陽光(リメイク前)
胸の奥のざわめき
――逃げ込んだトイレの、洗面台の前で。
「はあああ……」
長い溜め息を、ひとつ。
「私、なにやってるんだろう……」
本当に。
昨日までとは、いきなり私の態度が変わって……夜月くん、絶対おかしいって思ったよね……。
「……はあ」
朝からこんなんじゃ、身が保たないよ……。
そう思いながら、私は俯いていた顔を上げて、鏡を見る。
「……っ」
すると、夜月くんが触れたところが嫌でも目に入って。思わず、自分の手でそこを押さえた。
再び顔に熱が集まるのを感じながら。さっきまで夜月くんの温もりがあった髪を、ぎゅっと握る。
――ただ単に、夜月くんは私に寝癖の付いている部分を教えようとしただけで。それ以外の意味は、なんにもないんだから。……本当に、なんでもないんだから。
だから、こんなに恥ずかしくなるのはおかしい。いくら男の子に触れられるのが慣れてないって言っても、こんなに赤くなるのはおかしいんだ。
……ましてや、夜月くんの手が離れて『寂しい』だなんて。……絶対に、おかしい。
――今の私、おかしいところばっかりだ……。
それから間もなく、予鈴が鳴り響き。私は慌てて寝癖を直すと、何度も鏡を確認してから、教室へ向かった。
「あ、ひなたちゃん! おはよう!」
夜月くんと会う緊張と気まずさで、恐る恐る教室へと足を踏み入れる。
なるべく普段通りを装いつつ、いつも通り元気いっぱいな土盾くんを始め、穂乃花たちとも挨拶を交わした。
でも。
「……あれ……?」
夜月くんがいない。私より先に教室へ来たはずの彼の席は、ぽっかりと空いていた。
……どうしたのだろう。
自分の席に向かいながら、きょろきょろと辺りを見回す。と、
「……!!」
――夜月くんは、すぐに見つかった。見つかった、けれど。目にした光景に、私は自然と足を止めていた。
「ひなたちゃん、どうしたの? ――ああ、夜月?」
私の視線を追って察したのか、土盾くんはすぐに説明してくれる。
「それがさ。夜月が教室に入ってきた途端、瑠璃香ちゃんがあっちに引っ張って行って。さっきから、ずーっと話してるんだ」
私が見た光景、それは。
夜月くんが――クラスメイトの西園寺瑠璃香(さいおんじ るりか)さんと、向かい合って話しているところだった。
西園寺さんは、火宮くんと学年一、二を争う成績優秀者で。ぱっちりとした目やスタイルの良さ、ハキハキした性格でクラス問わず人気の女の子。
私は、あまり話したことがないけれど……それは絡む機会がなかったからだ。
まさか、そんな西園寺さんと、夜月くんが。一緒に……ふたりきりで、話してるなんて。――まったく考えたこともなかった。
だって夜月くんが、私達グループメンバー以外の人と話すことは、皆無に近くて。……女子となんて私自身を除けば、穂乃花以外とは話しているのを見たことがなかったから。
――だけど、あの光景は本物。
内緒話でもしてるのか、西園寺さんは夜月くんに、やけに顔を近付けて。何事かを、熱心に話している様子で。
対する夜月くんは、無表情ながらに、西園寺さんをじっと見つめていて。
ふたりを遠巻きに眺める人々の中には……からかうような視線を投げているような人も、いて……。
――ジュクジュクとした、痛み。まるで傷口が膿んでしまったような痛みが、胸に走った。
「……ひ、ひなたさん、大丈夫ですか?」
「……えっ、あ、……なにが?」
「え、いえ、その……。すごく驚いている、よう……だったので……」
優次くんが話しかけてくれたことで、私は夜月くんから目を逸らせた。でも、それに安堵と同時に焦りも感じる。
……なんの話をしているんだろう、とか。それは西園寺さんにとって、夜月くん以外には話せないことなのかな、とか。
――夜月くんは、西園寺さんと話すのが楽しいのかな、とか。
頭の中が、ごちゃごちゃして。胸の奥が、もやもやして。
視線を外しても、夜月くん達が気になって仕方がない。
「ね、ねえ。……今まで夜月くん、西園寺さんと話してたこと、あったっけ……?」
「……いや、記憶に無いな」
「…………そっ、か」
――どうしてこんな、いきなり。そう思ってしまった。
「……西園寺が、男子とああやって話すのは珍しいな。……普段は、いつも何人かの女子に囲まれている。男子には話しかけられても、適当にあしらっているという印象だ」
「……!」
火宮くんの言葉に、私は頭をガンと殴られたような衝撃を受ける。
男子にはいつも、つれない態度を取る西園寺さんが。もしかしたら『唯一』、自分から話しかけに行ったのが――夜月くん、なの?
しかも、私だけじゃなく、火宮くん達だって知らない間に。ふたりで話すような仲に、なってたのかも……。
「そうだっけ? 瑠璃香ちゃん、陸とも割と話してない?」
「……成績の面で、一方的に敵視されている気はするが。……雑談などは、持ちかけられた事はない」
土盾くん達の会話が、どこか遠くに聞こえる。
茫然とした気持ちのまま、私は自分の席に着いた。
「やっぱ男子は駄目だねぇ。あんなに分かりやすいのにさ? ――ねえ、ひな……ちょっと、ひなた?」
前の席にいた穂乃花は、椅子に膝立ちになりながら、少し咎めるような声で話しかけてきた。
「……まさか、気付いてないの?」
「え……気付いてないって、なにが?」
「……。あー、それならいいや、うん。そういや、ひなたは西園寺さんとあんま話したことないもんね。だったら気が付かない可能性もあるかも」
「??」
わけが分からなくて、私はいくつも疑問符を浮かべる。けれど、穂乃花は教えてくれるつもりはないみたいで。それ以上は、何も言ってくれなかった。
「それより。まごまごしてて大丈夫なのぉ? ――そんなんじゃ、風羽クンを取られちゃうかもよ?」
「……!!」
耳打ちされた最後の言葉に、私は目を見開く。胸の奥が、ざわついた。
「西園寺さんは男子の憧れだからねえ。いくら朴念仁の風羽クンでも、あの子と顔を突き合わせて話が出来るなんて今の状況は、内心歓喜じゃない?」
「……」
なにも言えなくて、ただ俯く。
穂乃花はいつものように、世間話でもするような軽い口調で続けた。
「まー、そこまでショック受けるのは、昨日あたしが煽ったせいもあるかもだけどさ。でも遅かれ早かれ、今みたいな状況になってたと思うし。嫉妬してるヒマがあったら、何か対策でも考えたら?」
「嫉妬……」
この……もやもやした気持ちが、嫉妬……?
「――あ。話、終わったみたいだよ」
「!」
見れば、夜月くんがこっちに向かって来ていた。――西園寺さんと、一緒に。
連れ立って歩くふたりの姿を目にすると……胸のざわめきが、どんどん強くなっていくように思えた。
「火宮陸!」
「……なんだ」
開口一番、西園寺さんは火宮くんを大声で呼んだ。火宮くんは少し辟易したように返事をする。
「……今度の小テストこそは、負けないからね」
「……? ああ……そういえば、もうすぐ魔法薬の授業の小テストだったな」
「一点差で負けるなんて、私のプライドが許さないから! あなたにだけは、絶対に負けないんだからねっ!」
「そ、そうか……まあ……分かった……」
たじろぐ火宮くんに対し、西園寺さんは気合い充分のようで。「そんな余裕でいられるのも今の内よ!」と言い捨てると、すたすたと自分の席へ帰って行った。
「……結局、なんの用だったんだ」
「ただ単に、決意表明したかっただけ……なんじゃないでしょうか……」
困惑する火宮くんや優次くんを横目に、夜月くんが私の前にやって来る。彼を目の前にすると、さっき会った時とは違う暗い緊張感に襲われた。
「……先程はすみませんでした。……女性の髪に触るなど、不躾だったと反省しています。……今まで何度も手に触れておいて、なにを今更……と思うかもしれませんが」
「う、ううん。私の方こそ、急に走り出したりしてごめんね」
夜月くんの様子は、いつもと変わらない。……けど、だからこそ――ざわめきはさらに大きくなっていった。
私への態度と……西園寺さんへの態度とでは。――全く意味も、種類も違うのかもしれない、と思ったから。
「……ひなた……?」
「――え。あ、な、何でもない、よ」
訝しげに目を細める夜月くんに、私は無理やり笑う。……彼の眉間の皺が深くなったように見えたけれど、気が付かない振りをした。
「もうすぐ、HRが始まるし……席に着かないと、細川先生に怒られちゃうよ」
会話は終わったよねと言わんばかりに、鞄から適当なノートを取り出し、ページを開く。
胸の奥がもやもやして、痛くて、苦しくて。――どういう顔をして、夜月くんと話したらいいのか分からなかった。
「…………」
しばらく、痛いほどの視線を感じたけれど。やがて夜月くんが遠ざかる気配を感じて、ほっとする。
「……はあ。なぁにやってんのさ、ひなた」
そんな中。
夜月くんとの一部始終を見ていた穂乃花に、盛大な溜め息を吐かれた。
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