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Re1:The first sign
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 アイリスがジルクスに来てまず一番に驚いたのは、建物の多さだ。
 大きい塔から小さな民家までゴチャゴチャと入り乱れるその景色は、ハッキリ言って目に悪い。
 それから、空気。
 雪国のミンテ村の気温は、最低時で−20℃まで下がる。
 その半面、冷却された空気は澄み渡り、深呼吸をすると肺の奥が滅菌されたように染み渡るのだ。
 だが此処の空気は、生き物全般にとって少なからず有害なものだと感じた。
 工場区から立ち上る煙が充満し、空は鈍色に塗り替えられている。
 道という道はコンクリートで舗装されており、裸足で踏み締めた時の土の暖かさなど微塵も感じられない。
 更には、自然の緑が全くと言っていいほど見当たらなかった。
 たまに見かける花はどれも造花で、歩道の脇にも雑草の一本すら見当たらない。

 これが、所謂(いわゆる)カルチャーショックというものなのだろうか。
 ジルクスで過ごす毎日は、アイリスを困惑させるものばかり。
 まさに今も、彼女は驚愕の場面に出くわしているのだから。


「…………は?」

 一体、何故こんな事になったのか?
 このあまりにも有り得ない状況を前に、アイリスは驚愕を通り越して物事を冷静に考える事が出来た。

 昨日は確か、買い出しの途中に大男のサイムに拉致され、セルディス派のアジトへと連れて行かれた。
 そして、彼らからジルクス軍の横暴な政治を知らされたのだ。
 地下街と呼ばれる場所に住む、市民権を剥奪されたジルクスの難民。
 そんな彼らの人権を取り戻し、自由を与える。
 それがセルディス派の正義だと言っていた。

 そしてその後…ノアが直々にアイリスを迎えに来たのだ。
 ノアが次々と起こす奇妙な現象に恐怖を抱いたアイリスは、言われるがままルツキの車に乗った

 そうだ、車。
 溜まりに溜まった疲労のせいで、ついウトウトと眠ってしまったのだ。

 ――…で、今は朝。
 アイリスが目覚めると、其処は、漸く見慣れた木造の古い部屋。
 どうやら無事クロウディ派のアジトに戻ってきたようで、ホッとしたのも束の間。
 けれど彼女は気付いたのだ。
 此処は、自分に割り当てられた部屋ではないと。


――コンコンッ

「失礼します」

 呆気に取られていたその時、軽いノックの後に部屋の扉が開かれた。
 幸か不幸か。
 入室してきたルツキと目が合ってしまった。

「ああ、アイリスさん。やっと起きましたか」

 少し呆れたようにそう言うと、ルツキはアイリスの横たわっていたソファーの前まで歩み寄った。

「全く…貴女という人は、散々手間を掛けさせた挙句よくまぁ呑気に眠れますね。しかもどれだけ揺すっても起きないものですから、ノアが直々に貴女を運んだのですよ。仮にもリーダーの手を煩わせるなんて…」

「あ、あの…」

 いつものように長々と始まったルツキ説教を、アイリスは慌てて遮った。
 正直、起床して間もないこの時間に嫌味を言われるのは避けたいが、ここで話を逸らそうと遮断すれば更に長いお説教が待っている事はジルクスに来てから嫌と言うほど分かり切っている。
 けれど今は、そんな場合じゃない。
 呆然としていて、けれど何処か困惑しているアイリスの様子に、ルツキは気付いた。

「どうかしましたか?」

「こ、この部屋って…まさか…」

「ああ、此処はノアの自室ですよ」

 ルツキの話によると、このバー兼アジトは大規模な掃除をしていたようで、アイリスに割り当てていた部屋は今、ガラクタ置き場になってしまったと言う。
 他の男共の部屋に寝かせれば、美味しく戴かれてしまう危険もあるので、ノアの一人部屋に招待されたそうだ。

「別に同じベッドで寝たわけではありませんし、贅沢は言わないで下さい」

 確かに、アイリスはソファーに一人で寝ていた。
 ご丁寧に毛布まで掛けてくれた事は、とても有難いとは思う。

 だが――…

「じゃあ…あれ、何?」

 震える手でアイリスが指差したのは、この部屋で唯一つのベッド。
 白いシーツに包まっているのは、勿論この部屋の主の筈…なのだが。

「このヒト…どちら様?」

 此処は、都会。
 ミンテ村のような田舎では有り得ない光景を、アイリスは沢山見てきた。
 だがこれは、驚愕の絶景ワースト3にランクインするだろう。
 いや、むしろダントツの一位に輝いてもおかしくない。

 ベッドでスヤスヤと眠るノアの傍らに、寄り添うように横たわる人物が一名。
 シーツから覗くノアとその人物の姿は、間違いなく半裸で。
 いくらアイリスでもこんな状況ならば、ノアとこの人物が昨晩何をしたのかは明白だった。
 けれど、何故。

「何で…」

 ノア=クロウディ。

 あんた何で男と寝てるの?


「はぁ…全く、面倒な奴を連れ込んで」

「ル、ルルルツキさん!?何その“またか”みたいな溜息!!」

 こんな事態が日常茶飯事化してたまるか!!とアイリスが狼狽えていた、
 ――…その時。

――パァンッ!!

 小さな部屋で、鋭く鳴り響いた銃声。
 外で朝の歌を奏でていた鳥達は、その音に驚いて一斉に飛び立った。
 バタバタと鳥の羽音が余韻する中、アイリスは一筋の冷や汗を流す。

「る、ルツキ…さん?」

「何ですか」

「…どーしてそんな物騒なモノ、持ち歩いていらっしゃるんでしょーか…?」

 顔面蒼白のアイリスを余所(よそ)に、ルツキは銃口から出る硝煙を息でフッと消してみせた。
 ノアと見知らぬ男の横たわるベッドに向けて、ルツキは懐に忍ばせていた小型の銃を発砲したのだ。

「今の物騒な世の中、これくらいは護身用に持ち歩かないと生きていけませんからね」

「ていうか!いきなり撃つ意味が分かりません!!」

「この非常識なお二人の目を覚まそうと思いまして」

 さも発砲が当たり前のように言うルツキに、アイリスは信じられないという顔をした。
 だが彼の言う通り、非常識な二人はモゾモゾと動き出し、ようやく目覚めたようだ。

「…今の、ルツキか」

「お早うございます。寝起きの所すみませんが、さっさとその大きな野良猫を元の場所に戻してきて下さい」

「あ?野良猫…?」

 ノアは寝呆け眼を擦りながら隣を見やる。
 そして、一晩を共に過ごしたであろう男の姿を見付けて、固まった。

「…テメーまだいたのか」

「おはよ、ノア」

 上半身裸の見知らぬ男は、寝台から起き上がったノアに向けて微笑んだ。
 明るいサラサラの茶髪に、どこか特徴的だが決して悪くない顔立ち。
 引き締まった体付きは、目のやり場に困るほど逞しい。
 ふと、ルツキはこれ見よがしに溜息をついた。

「全く…ノアも物好きですね。こんな変態の相手をするなんて」

「好きでやった訳じゃねーよ。昨日のツケだ」

「ま、オレとしては今回なかなかイイ仕事だったよ」

 そう言うと男はニッと笑って、寝台でふんぞり返った。
 一体何者なのだろう。
 どうやらルツキとも面識はあるらしいが、クロウディ派でない事は明らかだ。

 アイリスが試行錯誤していると、突然ノアと視線が合った。
 何と声を掛けたら良いか分からず、アイリスは思わず目を泳がせてしまった。
 そんな彼女の心境を察したのか、ノアは小さく舌打ちをすると静かに立ち上がった。

「帰れセス。もう用は済んだろ」

「え〜っ、そんなツレない事言うなよ。昨晩はあ〜んなに…」

「俺は、同じ事を二回も言うつもりはねぇ」

 ぞくり、と悪寒がした。
 ノアの声色が、昨日セルディス派と見舞えた時と同じ恐ろしい音に聞こえたからだ。
 セスと呼ばれた男は、一瞬息を呑むと、ちらりとアイリスを見た。

「…成る程ね」

 自分だけで何かを納得すると、セスは立ち上がり、傍らに落ちていたシャツを拾い上げた。

「まだ命は惜しいし、今日は帰るよ。次はいつ会おうか?」

「用がある時は、こっちから連絡する」

「あらそ、どうぞご贔屓(ひいき)に」

 クスッと意味深に微笑むと、セスは扉からではなく窓から外へ出て行った。
 幸い此処は一階なので、遠ざかる背中はとても悠々としている。

 …何だったんだろう、あの人。

「ノア」

 凛とした声に呼ばれたノアは、ルツキに視線を向けた。
 清閑な顔付きのルツキは、静かに口を開く。

「無理にあの男に頼る必要はありませんよ。その気になれば、我々だけで…」

「“あの件”だけは流石(さすが)に無理だろ。俺は別に苦じゃねーし、心配すんな」

 二人の会話は、アイリスには全く分からないものだった。
 けれど深刻そうな彼らを見ていると、何故か他人事には思えない。

「では、早く支度してきて下さいね」

 アイリスがハッと我に返った時にはもう遅かった。
 自分の役目は終わった、と言わんばかりにルツキは部屋を出て行ってしまったのだ。
 静まり返る部屋の中には、ノアとアイリスの二人だけ。
 気まずいどころの空気じゃない。
 それを悟ったアイリスは、自分を部屋を出ようと慌てて立ち上がろうとした。
 だがその瞬間、彼女は強い力でソファーに引き戻される。

「まだ行くなよ」

 耳元で囁かれる、低い声。
 背後からノアに腕と肩を捕まれ、アイリスは硬直してしまった。

「な、何か、用、ですかっ?」

 アイリスの声は、思いっきり上ずった。
 動揺する彼女とは逆に、ノアは至極落ち着いた言動でピッタリとアイリスの背に身を寄せていた。





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