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陽光(リメイク前)
本当の想い


「……僕はついに、こんな……自分に都合のいい夢を……見るようになったのですね……」

「……え?」

 再び手を握ってしばらくすると、夜月くんは唐突に口を開いた。

「でも……いいです。例え現実逃避の空想でも……あんなものを見るくらいなら、……君がいてくれる方が、ずっといいです……」

「……夜月、くん?」

 様子がおかしい。焦点の合っていない瞳で、どこか遠くを見ているみたいで。私の声も、耳に入っていないようだった。

「……そばに、いてください。……いたいんです。……僕は、君と」

 夜月くんの顔は赤い。最初よりは下がっただろうけど、熱はまだあるはずだ。……熱に浮かされているのかもしれない。

 そばにいて欲しい――今まで掛けられてきたものとは真逆の発言に、私は激しく戸惑う。

「……夜月くん、これは夢なんかじゃ……」

 混乱しながらもそう告げると、夜月くんは疑わしいものを見るように、すうっと目を細めて。

「……現実なわけ、ないです……。これは夢です……僕が自分の好きなように、空想を生み出しているだけなんです……。

――目を覚ましたら君が傍にいて、手を握ってくれて、……ここが現実だと言ってくれる。……そんなの、僕の妄想の産物に決まっています……」

「ちがっ……!」

 やんわりと、手が握り返される。まだ、身体に力が入らないみたいだった。

 どうしよう……どうするのが、最善なんだろう。


「それに……現実のひなたは、僕の事なんか……忘れてるんですから。……『夜月くん』、なんて……呼ぶはずないです……」

 あ――……。

「でも……いいんです。もう……どうせ、僕は傍にいても……悲しい顔をさせるばかりですから」

「ち、違う! 夜月くん、聞いて……!」

「……ひなたが支えにしているのは、七年前の僕で。……今の僕は、必要ない……。

……言えるわけ、ない。――失望、されたくない……」

「必要ないだなんて、言わないで。お願いだから……!」

 必死に訴えても、夜月くんの口は止まらない。まるで、現実で溜め込んでいたことを全て、吐き出そうとしているみたいだった。

「例え、思い出でも……求められているのが、今の僕じゃなくても……心の片隅にでも、僕が残っていた方が、いい……。

――……完全に忘れられてしまうより、ずっといいです……」

「やめて……もう、これ以上は……」

 言っていることに反して――……縋るような、響き。聞いているだけで、目頭が熱くなっていくのを感じた。
 ここまで自分を傷つける必要なんか、追い詰める必要なんか、ないはずなのに。どうして……どうして、こんな。


「……忘れられたままでいい……今の僕を、認めて欲しい――気付いて欲しい。……そんな、風に……ずっと、僕は」

 胸が、すり潰されたように痛んで。――……私は堪えきれずに、涙を流してしまった。

 ――ようやく、気が付いた。
 矛盾した、支離滅裂な言葉は。

 ……夜月くんがずっと心に秘めていた――『本音』、だったんだ。


「ごめん……ごめんね……」

 夜月くんが、七年前の彼だと分からなかった私は。彼とは入学式の日に、初めて会ったものだと思って……なにを言った?

『私はC組の光咲ひなた。あなたは?』

 あの言葉は、どれだけ強く――夜月くんの心を傷つけてしまったんだろう。
 私は今まで、夜月くんのことを何度……なにげない言葉の針で、刺してきたんだろう?


「ずっと気が付かなくて……ごめん……」

「…………」

 しばらく、夜月くんは黙り込んで。私のしゃくり上げる声だけが、耳に届いていた。


「…………僕は、夢の中でも……君を悲しませてしまうんですね。…………最低です」

「……!」

 口を開くと、夜月くんは……笑った。心の底から――自分を蔑むように。

「……君には、いつだって……笑顔で……」

「……! 夜月く……!」

 夜月くんの目が、ゆっくりと閉じられていき。私はたまらず、呼び止めるように叫んだ。――思うように、声が出せない。

「おねがい、します……。……今だけ……僕が……夢から覚めるまで……手を、はなさないで……」

「待って……まだ、私は何も――……!」

 彼をまだここに留めたくて、私は夢中で手を握り締める。
 そのお陰か、夜月くんは閉じかけていた目を薄く開き、私に虚ろな視線を向けて。

 ――心から、嬉しそうに。でも、なにか大切なものが欠けたような――胸が締め付けられる、笑顔を浮かべた。

「……これが……」

 その瞳に、新しい涙が溢れ出して。


「……これが現実だったら……良かった……の、に……」


 目を閉じたその瞬間、零れ――落ちていった。


「…………」

 静かな寝息が、聞こえてくる。……結局、彼は現実を夢と認識したまま、意識を閉ざしたのだ。

 その事実に、私はひどく喪失感を覚え。ただ茫然と、彼を見つめていることしか出来なかった――……。



「…………」

 時計の針の音が、やけに大きく聞こえる。
 時間を確かめる気にはなれなかったけれど、多分あれから一時間は経った……と思う。

「…………」

 寝ている夜月くんには、今までのように、うなされている様子は見られない。……このまま、普通に眠っていてくれれば。少しでも休んでくれればと、祈らずにはいられなかった。

「…………」

 ――でも。私は、木梨先生の話を思い出す。
 身体を休めて、日常生活に戻れるようになったとしても。……心の問題が改善されない限り、また倒れてしまう可能性が高いと。

「……夜月くん」

 途方に暮れたような気持ちで、私は彼の名前を呼んだ。……もちろん、返事はない。

「…………」

 夜月くんの髪を掻き分け、彼の頬に手を当てた。まだ熱の残るそれを親指で撫でて、さっき拭った涙の跡を、なぞっていく。

「……ごめんね……」

 私はまだ、七年前のことを完全に思い出せていない。今回だって、夜月くんが私の名前を呼ばなかったら、きっと分からないままだっただろう。
 確証が持てたのも、さっきの彼の告白を聞いたから。――つまり。私は夜月くんのことに、自分で気付けたわけじゃないんだ……。

「……っ」

 ――……どうして、思い出せないの?

 彼のことを全部、思い出したいと。そう、心から願っているのに――……。


 ……答えは、出なかった。




「……んん……」

 髪の先、あたりだろうか。誰かに、触れられているような気がする。けれど、その感触に声を出した途端、誰かの手はさっと離れてしまった。

 頭の回転が鈍い。――……私、いま……何してる?

 顔に、柔らかい何かの感触が――……。


「――あっ!!」

「!」

 ベッドに身体を預け、いつの間にか眠っていたことにようやく気が付いて。私は勢い良く顔を上げた。……そのとき、肩にタオルケットが掛けられていたのに気付く。――土盾くんが、してくれたのだろうか。

「あ……」

「……」

 思わずベッドの方を見ると、目が合う。――もちろん夜月くんと、だ。
 あれからどのくらいの時間が経ったのか。だいぶ熱が引いた様子の夜月くんは、ベッドに寝ながら私を見ていた。その表情は、いつも通りの――張り詰めるような空気を纏った、無表情だ。


「……光咲さん。……なぜ、君がこんな所にいるのですか」

「……」

 纏う空気と、『光咲さん』という呼び方で。今の夜月くんは、はっきりと意識があるということが分かった。
 ……さっき起きた時のやり取りは――覚えているのだろうか?

「……教室で倒れたことは、覚えてる?」

「……曖昧です」

 眉を顰めて、夜月くんは呟く。……ストレスが限界まで来て、倒れたんだ。直前のことなんて、覚えていないのが当たり前かもしれない。

「……寝不足と、精神的なストレスが原因で倒れたって。木梨先生が言ってた」

「……そうですか」

 どうしてストレスが溜まっていたのかは、本人が一番自覚している筈だ。
 でも、私に悟られまいとしているのか。さもどうでも良さそうに、冷めた声で答えた。


「……喉が、渇きました。……水を、くれませんか」

「あ……うん。分かった。……そうだ、薬も持ってくるよ」

 そう言って、私は立ち上がろうとして――思い留まる。
 ――繋いだ手を、離していいのか。躊躇ったからだ。

「……何をしているのですか? ……早く、離して下さい」

「…………」

 訝しげに眉を顰め、突き放すように夜月くんは告げてくる。

『……触れていて欲しいんです』

 さっきとは……まるで逆の言葉。それが、すごく――虚しかった。

「……光咲さん……?」

 困惑を、声に僅かに乗せて。夜月くんは呟く。
 私はその間、自分が今どうするのが最善かを考えていた。


「……夜月くん」

 そして、私は意を決して彼を呼んだ。

「……!」

 対する夜月くんは、信じられないとばかりに目を見開いて私を凝視する。その瞳は、戸惑いや驚愕のためか、僅かに揺らいでいた。


「……これは、現実だから。……夜月くんの夢じゃないから。

――だから。私の言ってることを、聞いて。……信じて欲しい」

「……? ……一体、何の話ですか……?」

 ……夜月くんは、さっきのことを覚えていないようだった。
 いくら熱を出して寝込んでいたとはいえ、悪夢の内容はハッキリ記憶しているのに。――『幸せな夢』と本人が認識した出来事は忘れるだなんて、あまりに酷いと思った。

 ――……だから、せめて。あの時の夜月くんに伝えられなかったことを、今、伝えたかった。

「今から、手を離すけど。――すぐ、戻ってくるから。……ここに。夜月くんの傍に、帰ってくるからね」

 そうっと、手を解いて。茫然と私の動作を眺めている夜月くんに背を向け、その場を離れた。


「…………」

 ベッドを囲んでいたカーテンが、境界線ををつくるまで。
 私はずっと、夜月くんの視線を感じていた。


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あきゅろす。
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