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陽光(リメイク前)
無意識に

「……ねえ。夜月くん」

「はい。……なんでしょうか」

「その、……」

 『枷』について聞こうとして、思い留まる。なんて切り出したらいいのか、分からなかったから。……いや何より、そんな気軽に聞いていいことなのかと躊躇いを感じたからだ。

「……僕の枷の事……でしょうか?」

 言いよどむ私を、夜月くんはじっと見つめて。やがて、小さく呟いた。
 ――いくら感情が顔に出やすい方とはいえ、こんなすぐにバレてしまうとは……。

「……それなら……君が思い悩む事は何もありません」

 夜月くんの声には、悲壮感などはなく。嘘は吐いていないと、感覚で分かるものだった。

「……でも……」

 しかし、私の心には影が差す。
 ――自分は、夜月くんに枷を負わせた人間なんだ。そう思うと、気にするなと言われてすぐさま納得は出来ない。

「……そもそも君に逢うより前から、僕は枷を負っていました。……それに、あの時の君の怪我は大したものではありませんでしたから、受けた枷もそこまで重くならなかったのです」

 だから大丈夫だと、夜月くんは告げてきた。

「……例え、大した怪我ではなくとも。……独りで泣いている君を、放って置けなかった。……だから力を使ったのです。

――全部、僕がそうしたくてやった事ですから」

 ……大したことのない怪我だったからこそ、本来負う必要のない枷を負わせてしまったのでは。そんな風に思った私を安心させるように、夜月くんはまっすぐに見据えてくる。
 無表情だし、瞳にはあまり生気が感じられない。けれど、その声色と眼差しには、優しさがありありと感じられて。――ごめんなさいとか、そんな言葉は逆に彼を傷つけると思った。

「夜月くん……ありがとう」

 ――だから。私は言った。ずっと伝えたかった、『ありがとう』を。

 七年前、私を助けてくれて。『大丈夫』と、手を差し伸べてくれて。本当に、ありがとう、と。

「……私……夜月くんに逢えて、良かった」


 心から、そう思えた。




 ――柔らかなそよ風が、頬を撫でる。


 夜月くんが思い出の男の子だと気が付いたあの日から、二週間が経った頃。私は彼と再会した、あの桜の場所へとやってきていた。

『……僕の枷が、どういったものかについては。……すみません、今はまだ……言う勇気が出ないのです。

……いつか――君に言える日が来るまで。……待っていてくれませんか……?』

 いつも通り、桜の木へと続く茂みへと足を踏み入れながら。私は、夜月くんが言っていたことを思い出す。

 ずっと言いたかった、七年前のお礼を伝えた私に。夜月くんは、申し訳なさそうにそう告げてきた。

 ――枷に関しては、彼の人生に深く関わっていること。だから、言えないのは仕方がない。
 夜月くんのことを知りたいという気持ちはあるけれど、無理に聞くのは駄目だ。私は彼に従って、いつか話してくれるのを待とうと思った。

 ……それに、今までのように、ただ隠そうとしているわけじゃない。勇気が出ないと本音を言った上で、『待っていて欲しい』と言ってくれたのが、嬉しかったから。


 歩を進める度、だんだん土や草木の匂いが強くなる。――それと同時に、知らず知らずに胸の中にあった期待も、大きくなっていく。


 茂みを越え、開けた場所に出る。目的地である、桜の場所へ――。


「……すぅ……すぅ……」

 そこに……一番大きな桜の幹に寄りかかって眠る、夜月くんがいた。
 手から零れ落ちたのか、傍には本が無造作に置かれている。

「……」

 足音を立てないよう、そうっと近付く。
 あどけない顔で寝ている夜月くんからは、張り詰めた空気は感じられない。


 ――あの日から二週間。夜月くんの風邪は治り、彼をずっと苛んでいた不眠も解消されつつある。まだ眠り自体は浅いようだけれど、寝付きは随分よくなったと言っていた。

 ――ストレスの大元だった悪夢も、見なくなったと。そう聞いて、私はホッとした。

「……すぅ……」

 穏やかな寝息。彼の言う通り、そこには悪夢の影なんてカケラも見当たらない。


 最近は放課後になると、私はこの場所を訪れるようになっていた。今日はひとりだったけれど、夜月くんと一緒に来ることもある。
 はじめは、病み上がりの彼が心配だったからというのもあったけれど……今はただ、なんとなく足を運んでいた。なんとなく、夜月くんと話していたいと思って。

「――話すだけなら、教室でも出来るはずなんだけどな」

 自分でも疑問に感じて、つい呟いてしまう。
 あの日以来、夜月くんは前より皆と話すようになっていた。前は話しかけられない限り、ほぼ会話をしなかったのを考えると、明らかな変化だ。
 もちろん、私だって以前のように無視もされない。……だから、話そうと思えば話せるのに、な。

「…………」

 答えの出ないまま、私は夜月くんの隣に膝を揃えて座る。彼は寝ているのだし、そっとしておくべきなのに。……なぜだか、このまま立ち去る気になれなくて。
 ……そ、それに。ずっとここで寝ていたら、身体が冷えてまた風邪を引いてしまうかもしれないし。――って、なにを自分に言い聞かせているのだろう。

「すぅ……すぅ……」

 夜月くんが起きる気配はない。……その無防備な寝顔を、見ていたら。

「…………」

 無意識に、手を伸ばして。彼の頬に、触れている自分がいた。

 ――どうして、だろう。

 私自身、なにを考えてそうしたのか分からない。分からない、けど。
 ただ、彼に触れたとき。……心の奥底に、火が灯ったような。あたたかい感情が、湧き上がってくるような気がした。


「……う……」

「……!」

 しまった。
 僅かに眉を顰め声を漏らす夜月くんに、ハッとした私はすぐさま手を引っ込める。

「……んん……」

 しばらくドキドキしながら見守っていると、夜月くんは身じろぎして。


「――……えっ?」


 ぽすり、と。音で表現するなら、そんな感じだろうか。

「よっ、夜月くん?」

 それは、一瞬のこと。
 夜月くんの身体が、ふいに傾いて。――私の肩に、寄りかかる形になっていた。

「…………すぅ」

 私の呼びかけに対し、夜月くんは寝息で返してくる。……起こしてしまったわけじゃない、のは、いいけど。

「……っ」

 心臓の鼓動が、一気に速まる。
 夜月くんの顔が、私のすぐ近くにあって。――耳元で聞こえる微かな寝息が。感じる体温が。全てが、私の心をかき乱していく。

 ……それだけでも、どうにかなってしまいそうなのに。


「……ひなた……」

 掠れた声、が。……私の名前を呼ぶ、その声が。どんどん深みに入っていくように、私の緊張感を加速させた。

「……よ……づき、くん」

 たまらず、私は声を上げた。夜月くんに寄りかかられて動けない今、声でも出さないとおかしくなってしまいそうだったから。

「っ……」

 ――どうしよう。
 夜月くんの存在をすぐ傍に感じながら、私は途方に暮れていた。

 胸の内では様々な感情が複雑に絡み合って、鼓動とともに暴れている。出来ることなら、今すぐ逃げ出したいと思ってしまうほどだ。
 ……でも、気持ち良さそうに眠っている夜月くんを起こしたくない。心の中でそう何度も唱えて、私は何とか動かずにいられた。


 ――それに。

 心の奥底では、この温もりをもう少し感じていたいという気持ちもあった。恥ずかしさのあまり逃げ出したい、という感情とは矛盾しているけれど。間違いなく、そんな思いが芽生えていた。


 ――外界から隔離された、この場所で。

 安らかな時間が、私達の間だけで流れているようだった。


「……ひなた」

 夜月くんは、なんの夢を見ているのだろう。

 そっと顔を覗き込めば、彼がほんの少し――笑っているような気がした。



End.



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