陽光(リメイク前)
その手が触れて
――翌朝。
私含め、教室へ向かう生徒が行き交う校内にて。歩きながら、ふうと溜め息を吐く。
――今日は、いつもより登校するのが遅い。
なぜかといえば、寝坊したからだ。
昨日の夜、穂乃花からあんな話をされて。夜月くんのことを考えると、どうしようもなく緊張してしまうようになってしまった。
その結果、なかなか寝付けず。遅刻したというわけだった。
とはいえ、急いで部屋を出たお陰で、時間としてはいつもより少し遅いという程度。予鈴が鳴る前後には、教室へ着けるだろう時間帯だ。
「……はあ」
また溜め息を零しながら、俯きがちに歩く。
これから夜月くんに会うのだと思うと、気が重い。
――私は、夜月くんのことが好きなのか。
その答えは、まだ見つかっておらず。心の整理も、まだ付いていなかった。
こんな状態で夜月くんに会ったら、どうなっちゃうのかな……。
……とにかく、なるべく昨日のことを考えないようにしよう。そう考えながら、顔を上げると――……!
(よっ、よ、夜月くんっ!)
進行方向に――夜月くんの後ろ姿が見えて。危うく口から出そうになった言葉を、必死に飲み込んだ。
どうしてここに、と思いかけて。夜月くんはいつも今ぐらい――予鈴が鳴る前後の時間帯――に教室へ来ることを思い出した。しまった……。
夜月くんは鞄を手に、淀みのない足取りで窓際を歩いている。時おり誰かとぶつかりかけるも、ひらりとかわしていた。
――以前、火宮くんと三人で出かけた時。夜月くんが人に存在が気付かれにくいことを、私は彼から聞いた。
……だから、余計にそう感じるのだろうか。
『人を避ける』ということが身体に染み付いているかのように、夜月くんの所作は自然で。――何だか、寂しく見えた。
「…………」
――どうしよう。一定の距離を保ちながら、私は途方に暮れていた。
彼の後ろ姿を見つめていると、自然に鼓動が早まっていくのを感じる。
もし今、私が話しかけに行ったら。夜月くんはどんな反応をするのかな……。
向かう場所は同じ。このままだと、夜月くんが先に教室に入って、私が直後に入ることになる。それは微妙に気まずいから避けたい。
……どうしよう。追いかけて話しかけに行くか、それとも知らないフリをして追い抜いてしまうか。
(……ううん)
――後者は無いな、と私はすぐに思い直す。
だって、そんなことをしたら。――夜月くんの存在に、気が付かなかったみたいじゃないか。……そう思ったから。
「……夜月くん」
呟きながら、胸に手を当てる。
すごく緊張してる、けど。――夜月くんの顔が見たい。声が聞きたい、とも思えて。
私は勇気を振り絞り、早足で彼を追いかけた。
「――おっ、おはよう、夜月くん!」
妙に上擦った、無駄に気合いの入った声になってしまった……。変に思われなかっただろうかと、振り返る夜月くんをドキドキしながら見る。
「……ひなた。おはようございます」
いつも通りの無表情で、夜月くんは挨拶を返してきた。……でも。
「…………」
「……よ、夜月くん? どうしたの?」
なぜか、じぃっと顔を見つめられて。ありえないのに、鼓動の音が聞こえやしないかとハラハラしてしまう。
「……いえ。今日はいつもより、遅いのですね」
「う、うん。ちょっと寝坊しちゃって」
「君が? ……珍しいですね」
なんで寝坊したのかなんて、絶対に言えるわけない……!
僅かに驚いた様子の夜月くんに、私は引きつった笑みを浮かべた。
「……だから、でしょうか」
「えっ?」
「……言うべきかどうか、迷ったのですが。――寝癖が付いてますよ」
……っ!!?
ねぐせ……寝癖……えっ?!
予想外の言葉に、私はパニックになる。そういえば今日は急いで準備したから、部屋を出る時に鏡を確認していなかった。
寄りにもよって、夜月くんに指摘されるなんて……!
「どっ、どこ!?」
「そこです。顔のすぐ近く……」
「え、えっと……!」
髪を掴んでみるけれど、取り乱しているせいかよく分からない。早くどうにかしたいのに、気ばかりが焦ってしまう。
――そんな私を見ていた夜月くんは、何を思ったのか。
「…………少し、失礼します」
「えっ? ……――っ?!!」
一瞬、息が止まって。どくりと、心臓の音が耳に響いた気がした。
――夜月くんの指先が、私の頬を掠めたかと思うと。少しぎこちない手付きで、髪を掻き分け。そうっと、労るように握ってくる。
その行動は、あまりに突然で。ただでさえ、夜月くんと一緒にいるだけでドキドキしていたのに。――なにもかも、私の羞恥心を煽るのには充分で。
「……これ、ですね。…………ひなた?」
触れられた途端、ぴくりとも動かず。言葉も返さなくなった私を訝しんでいるのだろう。夜月くんは首を傾げて、私を呼んだ。
「……あっ、あ……あの」
……今の私。きっと顔、真っ赤になってる。
夜月くんの手が、私の髪に触れている。ただそれだけで、ふたりの距離がもの凄く近くなったように思えて。恥ずかしくて、たまらなかった。
「……ごっ、ごめん! 私っ、このままじゃ恥ずかしいから、その、直して来るから! ――じゃあ、教室でねっ!」
「あ……」
このままじゃ、どうにかなってしまいそうで。いても立ってもいられなくなった私は、思わず身を引いて――夜月くんから背を向け、駆け出していた。
――夜月くん、絶対、変に思った。
いったん落ち着かなければと、トイレまで走って行く間。
私の中にあったのは、それを嘆く気持ちと。
――自分から逃げたくせに。
夜月くんの手が離れて、『寂しい』、だなんて。
そんな、勝手な思いだった。
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