VIVID
11──HERO
「……ッ」
目を瞑っていた悠心だが、予想していた激痛はない。
意外と痛くないもんだな、とそんなことをぼんやりと思う。
もしかしたら、ナイフの切れ味が良すぎて、体の感覚神経がついて行っていないだけなのかもしれない。
だとしたら、あとから痛みが来る筈だ。
そう思って体をこわばせた。
「……」
しかし、数秒たっても悠心の体には何の変化もない。
……おかしい。
「……?」
不思議に思って恐る恐る瞼を持ち上げてみると、そこには信じがたい光景があった。
──……は?
ついさっき、悠心にナイフを向けていた男が、倒れていた。
ナイフは手から離れていて、悠心の足元に落ちている。
そして、男の傍らに立っていたのは──
「……さくらい、たから…?」
悠心は、茫然と呟いた。
夜の闇に溶け込む様な漆黒の髪に、鋭い眼光を湛える切れ長の目。
知的で凛とした端正な顔立ち。長身ですらりとしたシルエット。
見覚えのあるその姿に、悠心は信じられなくて目を見開く。
──何で、アイツがここに?
そう思って混乱する悠心は、目の前に落ちているナイフを拾うさくらいを、ただボーッと見ることしかできない。
「ナイフ、か……」
拾い上げたナイフを見下ろしながら呟いたさくらいに、こんな状況でもドキドキした。
久しぶりに聞いたさくらいの声は心地よく、程よい低音でどことなく色っぽい気もする。
「大丈夫か?」
さくらいは、ナイフを近くのゴミ箱に捨て、悠心の方を向いた。
上手く状況が呑み込めてない悠心は、ギ、と音がしそうな程ぎこちなく頷く。
――え? な、何で? さくらいたからが? え??
ぐるぐると混乱する悠心の腹部からは、カラーシャツを赤く染める血が滲んでいた。
それを見たさくらいが、無言で悠心の腕を取り、肩を貸してくる。
「……ッ」
ずきりと痛む傷口に思わず顔をしかめると、さくらいは気遣う様な声をかけてきた。
「歩けるか?」
「お、おう……」
──ま、マジか、これ……。
正直、腹の傷はそんなに気にしていない。
血には慣れてるし、傷なんかどうってことない。放っておけばそのうち治るだろう。
ただ、今まで眺めるだけだった存在が、こんなに密着していることに混乱する。
心臓が忙しなく鼓動を刻んで、落ち着かない。
さくらいは悠心よりも背が高いので、かがむ形で支えてくれている。
ちらりと視線を右にやれば、すぐ近くにあるさくらいの綺麗な横顔。
どきりとして目を逸らすと、視線に気付いたのか、さくらいが悠心を見る。
――てゆうか、何でこんなことに……?
「……家、ここの近くなのか?」
「……いや、ダチの家、近いから……」
吐息がくすぐったい。悠心は途端に口下手になり、ぎこちなく言った。
「そうか。じゃあそこまで送る」
「おう……って、は!?」
何気なく頷いた悠心だが、意味を理解すると同時にビックリして叫ぶ。
しかしさくらいはもう送ると決めたらしく、「友達の家はどこだ?」などと訊いてくる。
ま、マジ!?
何だ、この展開?? ……美味しすぎる。つうか、さくらいマジでヒーローじゃね?
さくらいに肩を貸してもらいながらも、まだよく展開が理解できない悠心。
これ、もしかして夢か?
しかし、腹の傷口が痛むことから、恐らくこれは現実だということがわかる。
頭の上にたくさんの疑問符を浮かべながら、悠心はさくらいの綺麗な横顔を見詰めた。
夢じゃないのか。じゃあ、何でだ?
さくらいがいつも乗ってくる駅から、数駅離れているここ。
恐らく、さくらいの家からは大分離れているであろうここに、何故さくらいがいるのか。
しかも、ピンチだったところを、こんなにタイミング良く現れるなんて。
偶然に偶然が重なっただけだとしても、奇跡に近い。
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