陽光(リメイク前)
記憶の呼び声
『ほら、もう泣かないで。……大丈夫だから』
――あたたかい。まず、私はそう思った。
泣いていた私を安心させるように、私の手をそっと握ってくれる、男の子の手。
あたたかくて、優しくて、安心する……。
『きみの名前は?』
『えっと……こうさき、ひなた』
知らない人に名前を教えちゃいけないって、お父さんお母さんに言われてたけど。この男の子には、いいと思った。だから、躊躇いとかは無かった。
『ひなた。きれいな名前だね』
私の名前を聞いた男の子は、ふわりと笑みを浮かべてくれた、気がする。そして私は、たぶん少し恥ずかしがりながらも、嬉しかったんだ。
『それじゃあ、ひなた。また雨が降り出したりしない内に、きみをお父さんお母さんのところまで連れて行くよ。……どっちに行けばいいのかな?』
『え……あっち、だけど。でも、すこし遠いし』
『いいんだよ。……ぼくは、ここを散歩していただけだし。さっきまで泣いてた女の子を、このまま放っておけないもの』
そう言いながら、男の子は私の手を引いて歩き出す。その動きに伴って、彼がつけている青い石のペンダントが揺れた。
『あっ……あの、あなたの、名前はっ?』
男の子の背に、私は慌てて声をかける。――なんていう名前なんだろう、この子は。
『……』
私の問いかけに、男の子は少しだけ間を置いて。やがて、振り返った。
『ぼくは――』
「……よづきくん……?」
――情景は、そこで吹き飛び。私の意識は現実へと、半ば無理やり引き戻された。
けれど、でも、いま、私は何かを口走らなかっただろうか。現実と、白昼夢に似た記憶との狭間で。
さっきの情景は、今でも思い出せる。そうだ、あれは七年前の。思い出の男の子の魔法によって、助けられた直後のこと。
彼はああやって、私の手を取って。家族がいる山奥の家まで、送ってくれたんだ。
その間、私は彼の名前を聞いて――それで、どうしたんだっけ……?
「ひなたちゃん、どうしたの? 大丈夫……?」
いきなり固まっていた私の顔を、土盾くんは心配そうに覗き込んでくる。
「う、うん。大丈夫……たぶん」
風羽くんに寄せていた顔を離して、私は頷く。大丈夫か、と言われると微妙なところだった。
――頭の中では、さっき見た情景と、風羽くんの声がぐるぐると巡っているから。
「――ねえ。今さっきひなたちゃん、『夜月くん』って言ってたよね?」
「ぇ……!!」
土盾くんの何気ない言葉に、私は頭を殴られるような強い衝撃を受けた。一瞬、声も出なくなるくらいに。
よづきくん――夜月くん? 私、そう言ったの?
確かに、風羽くんが『ひなた』と私を呼んだことで、私は思い出の男の子とのやり取りを思い出した。
でも、そうして記憶を一部取り戻した私が、何で彼を『夜月くん』と呼んで……。
――彼って、誰?
『夜月』という名前は、風羽くんのものだ。なら、私はきっと風羽くんを呼んだんだろう。そう考えるのが自然だ。自然なんだ。
……でも。…………まさか。もしかしたら――。
「ひなたちゃんが、夜月の事を名前で呼ぶなんて珍しいよね……って、どうしたの?」
「……そうだね。珍しい、よね」
今まで、私は彼を『風羽くん』と、名字で呼んでいた。それについて違和感を覚えたことなんて、今まで一度もなかった。
――けれど。なぜだか今は、『夜月くん』の方が、しっくりくる気がする。
……それはやっぱり、彼が――だから、なの?
「――……二人とも、ちょっと……こっちに来て」
私達を呼びながら、木梨先生が退出する。……なんだろう。
とにかく行ってみようと、私は土盾くんの後ろについて、風羽くん……が眠っているベッドから離れ、カーテンの外へ向かう。
「……なた」
「!」
土盾くんが出て、次いでカーテンの外へ出ようとした、直前。私は弾かれるように風羽くんを振り向いた。彼は未だに酷くうなされているようだけど、でも。
――今、確かに呼ばれたような気がしたから。
「……た、……かないで……」
「風羽……くん」
道に迷った子供のような、弱々しい声。その声に、私は呼び止められている。――そう確信した。
私は迷いつつも、いったん風羽くんのところに戻り。ベッドの隙間から彼の手を探して、そうっと握り締めた。
――こんな事態にも関わらず、彼の温もりに安心感を覚える。……自分も、温もりをあげられればいいのに。そんな風に思った。
「……安心して。私、すぐに戻ってくるから。……だから、大丈夫。本当だよ」
「……う……」
ずっと強張っていた風羽くんの表情が、僅かに和らいだ気がする。それを確認した私は、ゆっくりと手を解いて。今度こそ、その場を離れた。
「あ、来たわね。今、ちょっと話していたところなの」
木梨先生と土盾くんは先に何事かを話していたようで、向かい合って座っている。
「夜月を、このまま保健室で寝かせておくか、寮の部屋に連れて行くか。ひなたちゃんはどうしたらいいと思う?」
「え……このまま寝かせてあげるんじゃ、駄目なんですか?」
「うーん……本来なら、私もそうしたい所なんだけれどね」
木梨先生は顎に手を当てて、考えるような仕草を取る。
「今夜は、ちょうど私の方に用事があって。あと三十分後には、学園を出なきゃいけないのよ。それで帰ってくるのは、明日の朝」
木梨先生が面倒を見れない保健室のベッドに、彼を放置しておくのはさすがに……という話だった。
「……でも、うなされているとはいえ、今は眠れているのに……」
ここから寮まで運ぶとしたら、その過程で風羽くんを起こしてしまう可能性は高い。ずっと満足に眠れずにいた彼を、こちらの事情で起こすのは忍びなかった。
思うままにそう伝えると、木梨先生と土盾くんは、なぜか笑みを浮かべて。
「そう言うと思ったわ」
「やっぱり、ひなたちゃんもオレと同じ意見だったね!」
「え? え?」
戸惑う私に、木梨先生は告げる。
「――提案があるの。もし、あなたが良ければ、だけど」
茶目っ気を含めた、柔らかな笑顔で。木梨先生は、その『提案』について、説明してくれた。
[*前へ][次へ#]
[戻る]
無料HPエムペ!