陽光(リメイク前)
倒れた原因
ベッドを囲んでいるカーテンが静かに引かれ、奥から木梨先生が現れる。
風羽くんをここ――保健室まで運んでくれた土盾くんとともに、座って待たされていた私は思わず立ち上がった。
「木梨先生……! 風羽くんは」
「大丈夫。今のところ、命に別状はないわ。……風邪を引いたみたいね」
木梨先生は、整っている綺麗な顔を少しだけ、痛ましそうに歪めて。
「ここ最近……いえ、先月くらいからだったかしら。彼、ずっと寝不足が続いていたのよ。……だから、疲労が溜まっていたんでしょうね。今みたいに、いつ体調を崩して倒れても、おかしくない状態だったの」
「そうだったんですか……オレ、全然気が付かなかった……」
私の隣で話を聞いていた土盾くんが、悔しそうな声を漏らす。
――気が付かなかったのは、私も同じだ。
違和感に気付いたのは、今朝のことで。ずっと疲れていたなんて、全く分からなかった。
下ろしていた手を、服の裾ごと、ぎゅっと握り締める。悔しい、辛いという気持ちを抑え付けるように。
――今一番、苦しんでいるのは……風羽くんだから。私が口にするのは間違いだと思ったんだ。
「……二人共、あまり自分を責めちゃ駄目よ。彼は自らを隠そうとする性格だし、恐らく彼自身、まさか倒れるとは思ってもみなかったでしょうから。
――倒れるまで追い詰められていたことに気が付かない、というのも考えものだけれどね」
私達を気遣うような、安心させるような、優しい笑みを木梨先生は浮かべる。けれど、最後の言葉は不穏な響きを残して。私は自分の心に影が差すのを感じた。
「追い詰められてた……って、どういう事ですか?」
土盾くんが訝しげに問いかけると、木梨先生は目を伏せて。
「……毎日、『夢』を見るって。彼はそう言っていたわ」
「夢……?」
「そう。正確に言えば――悪夢ね。……彼にとって、『絶対に起きて欲しくないことが現実になる』悪夢」
絶対に起きて欲しくないこと――それが何かは全く分からない。けれど木梨先生の言い方からして、風羽くんは自分からそう告白したんだろう。
『絶対に起きて欲しくない』、そう願っていることが、現実になる悪夢。それを、風羽くんは毎日、見ていたんだ……。
……じゃあ、もしかして。寝不足になっていたのは――。
「そう」
推測を言えば、木梨先生は即答した。
「……最低の悪夢を、毎晩に渡って見せられていたら。きっと誰もが、眠りたくないと考えるでしょうね。――彼の場合、例え眠れたとしても。二時間もしない内に、悪夢で目が覚めると言っていたわ」
「二時間って……全然眠れてないじゃんか」
「それが毎日も続けば……心も身体も疲弊していく。つまり、過度の精神的なストレスが、この事態を招いた一番の原因ね」
木梨先生の言葉ひとつひとつが、重苦しく響いた。
――風羽くんがストレスを溜め込む原因になったのは、悪夢のせいだけじゃないかもしれない。
私が――風羽くんの意思を無視して、自分の気持ちを押し通したからなんじゃないか。そんな不安に駆られた。
もしそうだとしたら、私は……。
「ひなたちゃん」
土盾くんの呼びかけに、私はハッとしてそちらを向く。土盾くんは、いつものような明るい笑顔を浮かべていた。
「先生だって言ってるじゃん。自分を責めちゃ、駄目だよ。夜月の体調に気が付かなかったのは、ひなたちゃんのせいじゃないんだから」
「土盾くん……でも……」
「オレだって、こんな事になるまで全く分からなかったし。それはちょっと、友達として悔しいけどさ。
――でも、別に『誰かが悪い』とか、一方的に言えるもんじゃないって。オレはそう思うよ」
元気付けるように、歯を見せて笑ってくれる。と思えば、急に拗ねたような表情になって。
「ていうかさ、オレ的には寧ろ夜月の方に文句言いたいんだけど! 辛いなら、少しは友達を頼ってくれたっていいのにさ!」
「土盾君。もう少し、ちいさな声でお話しましょうね……?」
「あ、はい……スイマセン」
木梨先生に怖いぐらいの笑顔で指摘され、土盾くんはすぐさまボリュームを落とした。
そして、風羽くんが寝ているベッドを囲むカーテンをチラリと見てから、木梨先生へおずおずと問いかける。
「……あの、先生。夜月がずうっと寝不足だったって分かってたんなら、何か……そういうのに効く薬とか、無かったんですか?」
土盾くんの質問に、木梨先生は申し訳なさそうに目を伏せる。
「病院や、ここに貯蔵している魔法薬の類には、確かに睡眠を誘引させるものは有るのだけど……。問題があってね」
「問題……?」
「魔法薬の効力を引き出すには、もちろん材料の分量の正確さや、調合師の技術の高さが必須よ。
……でも、それを服用する場合は――飲む人間の精神状態にも、効き目が大きく左右されるの。魔法の源であるマナは、人間の心に影響を受けるものだからね」
「あ……」
そうだ……授業で習っていた、基本的なこと……すっかり忘れてしまっていた。
……風羽くんの場合――精神的なストレスが、寝不足という状態を引き起こしている。だから、心が不安定になっている時に薬を飲んでも、効き目は充分に現れないのだと。木梨先生は、そう説明してくれた。
「じゃあ、つまり……今感じてるストレスをどうにかしないと、夜月はずっとこのままって事?」
「……そうね。ここで休んで、また起き上がれる状態になっても、寝不足が解消された訳じゃないから。……暫く経てば、また限界が来て倒れてしまう可能性が高いわ」
土盾くんと木梨先生の会話を聞きながら、私は思い悩む。
――私、どうすればいいんだろう。
風羽くんのストレスをどうにかしないと、ずっとこのまま。悪夢にうなされるだけでも辛いはずなのに、熱に苦しめられる……。
そんなの、嫌だ。なんとかしたい、私に出来ることなら……。
――でも、私に何が出来る……?
「……う……うぅ……」
「……!」
カーテン越しに、風羽くんの苦しそうに呻く声が聞こえて。私は突き動かされるように、そこへ進んだ。
「……ぁ……う……はっ、……あ」
ベッドで眠る風羽くんの姿は――見ているだけで痛々しかった。息遣いは荒々しく、眉間には深い皺が刻まれている――。
「風羽くん……」
私は茫然と呟きながら、彼に歩み寄る。――近付けば近付くほど、心が悲鳴を上げていくような気がした。
「……はぁ……は……っ」
三つ折りにして額に乗せられたタオルは、もう乾いている。そっと触れると、何か硬いものが挟まっていた。
「それを取って、青いスイッチを押してくれる?」
「え……? あ、は、はい」
後から入ってきた木梨先生が、静かに告げてくる。
私は戸惑いながらも、タオルに挟まれていた硬いものを取り出す。それは随分ちいさく、重みもほとんど感じられない――手のひらに軽く収まる程度の、黒い直方体の何か。表面には、赤や青などのスイッチが等間隔で並んでいる。
木梨先生に言われるまま、私は青いスイッチを押す。――すると、黒い直方体は冷気を発し始めた。
「魔導器の一種よ。各属性の簡易魔法を発動できるの。威力や発動時間は微々たるものだけど、汎用性に富んでいるわ」
その後も木梨先生の指示通り、私は魔導器をタオルに挟んで、風羽くんの額に置いた。
「う……」
冷気を感じたのか、風羽くんは小さな声を漏らす。纏っている雰囲気も何もかも、弱々しかった。
「夜月……凄く苦しそうだ」
続けて入ってきた土盾くんは、風羽くんの姿に顔を歪める。……たぶん、今の私も似たような表情をしているだろう。
「……」
木梨先生はベッドの傍らに立って、じっと風羽くんを見つめている。笑顔はなく、言葉にできないような……複雑な顔をしていた。
「……た……」
「え?」
その時。なにかを、風羽くんが言った。それは今までみたいな、唸り声とか息遣いじゃなく、ちゃんとした言葉のような気がして。私はそっと、耳元を彼の顔へ近付けた。
――そうして聞いた、彼の次の一声は。私にとって、予想など絶対に出来ないものだった。
「……ひ、な……た」
心臓が――どくんと跳ね上がったような気がした。
そして突如、私の脳裏に何かが浮かび上がって来る。全体に靄が掛かったような、曖昧な情景。
――それは――……。
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