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Re1:The first sign
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*・*・*・*


「え、休み…ですか?」

 気持ちの良い朝だった。
 天気も良好。睡眠もたっぷり取れたお陰で、アイリスの頭は冴えきっていた。
 この日、誰よりも朝早く起床した彼女はソファーで眠るノアを起こさぬよう、彼の体からずり落ちかけていた毛布をそうっと掛けてやる。
 身支度を整えて店へ赴くと、誰に言われるでもなく、黙々と仕事に取り掛かった。
 店内の掃除。ゴミ出し。グラスを磨いて棚を整理して…。

 ああ、今日は何だか気分が良い。
 何をやっても全て上手くいくような気がする。
 もしかしたら、探し人の行方も分かるかもしれない。

 しかしながら、鼻歌混じりに仕事をこなしていると、其処へルツキが現れた。
 そうして、アイリスは先刻の言葉を言い渡された。

「あれ、言ってませんでした?今日の店の営業は中止です」

「…聞いてないです。今日は何かあるんですか?」

 クロウディ派に匿われて、早一週間とちょっと。
 メンバーには店の経営担当と、そうでない…少し怪しい動きを見せる者がいることは知っている。
 後者が何をしているのかは分からない。
 けれど、この店が営業を休止する日など初めてだった。

「…ありますよ。迷惑極まりない、大きなイベントが」

 ルツキに手招きされたアイリスは、奥のバックルームへ入った。
 リモコンでヴィジョンの電源を入れると、何やら人集りが映っている。
 あれ、この場所って………ジルクスの本部?

『さぁ!もう間もなくです。我らが都市ジルクスの、記念すべき50回目の建国祭が始まろうとしています。御覧下さい!この熱気!まだ早朝ですが、沢山の方が本部の前に集まっています!』

 女性アナウンサーが示す方へと、カメラのフレームが移動する。
 確かに、凄い盛り上がりだ。
 集う人々は皆、今か今かとその時を待っているようで、アイリスも思わず画面に見入ってしまった。

「お祭り…なんですね」

「この騒ぎに便乗して余所の店は記念セールの看板を出して営業するそうですが、生憎私たちにとっては祝う要素など何一つないもので」

 成る程。反ジルクスを唱える彼らは、建国祭などに関わる気は毛頭ないらしい。
 あれ、でも…。

「ルツキさん。他が営業してるのに、うちだけ閉店なんてしても…大丈夫なんですか?」

 鋭い娘だ、とルツキは思った。
 客寄せの機会でもあるこの祭り騒ぎの中、淡々と店を閉めてしまったら、怪しまれるに違いない。
 そんな真似をするのは、ジルクスを善く思っていない証拠だ。

「良いんですよ」

「???」

 だが、それを見越した上でルツキは微笑った。

「さて…今日は1日フリーです。アイリスさん、どうします?」

「どうって…」

 突然、降って出た休みだ。
 暇を持て余してしまうのは勿体無さすぎる。
 アイリスは、ちらりと横目でヴィジョンを見た。

 楽しそう…。

「連れてってやろうか」

 その時、低い声が耳に入った。
 長い黒髪は、相変わらずの寝癖で所々跳ねている。
 寝起きなのだろう、まだ完全に開いていない眼を擦りながら、バックルームに入ってきた。

「ノア…!?」

 驚いたように名を呼んだのは、ルツキ。

「どうせ行きたいんだろ。オンナは騒がしい祭り毎が好きだからな」

「“どうせ”って何よ」

「いーから。支度しろよ。俺が連れてってやるから」

 ノアはムカツクくらい綺麗に整った顔で、女神のように笑った。
 だが唖然とするアイリスを遮って、ルツキが口を挟む。

「…リーダー?」

 恐ろしいくらい低い。
 まるで地獄の底から聞こえてくるような、怨みの籠もった声に、アイリスは思わず身を引いた。

「何を考えているんです。今日が何の日か、分かっているですか?」

 ルツキが反対する理由は、アイリスにだって分かる。
 憎むべき国の生誕を祝う祭りに参加するなど、言語道断。
 只でさえノアは目立つ容姿をしているのだから、夜にならないと迂濶に外を出歩けない。
 けれど、当の本人は気にしていないようだ。

「この馬鹿騒ぎなら、誰も俺なんか見ねぇって」

「そうじゃなくて」

「それに、何処かしこも祭りムードなんだ。断固拒否的な、変に宗教じみた反発にゃ興味ねぇしよ」

 さらりと言ってのけるノアに、ルツキは段々と諦めの色を見せていく。
 ノアはバックルームを出ると、すぐ前にあるバーカウンターの席に座った。

「大丈夫だって。時間は守る」

「遅刻の化身である貴方が、ですか?」

「ルツキ、いいからメシ」

 もうそれ以上、何も言う気はないらしい。
 ルツキは溜め息を一つついて、厨房へと去っていった。
 アイリスは感心した。
 あの頑固なルツキを言い包めるなんて、流石はリーダー。
 いや、元英雄ノア=クロウディ。

「あのっ」

 アイリスはバーカウンター越しに、ノアの前に歩み寄った。
 ノアは今まさに煙草に火を着けようとして、何か言いたそうな彼女に気付くと、その動作を中断した。

「ん?」

「本当に大丈夫なの?…お祭りに行っても」

「何をそんなに気にしてるんだよ。この俺が直々に連れてってやるんだから、有難く思え」

 だからそれが心配なんだってば!!と、アイリスは心中で突っ込む。

「何だよ、行きたくねぇのか」

「行きたいっ」

間髪入れずに答えたアイリスは、まるで浮き足立つ子どものよう。
 ノアは声を出して笑った。

「あっはは、いいなお前。素直なヤツはキライじゃない」

「…それはどうも」

 馬鹿にされたような気もしなくはないが、楽しみな事には違いない。
 故郷であるミンテ村の祭りも、それはそれは楽しい思い出だった。
 毎年、運動大会と称した祭りが行われる。
 身体能力には自信のあるアイリスは、毎年優秀な成績を修めていた。
 それに引き替え、あの灰色の幼なじみは情けないくらい運動音痴で。
 怪我の連続、毎年ビリ。
 本人は出たくない!!と駄々をこねていたが、アイリスが権力を振りかざして無理やり参加させていた。

『うぅ、もうやだよ…。どうせ今年も僕が最下位なんだから…』

『そんなの分かんないでしょ。弱音を吐く暇があるなら練習しなさい!あたしも一緒に走るからっ』

 二人三脚。二人で朝から晩まで足を繋いで練習した。
 懐かしい思い出だ。

「あたし支度してくる。ノアも急いでねっ」

 アイリスは、そそくさと自室へ戻った。
 その背中を見ながら、ノアは漸く煙草に火を着ける。
 吐き出されて宙を漂う煙を見据えながら、ノアはポツリと呟いた。

「さて、どうすっかな…」

 これから起こる“出来事”をどうやって彼女に言おうか。
 ノアはそっと、黒真珠の瞳を細めた。


*・*・*・*



「な、何よ…これっ!」

 アジトを出て早三分足らずで、アイリスは出掛けたことを後悔していた。
 それもその筈。
 周囲は人、人、人。
 その混雑具合は普段の倍以上のもので、彼女は人の波に飲まれかけていた。

「おい、こっち」

 ノアはアイリスの手を取ると、人波の僅かな隙間に導いてやった。
 押し潰される圧迫から逃れた解放感で、アイリスは既に疲れ切っていた。

「こんなに人が多いなんて聞いてないっ」

「当たり前ェだろ。これは大都市ジルクスの建国祭だぜ?」

 行き場のない憤りをノアにぶつけてみるが、見事なくらい落ち着き払った表情で一蹴されてしまった。
 何処かしこも盛大な音楽や人々の熱気で賑わい、溢れ返っている。
 道という道は人で塞がり、とても祭りを楽しむどころじゃない。

 都会をナメてた…。
 いくら同じ祭りでも、故郷の和気あいあいとした雰囲気とは似ても似つかない。

「ここに居てもしょーがねぇだろ。行くぞ」

「あ…っ」

 いつまでも人垣を見つめながら肩を落とすアイリスに、ノアは痺れを切らしたようだ。
 強引に手を掴み、人集りをぐんぐんと突き進む。

「ちょ、ちょっと…」

 明るい時間帯という事もあり、ノアは顔を隠す為にサングラスをしていた。
 けれどこの騒ぎの中では、いくら有名人で美麗な彼と言えど、気にする人など居ないだろう。
 しかもノアは長身だ。
 人の波に逆らうなど、彼にとっては造作もない事。
 確かに、ノアが前を歩いてくれるお陰で先程よりも歩き易い。
 それよりも、アイリスには気になる事があった。

「な、ノア…あの、手っ」

「あぁ?」

「別に繋がなくても、あたしちゃんと着いてくから…っ」

 咄嗟に絡め取られた彼女の右手は、前を歩くノアの左手に捕まれていた。
 だが異性と手を繋ぐ事にすら免疫のないアイリスは、無性に離れたがる。
 そんな彼女の気を知ってか知らずか、ノアは首を一つ横に振った。

「…ダメだ。お前、マクターと街中歩いた時に散々な目に遭ったばっかだろ」

「背後には気を付けるからっ」

「迷子になるのがオチだ。大体、お前は隙が多いんだよ。このジルクスで生き延びたきゃ、ちったぁ自覚しろ」

 そう言ってのけたノアに尚も強く手を握られてしまい、アイリスは仄かに顔を赤く染めた。
 掴まれた箇所が、熱をもったようにアツイ。
 またこの男の所為で火傷したら、どうしてくれようかと睨み付けた。

「何、お前照れてんの?」

「なっ!て、れてなんか…っ」

「この俺に触れるヤツは数えられるくらいしかいねぇからな。光栄に思え」

「そうだね。セスとかセスとか、あとセスとかしかいないもんね」

「お前な、…あの記憶はもう俺の中で抹消したんだから、思い出させんなよ」

 至極不機嫌そうに表情を歪めるノアに、アイリスは思わず笑ってしまった。

「はいはい、もう言いませんよー」

「…お前も良い性格してんなぁ」

 彼女を引っ張る力は強いけれど、どこか優しい。
 握られた掌は大きくて、暖かい。武骨でかさついているけれど、嫌な気は全然しなかった。

 ――…最後に触れたアイツの手も、暖かかった。

 アイリスは唇を噛み締め、人知れずそっと俯く。

 そんな時、ノアが思い出したように彼女へと振り返った。

「あ…そうだ。これ渡しとく」

「え?」

 差し出されたそれは、手の平サイズの機械のようだった。
 コンパクトなわりに、側面の殆どが画面のようなもので覆われている。
 精密機械のようにも見えるが、さほど重くもなく、スイッチも少ない。

「何これ」

 果たして何に使う物か、検討もつかないアイリスは、差し出されたその機械を両手に乗せて眺めるしかなかった。
 すると、ノアは何故か落胆の色を見せる。

「お前、ほんっっっとに田舎モンなんだな」

「…売られた喧嘩は買うけど?」

「待て待て。“フォン”くらいは知ってんだろ」

 途端にアイリスは目を丸くした。

「うぇえっ!?フォンって…これが!!?」

 フォンとは、遠くの相手と連絡を取るための伝達機能を持った機械のことだ。
 一家に一台の必需品であり、田舎と呼ばれる故郷ミンテ村にも数少ないながらも持ち合わせていた。
 村の富豪であるアイリスの実家にも置いてある。

 けれど…こんなに小さくない。

「今は五歳児のガキでさえ一人一つは持ってるぜ。俺の使い古しだが無いよりマシだろ。持っとけ」

「…あんた、自分のは?」

 ノアは、ズボンのポケットから同じような小型のフォンを幾つか取り出した。
 赤、黒、緑…青。
 まるで飴でも見せびらかすかのようなノアの平然とした態度に、アイリスは唖然とした。

「訳あって数台は常備してっから、使ってねぇやつ一個くらい寄付してやる」

「やっぱり喧嘩売ってるんだね」

「冗談だよ」

 けらけらと笑うノアに、アイリスは頬を膨らませた。
 しかし、便利な世の中になったものだ。
 これさえあれば、世間から“迷子”という言葉さえなくなってしまうのではないか。

「これ…どうやって使うの?」

「ん?あー…っと。説明すんの面倒たな。使ってけば覚えんだろ」

 また無責任な事を。
 そんな事を話しているうちに、二人は大通りに出た。
 流石に道が広くなったお陰で、幾分歩き易くなる。
 普段は車の多く走るこの時間も、今日だけは歩行者天国となっているようだ。

「おい、アレに行くぞ」

 ノアが目を付けたのは、屋台の立ち並ぶエリアの一角にある射的場だった。

「いらっしゃい。一回十発まで撃てるよ」

 アイリスの知っている祭りの射的は、一定の距離から狙いを定めて発砲し、景品を倒して遊ぶというゲームだ。
 けれど此処の射的場は、少し違う。
 何故なら景品が見当たらず、代わりに人や動物の形をしたハリボテが幾つも置いてあり、遊んでいる人々はそれらを狙っているようだ。

 …あんなガラクタみたいなのが欲しいのかな。
 じゃらじゃらと小銭を渡すノアを横目に、アイリスは思った。

「おっさん、一番でけェの当てたら何くれんだ?」

「ヒヒ、それはお楽しみだよ」

 何故かノアは素早くサングラスを外し、ゴーグルと付属の耳当てを装着した。
 そしてアイリスにも手渡し、着けるように促す。

「鼓膜、破れんぞ」

「は…?」

 訳が分からないまま、アイリスはそれらを身に着けた。
 ノアは手にした小型銃に弾丸らしきものを詰めた。
 腕を伸ばし、銃口を真直ぐに突き出して狙いを定める。
 あまりに真剣な眼差しだった。

 ――パァンッ!!!!

 アイリスの耳に、激しい音が響いた。
 ノアの言う通り耳当てをしていなければ、この至近距離では鼓膜が危なかっただろう。

 いや。ていうか。

「こ、これ……実弾?」

「はぁ?当たり前ぇだろ。ニセモン使って何が楽しいんだよ」

 いやいや。ホンモノ使っても楽しくないから!!
 しかもそんな真剣に狙わなくても!!
 その目が!!眼力が怖い!!

 アイリスの心の叫びは届かず、ノアの弾は次々とハリボテに穴を開けていく。

「元軍人なめんなよ」

 一際大きな音を立てて、ハリボテの首が飛んだ。
 他の客が注目し、感嘆の声さえ上げる中、アイリスだけは疲れきったようにグッタリとしていた。




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