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陽光(リメイク前)
触れ合う


「……!」

 夜月くんの元から離れた私は、さっきまでは無かったものをテーブルの上に見つけた。
 メモ帳を切り離したような小さな紙切れと、お皿に置かれたパンがふたつ。何か書かれている紙切れを手に取ってみると、そこには複数の筆跡でメッセージが書かれていた。


『気持ちは分かるけど、無理はしないでね! ご飯もちゃんと食べなきゃ駄目だよ!』

 ――文章からも、元気さが溢れている土盾くんと。

『まあ頑張ってねー。風羽クンはお大事にー』

 ――小さくて可愛い筆跡の穂乃花。

『ぼ、ボクも応援してます! 風羽さんには、お大事にとお伝え下さい!』

 ――慌てん坊な性格が出たのか、妙に走り書きな優次くん。

『無理はするなよ』

 ――そして。簡潔な一言を書いてくれたのは火宮くんだった。


「みんな……ありがとう」

 ……みんな、ここに来てくれてたんだ。

 あたたかい言葉が、胸の奥にじんわりと滲んで。私はメッセージが書かれた紙を持つ手に、少しだけ力を籠めた。


 ――そういえば、食事……取ってなかったな。

 壁に掛けられた時計を見ると、普段ならもう晩ご飯を食べている頃だった。窓の外も真っ暗で、空には綺麗な満月が浮かんでいる。

 夜月くんは、お腹空いてないだろうか。……うん、聞いてみよう。
 そう思い、お水を入れたコップと、薬のビンを手に、いったん夜月くんのところへ戻ると――。


「……!」

 想定もしていなかった事態に、私は目を見開いた。一体どうしたことか、夜月くんが――ベッドから起き上がろうとしていたのだ。
 身体を起こしてはいるけれど、寝かせた腕を支えに何とか保ってるような状態。いつバランスを崩して倒れてもおかしくない、そう感じた。

「夜月くんっ……!」

「……邪魔を……しないで下さい……」

 コップを近くのミニテーブルに置き、慌てて夜月くんの身体を支える。と、彼は俯いていた顔を上げ、私を睨みつけてきた。
 でも、その表情は、さっきよりも気だるげに見えて。もしやと思い、彼の額に手を当てて熱を計ろうとする。と、


「やめっ……!!」


 悲鳴に似た声に、私は無意識に手を止める。
 そして、夜月くんは私を遠ざけるように、肩を押してきた。――何度も、なんども。

 けれど、普段からは想像もつかないほどの大きな声とは裏腹に……その力はとても弱々しかった。

「……触らないで……下さい……っ」

 ――絞り出すような、掠れた声。私を突き放そうとする腕の、弱々しさ。

「……夜月くん……」

 なにより――今にも泣き出してしまいそうな顔をしているのに。……どうしてそんなに、自分を追い詰めるの?

 ……どうして――。


「……! なにを……っ!」

 自然と、私は夜月くんを支える腕に力を籠めていた。それを咎めるような夜月くんの言葉も、無視して。

「――夜月くん」

「っ……!!」

 夜月くんの頬に、手を当てる。途端、彼の身体が固くなり、ぴくりとも動かなくなった。
 触れた頬からは、人肌のぬくもりだけではない熱を感じる。……最初ほどではないにしろ、まだ十分に熱を持っていたことは、すぐに分かった。

 さっき、だいぶ熱が下がったように感じたのは。
 ――また、私の前では平気な振りをして。……無理、してたんだ。


「どうして、自分を傷つけようとするの?」

 私は夜月くんの瞳を見据える。僅かに揺らぐそれは、彼の中に何かしらの感情が渦巻いていることを窺わせた。

「ずっと……ずっと、夜月くんは辛そうな顔をしてる」

 目を覚ましてからというもの。夜月くんが私へ、拒絶の言葉を掛けるたびに。……声を発した彼自身が、傷ついたように――顔を歪ませていたんだ。

『でも……いいんです。もう……どうせ、僕は傍にいても……悲しい顔をさせるばかりですから』

 ――さっき、彼は言っていた。自分の言動が、私を悲しませると。

 ……でも。それを言うなら。


「……夜月くんの、そんな顔を見ている方が――私は悲しいよ」

「……!!」

 必死に私を拒絶しようとして、でも完全に非情には成りきれなくて。そんな矛盾した、ともすれば中途半端な状態が。――痛々しくてしょうがなかった。

「私は夜月くんのことを、もっと知りたい。……今まで忘れてしまっていた分だけ、夜月くんを知りたいよ」

 七年前に、知れなかったことも。今の彼が、感じていたことも。

「……だから、お願い」

 本心を包み隠さないで、素直な気持ちを聞かせて欲しいと。――私は、そう伝えた。


「…………」

 しばらくの間、私達は見つめ合ったまま動かずにいた。まるで時が止まってしまったかのように。

 私は、夜月くんの答えを待っていた。ただじっと、待っていた。


「…………どうして……」

 交わっていた視線が、ふいに逸らされる。夜月くんは目を伏せて、か細い声を発した。

「……どうして……」

 私に訴えかけるような、けれど弱々しい呟きは。口にした瞬間から空気に溶けていくような、儚さを感じた。


 ――『どうして』。考えるとそれは、私達の間には常につきまとっていた言葉だったように思う。

 理由はたぶん、……お互いの気持ちが、噛み合っていなかったから。私は夜月くんの本音を知らなかったし、夜月くんは私の本音を知らなかったからだ。

「やっぱり、本当の気持ちは……言葉にしないと、ちゃんと伝わらないんだね」

 私は、夜月くんの頬に当てた手を動かして、彼の顔を上げさせる。そうしてもう一度、視線を合わせた。

「っ……」

 ……次に私が告げる言葉が、どれだけ恐ろしいものだと思っているのか。夜月くんは怯えたように、びくりと反応して。

 ――私は、伝えたかった。私が夜月くんに言いたいのは、そんな酷いことじゃないって。彼を、安心させたかった。

 だから。私は、言ったんだ。


「――怖がらなくて、大丈夫だよ」


 かつて彼が、私を安心させてくれた言葉を。……私の中に根付いていた、彼の言葉を。

「夜月くんの本当の気持ちが、どんなものでも。私は、それをぜんぶ受け止めるから。……絶対、失望したりしないから」

「……!! ……ひな、た」

 茫然とした様子で、夜月くんは私の名前を呼んだ。

「…………ひなた……」

 変化に乏しかった表情は、くしゃりと歪み。涙が一筋……私の手を伝って、流れ落ちた。

「……ありがとう……ございます……」

 頬に当てている私の手に、夜月くんは自分のそれを伸ばす。ゆっくりと、僅かに震わせながら。

 そうして――私達は初めて、自分の意思で触れ合い。お互いの体温だけを、感じていた。


「……あたたかい、です……」

 やんわりと握り締められる手は、泣きたくなるくらいに――温かかった。

「……君はいつだって、あたたかいです……」

 そう言いながら。夜月くんは、笑ってくれた。なにも欠けていない、心から幸せそうな笑顔で。




 それから、私は木梨先生から預かっていた、青い石のペンダントを夜月くんに返した。
 さっき、ベッドから起き上がろうとしていたのは。自分が身に着けていたはずのペンダントが無くなって、とにかく探さなくてはと焦っていたからだったらしい。
 ペンダントを受け取った夜月くんは、安堵の息を吐いていた。

 そうしてしばらくは、水を飲んだり食事をしたり。他愛のない時間を過ごしていた。


「――最初は……ただ、幸せでした」

 ――……やがて。ベッドに横たわる夜月くんは、話を切り出した。左手はペンダントを握り締め、右手では私の手を優しく包み込みながら。

 ――本音を話すのは、まだ不安だから。だから、触れさせて欲しい。夜月くんはそう言っていた。


「……僕は、嬉しかったんです。君が七年前の事を覚えていてくれた事が……ただ、純粋に嬉しかった。

――どうせ忘れられていると、七年前のあの時から……そう思っていましたから」

 ……どうせ忘れられている。その予想は、ほぼ当たっていた。だって私は、夜月くんの名前どころか、顔すらも覚えていなかったのだから。

「……君の中には罪悪感があるかもしれませんが。……僕からすれば、『僕という存在』を覚えていてくれただけでも、良かったんです。――それだけで、十分に……幸せでした」

 私の考えを察したのか、夜月くんは表情を僅かに和らげて言う。けれど、すぐにそれは陰りを帯びて。


「……ですが。昔の話をする君の……笑顔を見ていたら。……僕は、すぐに怖くなりました。

――昔の僕と今の僕は……あまりに違う。見た目も、性格も、何もかも。

……昔の僕ですら、君が思い出にしてくれるような、素晴らしい人間ではないのに。……もし君が、僕の正体を知ってしまったら。

――君はきっと失望してしまうと、……そう考えました」

 「そんなことない」と言いかける私に、夜月くんは首を振って。

「思い出と現実の違いを知って、君が悲しむのは嫌でした。……そして何より、『七年前はこんな人間じゃなかった』――と、そう言われるのを想像したら。

……怖くて、仕方がなかった」

 夜月くんは、ふっと小さな笑みを零す。――その自嘲に満ちた笑顔は、どうしようもなく、悲しげに見えて。胸がぎゅっと締め付けられた。



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