VIVID
14──また明日
──数分後。
悠心と桜井は、一つのドアの前にいた。
「──ここ?」
「……おう」
桜井の声がややひきつり気味に聞こえるのは、気のせいではないだろう。悠心はそれを十分に理解しながら頷く。
二人が立っていたのは、随分と古く、廃れたアパートだった。
壁の塗装は剥がれ汚れていて、何とも言えない不気味さを醸し出している。
本当に人が住んでいるのかもわからないくらいくらいのボロアパートに、桜井は驚いているようだった。
ドアの左上には、消えかかった文字(それもかなりの殴り書きだ)で赤沢と書かれたプレート。
明らかに戸惑っている桜井だったが、それに比べ悠心は何てことない顔をしていて、今にも外れそうなドアを叩いた。
「那智ー」
ドンドンとドアを叩く悠心は、慣れた様子だった。
下手すれば幽霊アパートなんて噂されそうな友人宅だったが、悠心は何度もここを訪れているので今更何とも思わない。
「……寝てんのか?」
ドアを叩いても応答がないことにイライラして悠心は吐き捨てた。
がしがしと頭を掻く。これは悠心の困った時の癖だった。
しかし、僅かに崩れた髪に気付いてハッとする。
やべっ、桜井見てるんだった。
この髪を綺麗だと言ってくれた桜井の前で髪を崩したくない。
そうして慌てて髪を整える悠心だが、桜井は髪よりもこのボロアパートの方がインパクトがある様で、悠心の方を見ていなかった。
内心ホッとしながら、悠心は手櫛で丁寧に髪を直す。
「……なんか、悪いな」
応答のない扉の前に、悠心は頭を垂れた。
「ここまで運んでもらったのに、こんなんでさ……」
気まずい思いで桜井を見詰める悠心に、桜井は気にするなと笑った。
その顔に心臓を撃ち抜かれながら、悠心は軽く唇を噛んだ。
「…友達は留守なのか?」
「いや、いると思うんだけど……。今日、来ること言っといてたし」
寝てるか、それか誰か連れ込んでいて真っ最中なのか。
どちらにせよ、入れてくれないのでは困る。
悠心は、仕方なくポケットからケータイを取り出し、那智に電話をかけてみた。
……ったく、何してんだよアイツ。
いつもなら、日付が変わっても起きているくせに。
そう思いながら唇を噛んでいると、何コールかしたところで電子音が止んだ。
「…………はい…」
出た声は、聞き慣れた那智の声だった。
しかし、その声は掠れていて、寝起きの不機嫌な声だとわかる。
「今、お前ん家の前にいんだけど。鍵開けてくんね?」
「……あー……。……ちょっと待ってろ」
寝起きのせいか反応が鈍い那智だが、了承してくれたことに悠心はホッとする。
今日の約束を思い出したのか、通話越しにごそごそと布団から這い上がる音がした。
事の成り行きを伺っている桜井に、悠心は目で「大丈夫」と伝える。
──それにしても、那智が起きてくれて良かった。
那智は電子音に弱いのか、寝ていても悠心がメールか電話をすると必ずと言ってもいいほど起きる。
それを不思議に思いつつも、悠心はドア越しに那智の足音が近付いてくるのを聴いていた。
「……悪い、寝ちまってた」
那智の低い声と同時に、ドアが開かれる。
「何でこんなにおせーん……」
がしがしと金髪を掻いていた那智だが、顔を上げて桜井の姿を見ると言葉を切った。
「……誰?」
途端に眉間にシワを寄せ目を眇める那智は、胡乱げに桜井を見ている。
「つうか……」
出てきた那智の恰好に、悠心は呆れて呟いた。
「お前、玄関出る時くらい服着ろよ」
「…あ? ……あー。いいだろ、別に」
不機嫌にそう言う那智の上半身は、裸だった。
適度に引き締まった滑らかな肌が剥き出しになっていて、悠心は溜め息を吐く。
コイツ、いつか露出狂として捕まるんじゃないかと密かに思いながら、那智の不機嫌な顔を見詰めた。
「……で、コイツは?」
「……あー、俺、ちょっとケガして。ここまで運んでくれた」
──桜井とは言わなかった。
悠心は散々那智に桜井の話を聞かせていたから、桜井だと気付けば那智は絶対に何かしら言うだろう。
それだけは何としても避けたい。
「ああ、あの“さくらい”か」なんて、那智なら本気で口走りそうだ。
「ケガ? 何、そんな傷深ぇの?」
「腹切られた」
「……マジかよ」
眉をひそめた那智に“とりあえず上がれ”と那智に促され、桜井から離されて担ぎ直される。
「あー、あんた大丈夫か?もう電車もねーし」
「いや、大丈夫。迎えがいる」
桜井を振り返る那智に、桜井はそう言って首を振る。
「──さ、桜井。ありがとな、ここまで運んでくれて」
悠心も桜井を振り返って言った。
那智も軽く頭を下げる。
「いや。…あまり無茶はしない方がいいと思う。じゃあ」
そう言って微笑む桜井に、悠心はたまらなくなり、勇気を振り絞って訊ねてみた。
「あ、明日も、同じ電車乗んのか?」
桜井の前だと上手く喋れなくて、緊張で手が汗ばむ。
桜井は、そんな悠心の心情に気付く筈もなく、相変わらず端正な顔で頷いた。
「ああ」
「……ふ、ふーん。……じゃ、また明日か。会ったら、よろしくな」
「……ああ」
今度は笑って頷く桜井に、悠心はどきどきする。
……また、明日も会えるんだ。
そう思うと、ぎゅう、と胸が締め付けられる様な、むず痒い様な気分になった。
「じゃあ、明日」
“お大事に”
そう言って背を向ける桜井を、悠心は那智にドアを閉められるまで見詰めていた。
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