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Re1:The first sign
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 淀んだ空気が否応無しに鼻につき、思わず眉間に皺が寄る。
 雨の兆しもない筈なのに頭上の空は灰色の雲に覆われ、湿気を帯びたコンクリートによって足の裏から体内をじわじわ汚染されているような感覚に襲われた。

 それでいて立ち並ぶ建物はやけにでかく、派手な蛍光色の看板が昼間でも明々と点灯していて、この辛気臭さを誤魔化しているようだった。

 道行く人々も、様々だ。
 大層ご立派な服を着て、従者を連れている貴族風情の奴。
 ボロボロの雑巾みたいな布切れを纏って、下を向き、まるで何かに怯えているような仕草をしている奴。
 轟音と共に、黒光りした派手なバイクを乗り回す、ギラギラした危ない輩。
 完璧な化粧を施し、惜し気もなく肌を露出した美しくも妖しい女達。


 ああ、これが。
 都会ってやつなのか。

 船で三日、寝台列車を乗り継いで五日。
 たった一週間かそこらしか掛からない距離なのに。
 こんなにも違うものか。

 此処は、彼女が全く知らない世界だった。



*・*・*・*



「…おいてめえ、何だこのシケた酒は!!」

 メインストリートから外れた小路にある、一件の酒場。
 小さいながらもそれなりに繁盛しているようで、まだ明るい時間帯にも関わらず、店内には大勢の客で賑わっていた。
 そんな場所で、突如怒号が鳴り響いた。

「…ご注文のショットですが、何か?」

「何か、じゃねぇよ。こんな水みてぇに薄い酒があるか!!」

 ばんっと大きな音を立てて思い切りカウンターを叩く男に、他の客も何事かと注目していた。
 この見るからに柄の悪い大男は相当酔っているらしく、呂律の回らない口調でショットの提供者を物凄い剣幕で睨む。

 だが肝心のバーテンは悠長にグラスを磨き続けており、謝罪する素振りすら見せない。
 そんな態度が癪に障ったのか、男はバーテンの襟元に掴み掛かった。

「てめぇっ!!ぶっ殺されてぇのか!?」

 酒焼けした声で怒鳴り散らし、拳を振り上げようとした。
 その時だった。


「…ちょっと」

 ふと背後から聞こえた声に反応した大男は、拳をピタリと止め、機嫌が悪そうに振り返った。
 背後に立っていたのは、一人の小柄な少女。
 長くウェーブの掛かった亜麻色の髪を右の耳元で一つに纏め、こちらを睨み付ける大きな瞳は濃紺に色付いている。
 年期の入ったベージュのコートを羽織り、腰には短剣を下げていた。

 見るからに、か弱そうな普通の少女。
 だがその外見からは想像し難い強気な態度で、彼女は口を開いた。

「昼間っから無駄にデカイ声出してんじゃないわよ」

「ああ?何だてめえ、この俺様が誰だか分かっていて言ってんだろうな…!」

 こうなると、最早ただの一悶着とは言えない。
 だが周囲の客は静まり返り、緊迫したこの状況を見守るだけだった。

 大の大人ですら関わりたくはない巨体の男を相手に、少女は全く怯む様子を見せない。

「これ以上その耳に障るダミ声で吠えるつもりなら、店を出てってもらうけど」

「てめえ…俺を舐めてんのか?」

「舐めたくなんかないわよ、気持ち悪い」

 少女の放ったその台詞で、男の頭に血が上る。

「このクソアマッ!!」


 少女の二倍も体格の大きい男は、その小柄な体目掛けて拳をたたき付ける。
 誰もが目をつむり、少女の受けであろう痛々しい打撃を予想した。
 …のだが。

「ぎゃああぁぁぁあああっ!!?」

 何故か、聞こえてきたのは大男の悲痛な叫び声。
 観衆が目を開けると、そこには信じがたい光景が広がっていた。

「う…、うっ、腕がぁぁああぁっ!!!!」

 男の太い筋肉質の右腕は、まるで軟体動物のように関節が曲がっていた。
 それも、本来曲がる筈のないおかしな方向に。

「そのままにしておくと骨格が変形して戻らなくなるから、早く病院行った方がいいわよ?」

 一体何をしたらこんな事になってしまうのか。
 その元凶とも言える少女は、涼しい顔をしてそう忠告する。

「ち、くしょぉおっ!!」

 男は悔しそうに彼女を睨み付けるものの腕の痛さに耐え切れず、逃げるように店を飛び出していった。



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