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Re1:The first sign
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『人は何故、人を愛するの?』

 あの時、心から不思議そうに問い掛けた君の言葉を、今も覚えている。

 人が、人を愛する理由。
 そんなもの、深く考えた事もなかった。

『男がいて女がいて、子孫を遺す為に育むのが“愛”なんじゃねぇの』

 俺は、そんな適当な答えしか返せなかった。
 形の無いもの程、説明する事が難しい。
 それに“愛”なんて言葉にするのも気恥ずかしいものを語れるほど、俺は全うな人間じゃなかった。

 すると君は、とても冷たい瞳をしてこう言った。

『…私には必要ない感情ね。人間の子など、要らないもの』

 漆黒の空に雷鳴が響く。
 雨粒が窓ガラスを叩き、まるで大粒の涙のように伝い落ちる。
 忘れもしない、あの嵐の夜。
 君は君を拒絶した。

 なんて、哀しい事だろう。
 どんなに冷徹な存在を演じていても、どんなに虐げられたとしても。
 君も人の子だというのに。

 だけど、ああ。
 何故だろうか。

『だから要らないわ、愛なんて』

 何処までも空っぽな君を、愛おしいと感じてしまった。





*・*・*・*



 アジト兼バーでもある“Poor Fang”の店内は、しんと静まり返っていた。
 現在時刻は夕方過ぎ。
 常ならば、ちらほらと客の姿が見える時間だが、先程ルツキが“CLOSE”の看板を外に出した為、店内どころか建物自体が閑散としている。
 そんな中、先程からカウンター内で世話しなく動いているルツキに、アイリスは声をかけた。

「あの…、他の皆は?」

「“仕事”で出払っています」

 また“仕事”。
 それは決して一言で済むような内容ではないと、アイリスも察していた。
 クロウディ派の“仕事”とは、一体何を指すのか。
 内心疑問に思っていても、アイリスは尋ねる事が出来ない。
 尋ねてはいけないような気がした。

「お腹、空いていますよね」

 その声で、アイリスの考えは遮断された。
 ルツキはこちらに顔を背けたまま、続け様に口を開く。

「朝から何も食べずにフラフラしていたのでしょう。簡単なものならすぐ作れますから、先にノアの部屋で待っていなさい」

「え…っ」

 ぎくりとアイリスは肩を震わせ、物凄い嫌悪の表情を浮かべた。
 その心境すら、ルツキはお見通しのようだ。

「早かれ遅かれ、ノアと話を付けなければならないのでしょう」

「あ、あたしはアイツと話す事なんか…」

 そこまで言ってアイリスは、先程聞いたセスの言葉を思い出した。


“――…お陰でノアと楽しい夜を過ごせたよ”

“キミの情報やる代わりに一晩相手してって言ったら、二つ返事でオッケーしてくれたんだ”

“あの気難しいノアからそこまで想われるなんて…”

“キミって、何者?”


 恐らくノアは、セルディス派に拉致されたあたしの情報と引き替えに、あのセスとかいう男と寝たのだろう。
 だけど、あたしを助ける為に我が身を犠牲にしたノアに、あたしは酷い事を言ってしまった。

 やはり、謝らなければならないのだろうか。

「ノアも…“仕事”で出ているんですか?」

「何の用事もなければ、部屋にいると思いますよ」

 ああ気まずい。
 ノアに会ったところで、あたしは一体何て言ったら良いのだろう。

『勝手にアジトを飛び出してごめんなさい』

『バカヤロウって言ってごめんなさい』

『あたしを探すために酷い事させてごめんなさい』


 …ダメだ。
 何を謝っても、あたし自身が納得できそうにない。 だけど今回ノアを怒らせたのは、あたしに原因がある。
 腑に落ちなくともこちらが潔く謝るか、もしくは平等な話し合いが必要だろう――…。

 覚悟を決めたアイリスは、それはそれは盛大な溜息をついて見せた。

「ノアの部屋…行ってきます」

 本当に愕然とした足取りで、肩を落としながら店を出るあたしを、ルツキさんは変わらぬポーカーフェイスの笑みで見送っていた。



*・*・*・*



 ――…そういえば、昔。
 まだレックスがうちに来たばかりの頃、一度だけ喧嘩した事があった。
 喧嘩といっても、些細な子供の悪ふざけのようなもの。
 村に来たばかりでまだ人見知りしていたレックスを傷付け、泣かせてしまったのだ。
 意外にもその心の傷は深かったらしくレックスは数日もの間、部屋から出てこなかった。
 食事もトイレも部屋で済ませ、風呂に入る事すら拒むほど。
 まぁ元々、不衛生な環境には慣れていたみたいだけれど。(慣れてほしくもないけど)
 とにかく、レックスが塞ぎ込んだ数日間は、我が家ではちょっとした事件だった。

 だけどあたしは、意地でも謝らなかった。
 あの頃のあたしは本当に我儘な“お嬢様”で。
 自分を中心に世界があると思っていたからだ。
 ましてや相手は、大大大ッ嫌いな居候。
 自分より格下と認識した相手に、何故謝らなければならないのかも分からなかった。

 部屋から姿を見せないレックスを、母様や使用人達は酷く心配した。
 姉様は「あんたも相当性格歪んでるわね」と呆れ果てていた。
 それが更に腹立たしくて、あたしは尚更謝る気になれなかった。

 ――…だけど。
 本当はあたし、心の何処かで忘れられなかったんだ。
 酷く傷付いたレックスの泣き顔を。
 屋敷に帰るなり、母様の腕に飛び込んだ痛々しい姿を。
 可哀想な、泣き声を。


 そして、明くる日の朝。
 レックスは、何の前触れもなくあたしの前に姿を現した。
 朝焼けに染まる灰色の髪が、あんまり綺麗で。
 “あれ、コイツこんなに格好良かったっけ”って子供ながらに思うくらい、見惚れてしまった。

 そして悲劇のヒロインだった灰被り姫は、困ったように微笑んで言ったのだ。

――『ごめんね』、と。






「アイリス」

 名を呼ぶ声に、彼女はハッと目を覚ました。
 相変わらず雑然とした部屋の中、小さなテーブルの上には食事を終えた食器が並べられている。
 食後のコーヒーは既に冷めきっていた。
 既に陽は落ちたようで、窓の外は暗く、遠くで微かに街灯が灯っていた。
 そんな事を冷静に考え、ぼやける頭の中でアイリスは記憶を辿る。

 そうだ、結局あの時ノアは外出していたので、ルツキの持ってきてくれた食事を部屋でつまみながら、考え事をしていたのだ。

 ああ、それにしても美味しい食事だった。
 暖かいコーヒーと、香ばしい匂いのクロワッサン、それに彩り野菜のスープ。
 それらを前にして、アイリスは初めて自分が空腹だという事に気付いたのだ。
 一口スープを口に運べば、その優しい風味が寂しかった彼女の胃袋をじわりと満たす。
 冷酷無慈悲なテロリストの作った食事は、何処までも暖かくアイリスの心に染み渡った。

 形はどうあれ、こうして寝床と食事を与えてくれるクロウディ派には、感謝すべきなのかもしれない。
 彼らに出会わなければ、アイリスは今頃一人で途方に暮れていただろう。

「――…おい、聞いてんのか」

 そこで、アイリスは漸く何者かに起こされた事を思い出した。
 顔を上げると、其処にはこの部屋の主。
 つくづくあの幼なじみに良く似た顔だとアイリスは思う。
 あの頃はお姫様のように可愛いと思っていたけれど、今目の前にある顔はまるで…。

 ――…って、それ所じゃないッ!!!!

「あ、ああ…あたし、何て言うか…そのっ」

 アイリスは慌てて今まで寝ていたソファーから立ち上がると、すぐに姿勢を正した。
 けれど目の前のノアは、何故か固い表情で彼女から目を反らす。
 そんな彼の態度で気まずさを覚えたアイリスも、彼の顔を見れずに俯いてしまった。

 ――どうしよう、と。

 いつまでも顔を上げようとしないアイリスに、背の高いノアは彼女の頭上で一つ溜め息をつく。
 そしてノアは、そっとアイリスの頭に手を添えた。
 大きな掌が、亜麻色の髪を宥めるように優しく撫でる。

「――…悪かった」

 ノアが口にしたそれは、先刻彼女に手を上げてしまった事への謝罪だった。
 けれど、その言葉を聞いたアイリスは尚更顔を上げられずにいた。

 ――…謝らないで。
 きっとあんたは悪くない。
 誰の所為でもないんだから。

 ぎゅ、と唇を噛み締めるアイリスを見つめ、ノアは再び口を開いた。

「ごめんな、アイリス」

『ごめんね、アリィ』

 その仕草が、言動が。
 アイリスの記憶に残る“彼”のものと重なる。
 そっと顔を上げると其処には、困ったように眉根を寄せる綺麗な顔があった。
 そして、アイリスは――…

「…ごめんなさい」



『…あたしも、ごめん』

『え…?』

『だって…イヤだったんだもん。かあさまが、あたしよりアンタのことだいじにするの、イヤだったの!あたしが一番かあさまのそばにいたいのに…っ』

 母様の一番になりたい。
 母様に一番近い場所で、ずっと一緒にいたい。
 それが、子どもだったあたしが頑なに守っていた信念だ。
 誰にもあげたくなかったの、宝物なの。
 母様が、大好きなの。

『心配しなくても大丈夫だよ』

 今此処に、あの日のあたしがいる。
 人を見下して全てを支配したつもりでいた自分を愚かしいと感じている、遠い昔のあたし。

 ごめんなさい、と。
 何度口にしても足りないくらい、あたしは罪深かった。
 だけどそんなあたしに、あんたは優しく微笑んだ。

『奥様の一番は、いつだってきみだから』

 まるで、雪解けの日差しのような暖かい言葉。
 陽だまりに包まれたように安心してしまって。
 気付いたらあたし、ぼろぼろと涙を零してた。
 突然泣き出したあたしに、灰被り姫は困って、焦って…。
 必死に頭を撫でてくれた小さな手は、とても優しくて頼りなかった。

「ごめんなさい、ノア」

 ――…だけど。
 目の前にいるこの人は、レックスじゃない。
 だからあたしは絶対に泣いたりしないのだ。
 涙を見せない代わりに、ノアに向けてそっと微笑んでみた。






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