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Re1:The first sign
B



 ――…レックス。
 アンタなんか大嫌い。

 当たり前みたいに家に居座って。
 いつの間にか家族の一員として馴染んでる。
 ああ…むかつく!!

『アリィ…。今のあんたの顔、超ぶっさいく』

『うっさいなぁっ!』

 真ん丸に膨れたあたしの頬を、姉様は面白そうにツンツンと突いてくる。
 だって、あの光景。
 いつ見ても腹立つ!!

『ほら、レックス。口の横が汚れてるわ』

『あ、す、すみません。奥様…』

 大好きな母様が療養の旅から帰ってきて、三日が過ぎた。
 あの大雪の夜、一緒に連れ帰った少年レックスも、変わらず我が家に居座っている。
 だけど、いきなり“今日から家族よ”なんて紹介されても、簡単に納得なんか出来なかった。
 あたしが気に食わないのを知ってか、レックスはタダで置いてもらう代わりに、家の仕事を手伝うと言い出したのだ。
 どうやら使用人達も驚くくらい、ヤツは働き者らしい。
 更に母様はその仕事ぶりに感心して、益々ヤツを可愛がっている。

 今も、ほら。
 食事の時は必ずレックスを隣に座らせて、世話を焼いてるんだ。

『確かに母様、ちょっと必要以上に構いすぎな気もするけど』

 すぐ真横で、プチトマトを口に入れながら姉様がそう呟いたのを、あたしは聞き逃さなかった。
 思わず目を期待に輝かせて、性悪魔女という名のミモザ姉様を見上げる。

『でしょ!!そう思うでしょ!!?』

『でも、いいじゃない』

 ふふん、と意地悪く笑う性悪魔女によって、あたしの期待は見事に打ち砕かれた。
 だけど姉様は、母様とヤツが戯れているのを嬉しそうに見つめている。

『母様、何だか楽しそう。生き生きしてて、とってもステキだよ』

 …言われてみれば、そうかも。
 ヤツといる時の母様は、とっても楽しそうだ。

 もしかしたら、あたしといる時よりも――…。

『アリィ』

 ふと、母様があたしを呼んだ。
 柔らかくて優しい笑顔を浮かべながら、あたしに手招きしてる。

『っ…かあさま!』

 あたしは食事を投げ出し、ダイニングの椅子から降りた。
 そしてそのまま、向かいに座る母様の許へ走る。
 駆け寄ってくるあたしを、母様はふんわりと抱き締めてくれた。

『アリィ、あんまりむくれてると可愛いお顔が台無しよ?』

 うっ、バレてたか。
 母様はあたしを離すと、膨れていた頬を優しく撫でてくれる。

 優しい、母様。大好き。

『ねぇアリィ、今日も午後から遊びに行くの?』

『うんっ!イサム達と待ち合わせしてるの!』

『じゃあレックスも一緒に連れていってあげて?』

 その途端に、あたしは自分の身体が石のように固まる感覚を覚えた。
 あえて効果音を付けるなら“ピシッ”っていうのが相応しいと思う。
 その光景を見ていた姉様も使用人達も、更には憎たらしいヤツまでもが、あたしの絶望的な心境を察してくれただろう。
 けど残念ながら、母様には届かないようだ。

『毎日お家で家事ばかりさせるのも悪いし、たまには外で思いっきり遊ぶといいわ。ね、レックス?』

『あ、あの…、僕…っ』

『遠慮しなくていいのよ。いつもアリィが遊びに行くの、羨ましそうに見てたじゃない』

 母様の隣で、レックスは恥ずかしそうに首をぶんぶんと横に振った。
 だけど母様はレックスの制止も聞かず、あたしの愕然とした心境も全く気付く様子もなく。

 ただひたすら、天使の微笑を浮かべていた。

『ね、アリィ?お願いね』

『……はい……』

 勿論、あたしの頭の後ろには目なんか付いてない。
 だけど、見えるんだ。
 背後で姉様が、必死に笑いを堪えてる姿が。



*・*・*・*


 ミンテ村、気温5℃、天気は快晴。
 清々しい午後の日和り。
 それなのに、あたしはこの上ないくらい不機嫌だった。

『ま、待ってアイリス…っ、うわぁ!!』

 背後から聞こえる弱々しい声を無視して、あたしは待ち合わせ場所を目指す。
 あたしの屋敷は村の中でも特別高い丘の上にあるから、遊びに行く時はいつもこうして長い階段を降りるのだ。
 多分ヤツは、凍った地面に滑って転んだのだろう。
 さっきから何度目だっつーの。

『お、お願いだから…もう少しゆっくり歩いて…っ』

『何であたしが合わせなきゃいけないの?アンタが遅すぎるんじゃない』

『そ、それは…ごめん。まだあんまり雪に慣れてないから…』

 ふん、情けない。
 それでもオトコなの?

 レックスは、生意気にも母様に用意してもらったニットの帽子を目深に被って、注意深く下を向いて歩いていた。

『でも僕、嬉しいな』

『はぁ?』

 灰色の髪に、真っ白な肌。そして儚い色をした純粋な瞳。
 消え入りそうな声で、レックスは呟いた。

『僕、これからアリィと一緒に遊べるんだね。すごく嬉しい』

 ――…笑った。
 それはまるで本当に女の子のように可愛らしい微笑み。

 真っ白な雪の中に溶け込んでしまいそうな少年、レックス。
 その頬は、寒さの所為か少しだけ赤らんでいて。
 けれど、寒そうには見えない。
 心まで、暖かさで満ちているようにさえ見えた。

 …だけど。
 一生懸命に自分を追うレックスに対して、あたしは何処までも冷酷だった。

『きやすく“アリィ”なんて呼ばないで』

『あ…、ごめん、なさい』

 “バカじゃないの”
 その言葉が喉まで出掛かっていた。
 レックスの純粋な言葉も笑顔も、その全てがあたしを見下しているように感じたのだ。

 母様は今、レックスを一番に可愛がってる。
 まるで本当に自分の息子みたいに愛してるんだ。
 その反面、今まであたしに注いでくれてた愛情が、少しずつ薄まっていくように感じる。

 …イヤだ。
 あたしの一番は、母様なんだから。
 母様の一番も、あたしじゃなきゃイヤ。

 こんなヤツに負けたくない。

『おーい!アイリス!!』

 いつもの待ち合わせ場所は、中央広場の大きなサクラの木の下。
 サクラは本来、暖かい気候の地域では薄紅色の小さな花が咲かせる筈だけど、この寒いミンテでは一回も花を咲かせている姿を見た事がない。
 そんな木が何故この村に植えてあるのかは、誰も知らない。
 今日も枝に雪を積もらせたサクラの木の下で、あたしはいつものメンバーと落ち合った。

『遅かったな、アイリス』

『もう皆集まってるよー』

『今日は何して遊ぼーかっ』

 遊ぶのは、いつも決まったメンバーだ。
 猟師の息子エンジ、宿屋の双子イサムとクラム、大工職人の息子ガティ。
 あたし以外の皆がオトコだけど、リーダーはあたしだ。
 彼らはあたしを中心に集まって、あたしの言う事を忠実に聞いてくれる。
 言わば“手下”のような存在だった。

『…誰だよ、お前』

 一番最初にヤツに不信感を抱いたのは、エンジだ。
 他の皆も、見た事のない新顔へと次々に視線を集中させる。
 一気に注目を浴びて照れてるのか、ヤツは「あ」とか「う」とか情けない声を出して赤面していた。

『なぁアイリス。こいつ誰?』

『レックス。うちの新しい使用人』

 “使用人”がショックだったのか、ヤツは途端に残念そうに肩を落とした。
 …何よ、ホントのコトでしょ。

『ふーん…なんか弱っちそうだな。オンナみてー』

『そ、そんな…僕は男だよ…っ』

『じゃ、証拠みせろよ』

 さすが、ミンテ村始まって以来の悪ガキ集団。
 典型的な苛められっ子のレックスは、早くも奴らのオモチャとなったようだ。

『ほら、パンツ脱いでみろ』

『そ、そんな…っ』

『自分じゃ脱げねーなら、オレたちが手伝ってやるよ』

 じりじりと、エンジ達は獲物との距離を縮める。
 追い詰められたウサギは、ちらりと助けを求めるようにこちらを見た。

 そんな小動物みたいな顔したって、ムダ。
 あたしにアンタを助ける義理はないもの。

『う、うわぁぁああっ!!!!』

『あ、逃げたっ』

『捕まえろーーっ!!パンツ取ったヤツが勝ちだぞーーっ!!』

 身の危険を察したウサギは、一目散に逃げ出した。
 けれどオオカミ達は、自慢のすばしっこさで追い立てる。

『…バッカみたい』

 オトコって単純。
 自分より弱いヤツを見つけたら、優劣を付けずにはいられない。

 レックスの逃走も所詮、無駄な抵抗だ。
 不慣れな雪の足場、運動オンチ、土地勘ゼロ。
 何処へ逃げたって絶対捕まるに決まってる。

『…いい気になって、かあさまにベタベタするから』

 ざまあみろ、と声に出して笑ってやりたい。
 けれどあたしは、心の何処かでレックスを気に掛けていた。

 何故ならあたしは、母様に言われた。
 “レックスをよろしく”と任されたのだ。

『っ…』

 気付けば、あたしは皆の後を追っていた。
 雪にハッキリと付いた足跡を辿っていくと、町の外れにある行き止まりの路地まで辿り着いた。
 倒れこんだウサギに群がるオオカミ達。
 今まさに、エンジがレックスのズボンに手を掛けている場面だった。


 ――やっぱりダメだ。
 あたしはアイツが嫌いだけど、アイツに何かあったら母様が悲しむ。

『エンジ!!やめ…』

『やだぁぁあああっ!!!!』

 あたしの制止は、レックスは叫びにかき消された。
 無惨にも舞い落ちる、純白の下着。
 それと同時に、地面に降り積もった雪の上へと大粒の涙が滴となって幾つも零れ落ちた。
 あたしは、立ち尽くしたまま呆然とした。
 目の前には顔を真っ赤にして嗚咽を漏らす、可哀想な灰被り姫。

『…ひ、…うあぁぁぁあ……ああぁ……っ!!!!!!』

 ――…これが、初めて見たアイツの泣き顔。
 赤ん坊みたいに泣き喚いてる姿を見ていたら、何故か胸が痛くなった。

 あたしは何もしてない。
 あたしは悪くない。

 それなのに、罪悪感を抱かずにはいられなかった。





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