陽光(リメイク前)
嬉しいこと
「――……それに」
夜月くんは私から視線を逸らして、声のトーンを落とす。
「……昔の僕と今の僕が、君の中で繋がってしまったら。……いつか君が僕を忘れてしまう時に、『思い出の僕』すら、消えて無くなってしまうかと思えば。
……どうしても、自分から名乗り出る事は出来ませんでした」
――いつか、忘れられる? 私の中で、『思い出の男の子』と『今の夜月くん』が、重なった時?
思わず、どういう意味か尋ねると。夜月くんはしばらく口を噤んでから、再び語り出した。
「……。……そんな、夢を見たんです。僕の存在に気が付かずに、君が僕の横を通り過ぎていく。……そんな夢を」
「……! それって……まさか」
木梨先生から聞いていた話を思い出す。夜月くんが、『絶対に現実になって欲しくない』悪夢を見ているということを。
「……何度、呼びかけても。叫んでも、君には届かなかった。君は遠くで、他の人に囲まれて……幸せそうに、笑っていました」
――寝ている間、夜月くんがずっと私の名前を呼んでいたのは。いかないで、と訴えていたのは。……そういうこと、だったんだ。
「……君と一緒に過ごせば過ごすだけ、僕は欲求を膨らませていました。声が聴きたい、話がしたい、……触れたいと、思いました……」
……でも、そうするわけには行かなかった。親しくなればなるだけ、いつか忘れられた時に辛いと思ったから。それを考えると、同じ空間にいるだけで――逃げ出したくなるから。
そして。欲求に任せて、もしも正体を明かしてしまったら。……私がショックを受けると思ったから、と。
「一度、君に触れてしまったら。僕はきっと、歯止めが効かなくなると思いました。もっともっとと、際限なく求めてしまいそうでした。……だから、僕は君と一定の距離を保とうと決めたんです」
――……けれど。その考えも、私から『会いたい』という手紙が送られてきたことで、崩れ落ちてしまった。
「……僕は、あからさまに君を避けるようになりました。いっそ嫌われてしまえば、君の悩みは少しでも軽くなるのではと。
……ですが。結局、正体を明かしても明かさずとも、僕は君を悲しませてしまう。――それに気が付いた時、僕は途方に暮れました……」
正体を明かせば、思い出と現実のギャップに。
明かさなければ、手紙の返事がないことや、避けられることに、私が傷つく――そう考えて。
――……夜月くんは、八方塞がりになっていったんだ。
「……本当は、君に触れたい。笑顔を見たい。……でも、一緒にいたくない。
正体に気付いて、受け入れて欲しい。……いや、気が付かないで欲しい。忘れられたくない。
……そんな矛盾した感情が、いくつも頭の中に渦巻いて。……どうすればいいのか、何をしたいのか、分からなくなって……」
……そうして、疲弊しきった心と身体が限界を訴えて――倒れてしまったんだ。
「……ひなた」
夜月くんは、私に視線を合わせる。
「今まで……君の気持ちを無視して、傷つけてきて。……すみませんでした」
包み込まれている手が、ぎゅっと強く……握り締められた。
「夜月くん……」
彼が、今まで抱えていたこと。倒れた原因。それらに、私は深く関わっていた。
……夜月くんは、思い出の男の子。ずっと会いたいと、思っていた人。
だから――私は、言わなければいけないと思った。
「……ありがとう、夜月くん。本当のこと、話してくれて」
夜月くんに握られていない、もう片方の手を彼のそれに重ねる。と、夜月くんの手が一瞬びくりと反応したのが分かった。
「……私はまだ、夜月くんのことを全部は思い出せてない。少しだけ思い出せたのも、眠っていた夜月くんが名前を呼んでくれたからで……偶然だったの」
「……」
「そんな私が、言えることじゃないかもしれないけど。――私は、夜月くんの本当の気持ちを知れて、嬉しかった」
夜月くんのことに気付かなかった頃から、私は彼の本音を知りたかった。壁を造られる理由が分からなくて、――避けられるようになってから、その気持ちはどんどん大きくなって。
どうして――って、ずっと思ってた。
「夜月くんは私に酷いことをしたって思うかもしれないし、避けられたりしたのは実際ショックだったけど。……今は何より、聞けて良かったって思うんだ」
そして、安心したんだ。――夜月くんに、嫌われていたわけじゃ無かったことに。
「……ひなた……」
私の正直な気持ちを話すと、夜月くんは目を細めて。
「……嫌いになど、なりません。僕は、君が……」
「…………夜月くん?」
「……ひ、人として……好意を持っていると。……そういう事です」
急に黙り込んだ夜月くんは、やがてどもりながら言った。恥ずかしいのか、頬を赤く染めている。その赤みは熱のせいだけではないと、すぐ分かるほどだ。
そんな姿を見て、私は可愛いなと思うと同時に。――嬉しいという気持ちが、心の底から湧き上がってくるのを感じていた。
「ありがとう。……私も夜月くんのこと、好きだよ」
「! …………そう、ですか」
思わずそう言うと、夜月くんは長い沈黙の後、小さく呟いた。そっけない返しだったけど、それが照れ隠しなのは紅潮した顔を見れば一目瞭然で。私は思わず笑ってしまった。
「……」
「あ……ごめんね。からかってるつもりじゃ無かったんだけど」
「……いえ、いいんです」
そして夜月くんは――予想もしていなかった言葉を返してくる。
「……僕は、……初めて逢った時からずっと、君の笑顔が好きですから」
「……!!」
――……どきりとした。
その発言と、ふわりと浮かべた笑みに。
――初めて逢った時から、好き。それはつまり、七年前からを指していて。
顔が急激に熱くなっていくのが、自分でもよく分かった。
「……なぜ、このタイミングで恥ずかしがるのですか」
「だっ、だって、その……」
夜月くんの笑顔がふっと消えてしまったことに少し残念な気持ちになりつつ、私はしどろもどろに言葉を返す。
「…………僕が馬鹿のようです」
「え、どういう意味?」
「……何でもありません。独り言です」
それきり、夜月くんは口を閉ざして。しばらくの間、静かに時間だけが流れていた。
「……君は、いつだって真っ向から言葉をぶつけてくる。……今まで、ずっとそれが眩しくて……苦手でした。
――自分の本音など、言える筈が無いと思っていたからです」
応えることが出来ない言葉を聞き続けるのは苦痛だったと、夜月くんは零した。
「……ですが。……今は、君の言葉を素直に聞いて、応える事が出来ます。……僕は、それが嬉しいのです。
本当に――ありがとう、ひなた」
ありがとう。その発言とともに、夜月くんはまた笑ってくれる。私は、それが凄く嬉しかった。
――それから、私達は色々なことを話した。
私は夜月くんから、彼の持つペンダントが、昔お母さんから貰った『お守り』だということと。――お父さんがもう亡くなっていることを聞いた。
そのふたつ以外のことは、あまり夜月くんは話そうとせず。彼は、私の話を聞きたいと聞き役に回ることが多かった。
体調のこともあるし、特に嫌だとは思わなかったけれど。ひとつだけ、気になっていることがあった。
――……夜月くんが負っているであろう、『枷』のことだ。
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