Re1:The first sign F 都市ジルクスの東に位置する高級住宅街。 其処にリノは邸宅を構えていた。 広い廊下には幾つもの扉があり、数えきれない程の部屋を所有している事が一目で分かる。 壁には大小様々な絵画が飾られており、人物画、風景画、抽象画、静止画とジャンルは問わなかった。 他にも不気味な鎧兜が物静かに立っていたり、綺麗な模様の皿やグラスが棚に並べられていたり。 まるで、世界中の芸術を寄せ集めた美術館のようだ。 「父が趣味でね、色々と集めていたんだ」 廊下を歩きながら、物珍しそうにキョロキョロと辺りを見回すアイリスに、リノはそう説明した。 だが可笑しな事に、人の気配はしない。 これだけ広い屋敷ならばメイドや執事がいてもおかしくない筈なのに、今此処にはリノとサイム、オリーブおばさんとアイリスのしかいないようだ。 付いておいで、と言われるがままに階段を降りると、廊下の一番奥の部屋へ促される。 「僕の家は、元々名のある貴族の名家だった。祖父の代で商業組合を築き上げ、父の代では幅広い分野で名を馳せていた」 「えっ…じゃあ、あんたは貴族の跡取り息子ってこと!?」 だとすれば、このだだっ広い屋敷を所有している事も、そのうざったいくらい優雅な立ち振舞いも、全て納得がいく。 それで、“坊っちゃん”ってわけか。 「違うんだ、アイリス嬢。僕にはもう名はない」 「え?」 どこか物悲しそうな表情のリノを、アイリスは不思議と切なく感じた。 連れてこられたその部屋には、家具などは一切置いていない。 ただ一つ、下へ通じる階段が設置されていた。 アイリスはリノを追って、階段を降りた。 ひんやりとした石の壁には一定の区画に灯りが設置されており、長い廊下はひたすら奥に続いている。 まるで、何処か別の場所へ繋がっているようだ。 何故、家の地下室にこんな隠し通路が…。 アイリスがそんな事を考えている間に、リノは一歩前に出て、廊下の奥を見据えた。 「皆、出ておいで!」 突然リノがそう叫んだものだから、アイリスは考え事を中断した。 その掛け声に従い、廊下の奥から次々と人の気配がする。 「な…っ!!?」 それは、実に沢山の人の群れだった。 メイドや執事だけではなく大人から子供、老人まで世代も格好もバラバラな人達が、怪しそうにこちらを見ている。 「坊っちゃん…そちらの方は?」 「彼女はマドモアゼル・アイリス。恐れなくていい、我々の良き理解者だ」 自信満々なリノの振る舞いに、人々は安堵の溜息を零し、頬を緩ませた。 だがアイリスだけは、この状況をさっぱり理解できないでいる。 唖然とする彼女の様子に気付いたリノは、改めて口を開いた。 「この先は、地下街と呼ばれる場所に繋がっている。そこに住む彼らは皆、市民権を剥奪された者達だ」 「市民権…?」 市民権とは、都市ジルクスの市民として生きる為の必要最低限の権利だ。 この権利を所有する上で初めて、人々は軍から衣食住を許される。 それを持たない者は、都市ジルクスでは“人”して見なされない。 職を持って働く権利、店で品物を買う権利、家を持つ権利。 それら全てを失う事を意味しているのだ。 「ジルクス軍は、市民権を与える事で人々を所有し、管理している。それは同時に軍が人々の命を握っている事と同じだ。現に地下街に住む彼らは、不当な理由で市民権を奪われ、地上から追いやられた」 「不当な理由って…」 「例えば、軍の施設を建設したいが為に元々そこに住んでいた者を立ち退かせる為だとか、或いは軍の政治に反対意見を唱える者を排除する為…とかね」 アイリスは、とても信じられなかった。 都市ジルクスは世界の中心とも言える大国家で、華やいだイメージのある都会の代表格だ。 中でもジルクス軍と言えば屈強の戦士が集う場であり、世の男達の憧れの的でもある。 それゆえアイリスの村でも、男子は皆、年頃になると自ら軍へ志願したり、出稼ぎに行く。 レックスも、やはりその一人だった。 「ジルクスが…そんな事を…」 「僕の父は、そんな一方的すぎる軍の政治に反対していた。市民権を奪われた人々の為に地下街を設置し、匿(かくま)っていたんだ。だが奴らは…父を…っ」 リノは自身の拳を強く握った。 その表情からは、とてつもない怒りと悔しさが滲み出ている。 「不法滞在者に加担した反逆者として処刑した!!!罪の無い人を守ろうとした父を、殺したんだ…っ」 アイリスは、言葉を失った。 ――…レックス、あんたは昔、こう言ってた。 『ジルクス軍は、世界の守護神。弱きを救い、悪を断つ。気高き戦士達の礎』 レックス、あんた今、何処にいる? ジルクス軍に所属していないって、本当…? 「僕は亡き父の意志を受け継ぐ事を決めたんだ。ジルクスの独裁政治を覆し、人々の平等な権利を勝ち取る…、それが僕らの正義だ」 ――…リノを筆頭とするセルディス派の人達は、市民権を奪われた難民の為に闘っているんだ。 例え、反逆者やテロリストと罵られようとも。 自らの正義を貫いてる。 ――ドゴォォォオオンッ!!!! その時、物凄い爆音が鳴り響き、地下通路は大きく震動した。 突然の事態に地下街の難民達が混乱する中、セルディス派と思われる若者が慌てた様子で階段を駆け降りてくる。 「おいてめえら!!こりゃあ何の騒ぎだ!!?」 「大変っす!!変な集団が突然やって来るなり、屋敷を一斉攻撃してきて…っ!!」 「まさか…ジルクス軍が!?」 その名を出した途端に、場の空気が変わった。 そして次の瞬間、難民達は一斉に叫びながら地下道の奥へ逃げていく。 そんな中、アイリスは貧相な能をフル回転させ、ある一つの結論に辿り着いた。 「ていうか!!こんな目立つアジト、今までバレなかったのが不思議なんですけどっ!!!!」 「セルディス家が市民権を無くしてから此処は無人の屋敷だと軍も把握していた筈だ。どうして今更…」 そんな事を話している間にも襲撃の影響が大きく出ており、天井の細かな石がパラパラと落ちてきた。 「と、とにかく、全員応戦の準備だ!!アイリス嬢!キミは奥へ避難して……ってぇ!!?」 リノが指示を出すよりも先に、アイリスは階段を足早に上がっていった。 セルディス派の人達の制止さえ聞かず、アイリスは真直ぐに外を目指した。 ――許せなかった。 人から生きる権利を奪うという軍の実態を、許す事が出来なかった。 階段を上がりきって廊下を突っ切ると、広いホールに出た。 其処ではセルディス派の若き精鋭達が必死にバリケードを張り、敵の侵入を防いでいるようだった。 だが、今だに屋敷を襲う震動は治まらない。 このままでは、地下の人々にまで多大な影響が出てしまう。 アイリスは意を決して、外へ出ようと足を踏み出そうとした。 「――待て…っ!!!」 だがその時、追って来たリノに腕を掴まれた。 彼女の身を案じて走って来たようで、肩を上下に揺らしながらアイリスを見据える瞳は真剣だった。 「キミは何をするつもりなんだ!!」 「このままじゃ奴らにやられる!!だったら外に出て、少しでも食い止めなきゃ…っ」 「だがキミ一人が行った所でどうなる!!セルディス派だと見なされて射殺されるかもしれないんだぞっ!!?」 「だけど…っ」 何か、何かしなければ。 ここまで関わり、知ってしまった挙句、自分だけ逃げるなんて出来ない。 あたしには…出来ない!!!! ――ドォォオオンッ!! 大きな爆風が、遂にバリケードを破った。 正面玄関に詰まれていた椅子やテーブルなど共に、それを押さえ付けていたセルディス派も壁に叩きつけられる。 「アイリスっ!!」 「リーダー…っ!!」 咄嗟にリノはアイリスを庇うように抱きすくめ、更に巨漢のサイムが二人を守るように立ちはだかる。 辺りが静まり返る中、アイリスは恐る恐る瞳を開いた。 舞い上がる砂埃が、ホールを包み込む。 正面玄関の扉の向こうには、暗闇だった。 「っ…?」 だがいつまで経っても、軍がこちらを襲撃する気配はない。 アイリスも、リノも、サイムも、その場にいた全員が瞳を凝らして外を見つめた。 其処にいたのは、巨大な戦車でも百の騎兵隊でもなく。 たった一人の男だった。 「よう、セルディス派」 低い声、逆立つ黒髪。 歩く度に揺れる、腰のチェーン。 獣の如き、野性の瞳。 その意外な正体に、リノは思わず喉を震わせた。 「っ…英雄、ノア・クロウディ…!?」 「ハジメマシテ、だな。お前がリーダーか?」 ノアは、吹っ飛んだバリケードの残骸を踏みしめながら、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってくる。 口元に浮かべるその笑みが、とてつもなく恐ろしく感じた。 「何のアポも無しに、いきなり来て悪かったな。ちょっと急用があってよ」 そう言ってノアは、真直ぐに指を差した。 「――…そいつ、返してくんねぇかな?」 その野性の瞳に射抜かれたアイリスは、言葉を発する事が出来なかった。 . [*前へ][次へ#] [戻る] |