陽光(リメイク前)
変わらない想い
「……ふう」
保健室を出た私は、自然と溜め息を零していた。
用件を済ませた今、もうやることはないけれど。このまま寮へ帰る気には何となくなれず、私は当てもなく歩き出した。
「……」
人気のない廊下。ひとりになって、急に寂しい気持ちが私を襲った。少しでも安心したい私は、自分の足音に耳を澄ませる。
『――自然の理を覆して、誰かを救った結果……術者には枷が付けられるの』
そうして、自然に思い返してしまうのは、木梨先生から聞いた真実。
……枷。癒しの力を持つ人間が、その力を使う度に与えられるもの……。――それは七年前の男の子も、例外じゃないん……だよね。
つまり、あの男の子は私を助けたために、何かしらの枷に縛り付けられてしまったということになる……。
『……きっとその子は、あなたが落ち込むことを良しとはしないだろうから』
木梨先生はそう言ってくれたけれど、やっぱり気にしてしまう。
私が『綺麗な思い出』としていたもの。それは、助けてくれた彼が何かしらの犠牲を払う、ひどく一方的なものでしかなかったんだ……。
『――もう、大丈夫だよ』
あの日、私にそう笑いかけてくれた……はずの、男の子。顔どころか、その声もぼんやりとしか思い出せないけれど。この言葉だけは、はっきりと思い出せる。
私に、大丈夫と言った彼は。彼自身は、大丈夫だったの? ――あの時は? 今は……?
「――あ」
その時、私じゃない別の足音が耳に入って。私は自然と足を止める。考えに没頭していて気が付かなかったけれど、見れば遠くから人がひとり歩いてきていた。
「……風羽くん」
向かって来る彼を呼ぶでもなく、ぽつりと呟いた。
周囲に誰もいない、静まり返った廊下で。風羽くんの小さな足音だけが、しばらく響いていた。
「……光咲さん」
私の目の前で立ち止まった風羽くんは、いつも通りの無表情。――その力ない目には、今の私の姿はどう映っているのかな。なんて、ふと考えた。
「……おはよう」
「……おはようございます」
私と同じ言葉を返す風羽くんは、顔色ひとつ変えないけれど……。実際のところ、その無表情の奥で何を考えているのかは分からない。私にはまだ、それを読み取れる力はない。
だから私は、自分がちゃんと笑えているか、心の奥のざわめきを気取られていないか、内心で不安に駆られていた。
――そんな時、私は思い出す。数日前、風羽くんに七年前の出来事について話した時のことを。
『綺麗な思い出』――私がそう言った途端、風羽くんは黙り込んで。そのまま話を打ち切るように、私に背を向けた。……私はそこに、拒絶に似た壁を感じたんだ。
――……もしかして。風羽くんは、枷について知っていたのかな。だから、それを知らずに浮ついていた私に、怒っていたのかも――。
「……保健室」
「えっ?」
「……体調が優れないのですか?」
『保健室』という単語に、私はすごく動揺して。びくりと肩を震わせてしまった。
「ど、どうして?」
「……生徒が行くような場所は……この付近では保健室だけですから」
そう説明すると、風羽くんは黙り込む。……私が答えるのを、待っているのかな。
「えっと……体調は大丈夫。……木梨先生と話してただけだから」
何で話してたのかとか、そもそもなぜ保健室に行っていたのかとか、詳しいことは言わなかった。……正直、言う気になれなかったんだ。
「それより、風羽くんこそ保健室に用があるんじゃないの? 私は別に大丈夫だから、気にしないで行っていいよ」
「……」
風羽くんは何も答えずに、私から視線を逸らす。
そうして、しばらくの沈黙の後。目を合わせないままに、風羽くんは呟いた。
「――……大丈夫と、口にするだけなら簡単です」
「……え」
重なる。あの日聞いた、男の子の『大丈夫』という声と。今の風羽くんの言葉が。
風羽くんはふっと顔を上げて、私を見据える。張り詰めた空気を、全身から醸し出していた。
「……無責任な言葉です。……そう唱える事で、無理やり縛り付けられるのですから」
風羽くんの声は、冷たかった。いつもと同じ、淡々とした口調なのに。――今は氷のような、『冷たさ』を感じた。
まるで風羽くん自身が、それを身をもって知っているかのような響きで――。
「――そんなことないっ!!」
「……!」
私は、気付けば叫んでいた。風羽くんの言葉を、否定するように。
――……無責任な言葉。無理やり縛り付けられる。風羽くんが言うそれは、私の中にある『大丈夫』とは全く違う。意味どころか、世界すら違うと思った。
「風羽くんが、どうしてそんな風に思うのかは知らないけど。私にとっては、そんな辛い言葉じゃないの!」
七年前のあの出来事。それは決して、綺麗なだけじゃなかったかもしれないけど。――でも!
「私にとっては、自分を助けてくれた人の……! 私を支えてくれた人の言葉なの!」
――私を助けたことで、あの男の子が今、辛い目に遭いながら。日々を割り切って、今を生きている。それを聞いて、私はすごく動揺したし、ショックだった。彼に対して申し訳なさとか、色々な感情が渦巻いたし、今もそう。
……でも、やっぱり、変わらないんだ。
記憶に残る、彼の『大丈夫』という言葉で――私がどれだけ支えられて、救われたのかは。
「だから……お願い。風羽くんの気持ちを知らずに、わがままを言っているのは分かってる。
――でも。出来れば、そんな悲しいこと言わないで欲しいの」
「…………」
風羽くんは、口を噤んで。しばらくの間、私をじっと見つめていた。
相変わらず、その顔にはなんの感情も浮かんでいなかったけれど。それでも何かを考えているのは分かるから、私は黙って見つめ返して風羽くんの答えを待った。
「……そう……ですか。……分かりました」
そして。やがて観念したように、風羽くんは小さな溜め息を吐いた。
「……時間を使い過ぎました。……そろそろ、保健室へ行きます」
ゆっくりと風羽くんは歩き出した。そうして、私と風羽くんの間に少しの距離が開いた時。風羽くんは唐突に立ち止まり、いつものように淡々とした口調で呟いた。
「……その言葉を……本心から言っているというのなら。……大丈夫ではない時に、大丈夫と言わない事です」
「えっ……?」
合点のいかない様子の私に、風羽くんは背を向けたまま、もう一度口を開く。
「……さっきまでの君は――とても大丈夫には見えませんでしたから」
「あ……」
そういうこと……だったんだ。
私は、風羽くんが私のことを気遣ってくれているのにようやく気が付いた。
「――もしかして最初から……私のことを心配してくれてたの?」
「……」
――なんだろう。振り返らないその姿が、私の問いかけに対する無言の答えが、まるで照れ隠しをしているように感じられて。さっきまで様々な感情に渦巻いていた心が、ぽかぽかと温かくなっていった。
「……ありがとう、風羽くん」
色々な想いを、一言に込めて。『ありがとう』を、風羽くんに伝える。――気が付けば、私は自然と笑えていた。さっきまでのような、無理やり浮かべた笑顔とは、きっと違う。
「…………いえ。……ただ、言いたい事を勝手に言っただけですから」
対する風羽くんは、最後までこっちを振り返らずに。耳を澄ませても、ともすれば聞き逃してしまいそうな――小さな声で、応えてくれた。
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