陽光(リメイク前)
幕間 ―保健室にて―
「――あ、来たわね」
保健室に現れた夜月を、養護教諭である木梨理香子は笑顔で出迎えた。
「……すみません。……遅刻しました」
約束の時間を五分ほど過ぎてしまっていたと、夜月は頭を下げる。理香子は「いいのよ、大丈夫」と言い、夜月を正面の椅子に座らせた。
「……遅刻した身で、申し訳ありませんが……質問をしても、宜しいでしょうか」
「ええ、構わないわよ」
手元にノートを広げながら、理香子は夜月の申し出を快く受け入れる。しかし、それでも夜月は暫くの間、黙っていた。その表情には何も浮かんではいなかったが、恐らくは何かしら考えているのだろう。
やがて意を決したのか、夜月は一言。とても小さな声で問いかける。
「――……僕のクラスメイトが一人、ここに来たようですが」
「あら、どうしてそう思うの?」
とぼけたように笑う理香子に、夜月は一瞬だけ口を噤む。無表情ながら僅かに迷った様子を見せながらも、小さく答えを返す。
「……本人から聞きました」
「あらあら、そうだったの。なら隠す必要はないわね。――ええ、そうよ」
「…………」
「それがどうしたの?」
「……いえ」
夜月は理香子から視線を逸らす。対する理香子は、そんな彼を探るように見据えて。
「光咲さんのことが、気になるのね?」
「…………一応、同じグループのメンバーですから」
理香子の問いから、夜月の返答まで。かなりの間があった。その中に、理香子は小波程度の心の機微を感じ取る。
理香子は夜月の性格を完全に把握している訳ではないが、彼女からすれば彼はまだ子供なのだ。大人である彼女より、自分の心の揺れを隠す術に長けてはいない。
「……あら、そうだったのね」
「…………」
しかし、夜月の答えは理香子にとって予想外なもので。彼女はその時、初めて笑顔を崩した。眉を顰めながら、再び夜月に問いかける。
「……正直、嫌だって思ってる?」
「…………」
「彼女に会うのは、あなたにとっては苦痛?」
「…………」
夜月は何も言わない。だが、理香子は根気強く答えを待ち続けた。
「…………はい」
一体、どれほどの時間が過ぎたのか。永遠を思わせるほどの、長い沈黙を経て。夜月は口を開いた。
「――……苦痛です。……いつだって、逃げ出したいと……思っています」
本当は――……一分一秒でも傍にいたくない。会いたくない。逃げ出したい。ましてや話をするなど、本来ならもってのほかで。
夜月にとって、クラスどころかグループまで彼女と被ってしまった事は、最悪の偶然だったのだ。
もし、この偶然が無ければ。あの場所で会ったとしても、彼女は夜月を妙な人間としか思わなかっただろう。そうなっていれば、どんなに良かったか。
「――そう」
夜月の本心を聞いて、理香子は息を吐く。彼を気遣うようなその視線に、夜月は居心地悪そうに口を結んだ。
「……そろそろ、本題に行きましょうか」
明るい調子で言い、話を切り替える理香子の笑みを、夜月はちらりと盗み見てから。居住まいを静かに直し、正面を見据えて。
「――……はい」
……夜月は思う。
心の中にある、様々な感情。それを決して、気取られる事がないように。自分は一線を越えず、また彼女に踏み越えられないように。一定の距離を、保ち続けよう。
(そうしなければ、きっと……)
夜月は今一度、そう決心していた――……。
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