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Re1:The first sign
A



 騒がしい男が去った途端、少女は店内しんと静まり返っている事に気付いた。
 しまった。
 目立つ行動は控えようと思っていた矢先だったのに。

 そんな事をじわじわと考えていた時、パチパチと掌を叩く音が聞こえた。
 そのささやかな拍手は、男に絡まれていたバーテンからのものだった。

「やりますね、お嬢さん」

 バーテンは眩しいばかりの微笑みと共に、少女を誉め讃えた。
 その拍手が引き金となり、息を潜めて見物していた周囲の客も、少女の勇敢な行動に歓声を送った。
 酒場に、元の賑やかさが戻ったのだ。

「どうも…」

 だが少女は、どこか億劫に返事をすると、何事もなかったかのようにカウンター席に腰を降ろす。
 すかさずバーテンが少女に近付き、カウンター越しに話し掛けた。

「御礼に奢りますよ、お嬢さん」

「…じゃあカクテル。うんと美味しいのね」

「かしこまりました」

 注文を承ったバーテンは手際よくアルコールを作り始める。

「それにしても、どんな魔術を使ったんですか?“ただ触れただけで”関節を曲げてしまうなんて」

 観衆の誰もが目を遮ったあの瞬間を、このバーテンは呑気に見ていたのか。

 少女はシェイカーの音をぼんやりと聞きながら、色々な意味で苦笑した。

「魔術なんかじゃないわ、ちょっとした護身術よ。小さい頃、人体のあらゆるツボを教え込まれたの」

 冷えたグラスに蒼色の液体を注ぎ、最後にベビーチェリーを乗せて、完成。
 その可愛らしいカクテルを少女の前に差し出した。

「当店で女性に人気のシーズブルーです」

「へぇ、綺麗な色」

 まるで海を思わせる、澄んだ蒼いカクテル。
 少女はそれを一口飲むと、小さく一息ついた。

「うん、美味しい」

「お褒めに与り、光栄です。…ですがお嬢さん、警戒した方が宜しいですよ」

 意味深なバーテンの忠告に、少女は小首を傾げた。

「先程の男、セルディスの刺青をしていましたから」

「セルディス…何それ?」

 何も知らないような口ぶりの少女に、それまで微笑んでいたバーテンは目を見張った。

「…お嬢さん、この都市の方ではないのですか?」

「実はあたし、昨日都に来たばかりなの。出身はミンテ村って所なんだけど」

 “ミンテ”
 それは通常この地域に住む者なら、聞き慣れない地名だった。
 だが地理に詳しいバーテンは、すぐに頭で地図を描く。

「…ああ、あの大陸最北の村ですか?」

「おにーさん、ミンテに来たことあるの?」

「いえ…生憎名前しか知らないのですが」

 そっか、と少女は肩を落とす。

 ――無理もないだろう。 そこは観光地でもなければ、栄えた村ではない。
 所謂“ド田舎”なのだから。

(…成程、ね)

 ふとバーテンは納得した。
 年も若く整った顔立ちの少女だが、その服装はとても流行遅れ。
 恐らく、違う意味で沢山の人の目を引いたのだろう。

「この都市へは観光で来たのですか?」

「ううん、人探してるの。…あ、そうだ!」

 途端に少女は目を輝かせ、肩に下げたショルダーバッグの中をごそごそ漁りだした。
 あれでもない、これでもないとカウンターに余計な荷物が積み重なっていく様を、バーテンは半ばうんざりと見つめていた。
 やがて、お目当ての物を発掘した少女は意気揚々とバーテンの前に差し出す。

「ここに行きたいんだけど、道教えてくれる?」

 それは、この都市でも大量に発行されている週刊誌だった。
 時期は随分昔のものだが、何故今更こんなものを、とバーテンは訝しむ。
 しかし、少女があまりにも嬉々とした表情でこちらを見つめるものだから。
 まあ一応、恩人だし、とバーテンは雑誌を受け取った。

 見せられたのは『ジルクスの英雄、謎の失踪』の文字が大きく載せられているスクープ記事。
 そのページに掲載されている写真は、バーテンもよく知る、この都市ではあまりにも有名な建物の外観だった。

「ジルクス軍の…本部?」

「そっ!ジルクスって、この都市の治安取り締まってる機関でしょ?あたしの探し人、この軍隊に所属してるんだ」

 手元の記事と、楽しそうに話す少女を交互に見つめるバーテンは、心なしか複雑な表情を浮かべた。
 だが彼はすぐに、先程と同じ笑みを顔に刻む。

「そうですか。本部はメインストリートに出て、噴水広場を北に真っ直ぐ突き進んだ先にあります。建物自体大きいので目立つ筈ですよ」

「北ね…分かった。じゃ、あたし、そろそろ行くね」

 そう言って少女は席を立ち、手にした大荷物をその細い肩に背負った。
 空になったグラスを片付けようとしたバーテンは、咄嗟に少女の背中に声を掛ける。

「…お嬢さん、宜しければお名前を教えて頂けますか?」

 また、この少女がこの店に来るとは限らない。
 もしかしたら、もう二度と会う事はない相手に、バーテンは何故か名を訊ねた。
 言ってから、らしくない、と少し後悔した。

 だが少女は長い髪を翻してこちらに振り返ると、ふわりと微笑んだ。
 何とも形容しがたい、綺麗な笑顔だった。

「あたしは、アイリス。楽しい時間をありがとう」



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