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Re1:The first sign
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「ホント悪かったなァ。コイツさ、買い出しに行く途中でツレとはぐれちまったらしくて。だけどセルディス派が保護してくれたって聞いてよ、マジ助かったわ〜。こんな雑用でも、いねぇと困るもんだしな」

 ――信じられない。
 辺りの惨状など目もくれず、ノアは笑顔でどうでもいい事をベラベラと話していた。
 一歩間違えば、大勢の人が怪我をしていたかもしれないのに。
 いくら無人の屋敷だからといって、ここまでの破壊行為をしておきながら、どうして笑っていられるのか。

 いや、それよりも。
 先程までこの大きな屋敷を揺るがしていた激しい打撃は、一体何だったのか。
 破壊された正面玄関の向こうには、ノアの姿しか見当たらない。
 いや、よく見ると彼の背後には相棒であるルツキが静かに佇んでいる。
 一体どんな兵器を使えば、たった二人だけであれだけの震動を起こせるのか。

「さ、帰ンぞ」

 そんな事を考えている間にも、ノアはこちらに手を伸ばしてくる。
 アイリスは、その手を取る事を躊躇っていた。
 そんな彼女を庇うようにノアの前に立ちはだかったのは、リノだった。

「ノア=クロウディ…。まさかとは思っていたが、本当にキミがクロウディ派のリーダーだったのか」

「…あ?」

 途端に、ノアの顔付きが変わり、笑みが消えた。

 どうやら二人は互いに面識が無いようだが、リノはノアを知っている様子。
 …当たり前だ。
 ノア=クロウディは、ジルクスの“英雄”。
 軍において、最強の地位に君臨していた男なのだから。

「確か二年前か。軍の派遣調査の際に行方不明になったと聞いたが、生きていたのだな。反ジルクス組織を設立したという事は、キミも僕らと同じ立場の…」

「なぁ、ルツキよぉ」

 突然ノアは、リノの話を遮って背後にいるルツキに声を掛けた。

「俺の話、分かりにくかったか。なんかコイツさぁ、一回じゃ理解できねぇっぽいんだけど」

 これにはリノも、言葉を失うしかなかった。
 常ならばここでサイムが反論する所だが、彼も同様に驚愕しか出来ない様子。
 いくら力だけが取り柄の単細胞でも、ノアに楯突く程愚かではないらしい。
 その場にいる誰もが身動きすら出来ない状況で、ルツキだけが冷ややかにその状況を見据えていた。

 お願いルツキさん。
 いつもみたいにノアを宥めて。
 「落ち着きなさい」って、いつもみたいに。


「…いいえ」

 どうして。

「貴方の話は、単純明快でしたよ」

「だよなぁ」

 どうして、ルツキさん。
 ノアを止めないの…?


「ちゃんと聞いてなかったのか、馬鹿共が」

 ――空気が変わった。
 とてつもなく熱い、熱風が巻き起こる。
 それはノアを中心に渦巻き、周囲の者に夥しい恐怖の種を植え付けた。

「俺は優しいからな。一度だけなら笑って許してやる」

 確かにノアは笑っていたが、果たしてこんなものを笑顔と呼べるのだろうか。
 口元を釣り上げて微笑むその猟奇的な表情は、何よりも恐ろしいと感じた。

 その瞬間、普段は暗闇のようなノアの漆黒の瞳が
 ――…燃え盛る炎のような赤へと変わっていく。

「そいつ、返せよ」

 早く、早くしなければ。
 此処にいる全員が、殺されてしまう。
 この男の脅威によって、皆殺しにされてしまう。

 アイリスは震える足に鞭打って、リノの背を押し退けた。
 真直ぐに、熱風の出所へ向けて駆け出していく。
 彼の腕に縋り付いた瞬間、両手が焼け焦げた感覚を覚える。
 アイリスは熱さと恐怖に震えながらも、声を張り上げて叫んだ。

「帰る…っ、ちゃんと帰るから!あたしは何処にも逃げないから…!!」

 だから、もうやめて。
 アイリスは、夢中で訴え続けた。
 するとやがて、周囲を取り囲んでいた熱気が治まっていく感覚を肌で感じる。
 完全に静かになった頃、アイリスは恐る恐る目を開けた。

「そうか」

 目の前にいるノアは、いつもと同じ黒い瞳を細めて笑っていた。
 この場にそぐわない程の楽しそうな表情を突き付けられ、アイリスは驚愕で目を見張った。

「先、行ってろ」

 ノアはアイリスの背をぽん、と優しく押し出し、ルツキの方へ促した。
 触れた彼の掌は、先程の熱気が嘘だったかのように、普通すぎて。
 アイリスはそのまま、ヨロヨロと覚束ない足取りで歩みだした。
 それが自分の意思で行動しているのか、もしくは誰かに操られているのか、最早アイリスには判別できない。
 背後のノアは、再びリノに「世話んなったなァ」と気さくな声色で話し掛けていた。

 何、あれ。
 今にも本物の炎が飛び出すんじゃないかと思うくらいの熱気が、ノアを中心に起こった。
 その証拠に、ノアに触れた両手がじんじんと痛む。
 あんなの、人間の出来る芸当じゃないよ。
 ――…あれは、何?

「…火傷、してますね」

 自らの負傷した掌を愕然と見つめるアイリスに、ルツキは落ち着いた声で言った。

「妥当な水場がこの辺りには無いので、アジトまで我慢できますか?」

 両手は確かに傷付いているのに、そんな問にさえ答える気力がない。
 アイリスはただ、こくん、と僅かに首を振った。

 ルツキは俯いたまま一切こちらを向かない彼女を一瞥した後、屋敷の前に停まっていた車まで移動した。
 以前、救急センターを襲撃したような大掛かりなトラックではなく、ごく一般的な乗用車だ。
 アイリスを後部座席へ誘導した後、ルツキ自身も運転席に乗り込み、無言のままノアを待つ。
 常ならばここでルツキの嫌味が飛んでもおかしくはないのに、彼が口を開く様子は全くない。
 その空気が重苦しくて仕方がなかった。

「よう、待たせたな」

 やがてノアは、いつもの軽い調子で車の助手席に乗り込んできた。
 そんなに長くはない時間なのに、とてつもなく待たされたような気がしてならない。

 「行くぞ」というノアの言葉に従い、ルツキはエンジンをかけて車を走らせた。
 セルディスの屋敷が遠ざかっていく。
 アイリスは俯いていた顔をうっすらと上げ、玄関の方を見やった。
 サイムや他のセルディス派が慌てて屋敷内へ立てこもる中、リノだけが悔しそうな表情でこちらを見ていたのが分かった。

 確かにセルディス派は、野蛮な方法でテロ活動をしているし、アイリスも拉致被害を被った。
 けれど彼らが全面的に悪いとは、どうしても思えない。
 何故かアイリスは、セルディス派に対して申し訳ない気持ちを覚えていた。


「――…お前さぁ」

 突然、ノアが助手席からアイリスのいる後部座席を振り返った。
 黒真珠のように淀みのない双眸を直視してしまい、アイリスは思わず肩を震わせる。

「外出歩く時はちゃんと警戒しろ。ここは田舎と違ってロクデナシの巣窟みてーな街だからな。マクターが血相変えて俺ンとこ来た時は何事かと思ったぜ」

「え…マクターさんが?」

 無口、無愛想、無表情と三点揃ったあのマクターが、アイリスの危機を知らせてくれたのだ。
 僅かでも見放されていなかった事が、アイリスには堪らなく嬉しかった。

「お陰で氷は手に入らず、店を途中で閉める羽目になってしまいましたけどね」

 すかさず飛んできたルツキの嫌味に、アイリスは僅かな殺意を覚えた。
 その子憎たらしい悪魔っぷりを、何故さっきの重苦しい場で発揮しなかったのか。

「色々ご迷惑おかけして…すみません、でした」

 今回は、アイリスに非は全くない筈。
 けれど何故か謝る羽目になってしまい、彼女自身も納得しがたい結果となった。

「今度からは気ィつけろ」

 そう言うとノアはアイリスの頭をぽんぽん、と撫でた。
 顔を上げると、悪戯な少年のように微笑むノアが其処にいる。
 その表情が、やはりアイリスの探している“彼”とそっくりだった。


 車は高級住宅街を抜けると、高層ビルの森へと入った。
 濁った空へ真直ぐに伸びる塔が、目まぐるしく立ち並ぶ。
 ああ、何て目疲れする世界だろう。

 火傷をした掌が痛い。
 確か、タルロの木の葉で湿布すれば良く効く筈。

 あー…でも駄目だ。
 だってこの街、植物が見当たらないんだから。

 緑のない灰色の街並みを見つめながら、アイリスはウトウトと眠りに付いた。




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