Re1:The first sign C *・*・*・* 「ノア、説明して下さい。何があったんですか?」 …何だよ。 俺は悪くねぇぞ。 「いきなりあんな風に逃げ出すなんて、タダ事ではないでしょう」 大体、あの女が好き勝手な事ばっかり言いやがるから。 関係ねぇくせに、出しゃばるから。 「どうせ貴方がロクでもないこと言って怒らせたんでしょう。さっさと連れ戻しに行ったらどうです?」 「さっきからウルセェな!!つーかなんで俺が悪者になってんだよっ!!」 「じゃあ、アイリスさんに非があるんですか?」 ルツキのその問に、ノアは素直に頷く事が出来なかった。 静かな店内に、一瞬だけ沈黙が響く。 言葉に詰まってしまった事を誤魔化すように、ノアは乱暴にソファーへ腰掛け、煙草に火を付けた。 そんな彼の幼稚な反抗心に、ルツキは椅子に座る事はなく小さな溜息を漏らすばかり。 なんて意地っ張りだ。 アイリスの事を気にも留めていなければ、ノアはとっくに自室に戻っている筈。 それでもこうして店内に残り、出入口の方を気にしているという事は、まだ完全に彼女を放置するつもりはないということだ。 面倒な、性格。 心配ならばさっさと連れ戻せばいいものを。 「…あいつ」 ふとノアが口を開いたので、ルツキは考えを中断した。 ノアは機嫌が悪そうに煙を吐き、落ち着かない様子で足を組み直す。 「俺のこと、死にたがりのバカヤロウだって言いやがった」 「まぁ、間違ってはいませんね」 「自分すら大事に出来ないのに、どうやって他人を守るんだって、説教たれやがった」 「正論ですね」 悠長に感想を述べるルツキを、ノアはギロリと睨み上げた。 だが逆にルツキは僅かに口元で弧を描いている。 「それでノアは、アイリスさんに逆ギレしたという訳ですね」 「ああ、つーか…」 途端にノアはうなだれてしまい、ハァと短く溜息を付き、煙草の先を灰皿で潰した。 「さすがに殴っちまったのは、マズイよな…」 「…殴ったんですか」 「いや、パーだけど。わりと強めに」 ルツキがあっけらかんとする傍らで、ノアはがっくりと落胆していた。 ノアがアイリスを探しに行けない理由は、それだった。 女に手を上げたのは流石にまずかったと反省しているからこそ、アイリスに対して後ろめたさを抱えているのだ。 仕方なしに、ノアは二本目の煙草をくわえて火を付ける。 大きく煙を吐くと、頭がスッと冷静になった。 ああ、悪いのは俺だ。 この自己犠牲心が歪んでる事くらい、自分でも解っていたのに。 当たり前のことを指摘されて、それが面白くなくて手を出した。 ――…最低だな。 「らしくない、ですね」 ルツキが無意識にぽつりと呟いた言葉を、ノアは聞き逃さなかった。 「大体どうして、アイリスさんをアジトに軟禁するような真似をしたのです」 「どうしてって…」 「確かに今、軍に我々の居場所を悟られてはならない。けれどそれなら、彼女を口止めする方法はいくらでもあった筈です」 そうだ…、口外の恐れがあるなら、強引に手を下す方法もあった。 弱味でも何でも握って、脅せばいい。 けれどノアはそれを実行せず、あえて彼女を傍に置いた。 それは、何故? 「分かんねぇ…」 ノアはくしゃり、と自らの前髪を掴んだ。 アイリス=ミストハート。どこまでも勇敢で、無謀で、そのくせ世間に疎い。 そして何より、彼女は強いのだ。 年若い女性がたった一人で都会に赴くだけでも、大変な苦労があっただろう。 それだけでなく、事態は彼女にとってどんどん悪い方に向かっている。 だが彼女は泣かない。 弱音すら吐かない。 ふと、先程のアイリスの表情がノアの脳裏に過る。 濃紺の瞳は怒りに満ちて歪み、叫んだ声はこの胸の奥に確かに響き渡った。 力強く、どこか哀しそうでもあった、あの表情。 「――…あの…」 先程から、妙な視線は感じていた。 今、店にはノアとルツキしかいない。 だが他のメンバー達は、アイリスが出ていった事を騒ぎ立て、密かにノア達の様子を伺っていた。 それは、本人達もとっくに気付いていたが。 「ちょっといいッスか、ルツキさん…」 勇敢にも、物影から覗き見ていた集団の中から、ジィトが声を上げたのだ。 ノアは未だ俯いたままだが、ルツキは無言でこちらに視線を向ける。 どうやら声を掛けるタイミングは抜群だったようだ、とジィトは胸を撫で下ろした。 「あ、あの…アイリスの荷物なんですが…、何処に置いたらいいッスか?前の部屋はもう使い物にならないんで」 そう言って掲げられたのは、大きめのショルダーバッグ。 …荷物も持たずに飛び出すとは、アイリスも随分な間抜けだ。 ルツキはまたしても溜息をついた。 「…分かりました。私が預かります」 ジィトは言われるがままノアのいる席に近付き、恐る恐るバッグをテーブルの上に置いた。 その際、一瞬だけノアに視線を向ける。 どんな表情をしているのかは分からないが、時折煙草の灰をトン、と落とす仕草をして見せた。 …不機嫌なのは確かだ。 触らぬ神に祟りなし。 自分の役目は終わった、とジィトは踵を返した。 「じゃ、オレはこれで…」 「ジィト」 ぞくり、と悪寒が走る。 いつの間にかノアはゆらりと立ち上がり、こちらを見ていた。 …嫌な予感しかしない。 「は、はい?」 「お前、行ってこい」 何処に、などと野暮な事は聞けない。 この状況で使いに出されるのなら、目的は一つしかないからだ。 「オイ、そこらで隠れてるお前らもだ」 図星をつかれたクロウディ派のメンバー達は一斉に震い上がった。 だが逃げ出す者など、誰一人としていない。 寧ろ、そうした行動を我らがリーダーは酷く嫌悪されると、メンバーは全員知っているからだ。 物影に潜んでいたメンバー達は、物凄い速さでノアの前に整列した。 ノアは漆黒の瞳をスッと細め、冷徹な視線で全員を見渡した。 そして、一言。 「行け、同胞ども。必ず連れ戻せ」 「「「は、はいぃっ!!!!」」」 全員は声を揃えて大きな返事をすると、一目散に店の外へ飛び出した。 出遅れる者は、誰一人としていない。 何故なら彼らは、ノアの仲間にして従順な僕(しもべ)なのだ。 「…自分で探しに行かないのですか」 「こんな昼間っから俺が外出歩いたら、大騒ぎになんだろ」 「それもそうですね」 ただ一人、ルツキだけは呑気にノアの隣で笑っていた。 彼は、クロウディ派の副参謀。 唯一ノアと対等の立場にいる者だった。 「ん…?」 その時、ルツキはアイリスのバッグに視線を向けた。 僅かに開いたファスナーから、見た事のある物が飛び出している。 おもむろにそれを取り出してみせると、ノアは不可解そうに顔をしかめた。 「…何だ、そりゃ」 「週刊誌です。ほら、貴方の記事が載っている」 手渡された雑誌は、随分と古かった。 発行時期は、2年前。 栞代わりとしてページの端を折られた記事に、ノアは目を通した。 『ジルクスの英雄、 謎の失踪』 「…っ」 ノアは、動揺を隠せなかった。 脳裏に蘇るのは、今も鮮明に残る血飛沫。 見知った者達の、無惨な死に顔――…。 銃声、が。 鼓膜を破る。 悲鳴が、 血が、 涙が、 俺を殺そうと 襲ってくる…。 「っ…、ざけんなよ…」 ノアは、手の中の雑誌を思い切り握り潰した。 彼の静かな烈しい怒りを感じ取ったルツキは、ただ静かに瞳を伏せる。 するとその時ルツキは、雑誌の間に挟まっている何かを見つけた。 「ノア、ちょっと」 ルツキは即座に雑誌をノアから奪い、何かの正体を確認する。 思った通り。 それは白い封筒だった。 「これはアイリスさんの私物ですよ。無闇に潰さないで下さい」 「けっ、んなモン持ち歩く方が悪ィだろーが」 悪びれもしないノアを尻目に、ルツキは封筒の無事を確認した。 そして見てはいけないと思いつつも、その中から一枚の紙を取り出す。 以前、見せて貰った彼女の探し人の写真だ。 ――…レックス。 灰色の髪と瞳を持つ、儚くも美麗な青年だ。 その柔らかな表情には似付かわしくない、ジルクスの紋章が入っている薄汚れた鎧を身に纏っている。 彼の両側に写っている友人らしき二人も、同じものを身に付けていた。 …似てないなんて、我ながら良く惚けたものだ。 この青年は、こんなにも瓜二つだったか。 英雄ノア=クロウディに――…。 「ノア」 「あ?」 「レックスという青年を、知っていますか?」 その突然の問に、ノアは無言のまま思案した。 暫く考え込んだ結果、静かに口を開き、一言。 「知らねぇな」 「…そうですか」 「そいつ、今はジルクス軍にいねぇんだろ」 途端にノアは、目付きを変えた。 野生の鷹が獲物を狙うような、鋭い眼光を見せ付ける。 「もう…――“手遅れ”なんじゃねぇの」 その言葉の真意を、ルツキはすぐに理解した。 解っているからこそ、何も言えなくなってしまったのだ。 [*前へ][次へ#] [戻る] |