで。……良かったと、思います」

「……え」

 夜月くんは……笑みを浮かべていた。さっき見たものよりも歪んだ、ぎこちない笑顔。
 私はその表情と、彼の一言に驚いて。声が全く出なかった。
 違和感として処理していたものの数々が、頭の中で急速に、パズルのピースのようにかっちりと嵌っていく。


 ――放課後になってから今まで、いつになく饒舌だったのも。『歩こう』と、普段とは違うことを提案して来たのも。……そして、自分から笑顔を浮かべようとしていたのも。

 全部――私を気遣っていたための行動だったんじゃないか、と。

「……夜月くん……」

 ありがとうを、言わなくちゃ。そう思うのに、うまく声にならない。

 それはたぶん――夜月くんの様子に、引っかかりを覚えたからだ。『良かった』という言葉とはかけ離れた、なにかを隠しているように感じられたから。


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