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Re1:The first sign
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 よく、夢を見るんだ。
 夢の中のお前は、いつも一人で泣いていた。
 流星のように長い黒髪も、白い陶器のような肌も、薔薇の色をした唇も。
 あの日と全く変わらないお前が、其処にいた。

『…こわい、とても…』

 小さな肩は小刻みに震えていた。
 こんなにも脆いお前の姿を見付けた瞬間、俺の心は凍り付いた。

『…たす、けて…』

 その言葉と共に、お前は一筋の涙を流した。
 泣き方を知らなかった不器用なお前が、恐怖に脅えて泣いたんだ。

 ――…泣くな。
 溢れ出る涙を拭ってやりたくて、手を伸ばした。
 けれど触れるその瞬間に、呆気なく夢から醒める。
 伸ばした手は、空を切っていた。

「…待ってろよ…」

 もうすぐだ。
 全ての決着が着くその日は、目の前まで来ている。

 絶対に、お前を救う。
 その為に、俺はこの都市へ帰ってきたんだ。

「――…必ず…」



*・*・*・*



 ――…頭が痛い。
 脳の奥から響き渡る鈍い痛みは、段々とアイリスの思考を遮断させようとしていた。
 ダメだダメだ、此処で倒れる訳にはいかない。
 再び襲い来る睡魔を振り払い、懸命に身体を起こした。

「ココ、どこよ…っ?」

 知らない部屋だった。
 染み一つない白を基調とした室内には、アイリスが横たわっていた寝台と、二人掛けのソファーが二つ、硝子製のローテーブルを挟んで向かい合っている。
 窓は寝台の傍らに一つ、薄いエメラルドグリーンのカーテンで仕切られていた。
 土地勘のないアイリスにも、此処はクロウディ派のアジトとは程遠い、立派な建物だという事だけは分かる。
 だが何故、こんな所にいるのか見当も付かない。

 思い出せ、あの時…何があったかを。
 マクターの後を追って、路地裏に入ろうとした矢先に、背後から何者かに襲われた。
 反撃しようとしたが、口を布で塞がれた瞬間に、意識が遠退いていったのだ。
 あの薬品独特の匂い、気怠さと頭痛の症状。
 スリプラムの原液でも嗅がされたか。
 大体、スリプラムは市販の薬でも少々含まれている程度の成分。
 軽い眠気作用を起こすものだが、原液なんてそう手に入る物じゃない。
 …一体、何処で手に入れたのか?

 いや、それよりも背後を取られた事が何よりも迂濶だった。
 今更悔やんでも仕方のない事だが、アイリスは痛む頭を押さえながら表情を歪めた。


 ――…コンコンッ

 その時、部屋の扉がノックされた。
 驚いたアイリスは何とか身体を起こし、入室者に対して警戒心を剥き出しにする。

 背後から人を襲い、気絶させた挙句、見知らぬ場所へ誘拐した下道とは一体どんな輩か。
 アイリスが息を呑んだ瞬間、ノブが回され、扉が開かれた。


「おや、目が覚めたのかい?」

「へ?」

 扉の向こうから現れたのは、人相が悪く、派手な服装で、至る所に刺青を施した柄の悪い大男。
 …ではなく。

「気分はどうだい?お腹減ってると思って、サンドイッチ持ってたよ」

「え、と…」

 人柄も恰幅も良い、元気なおばさんだった。
 橙色のエプロンと頭に巻いた同色のバンダナから、何処かの食堂おばさんか何かを連想せざるを得ない。

「どうしたんだい?もしかして食欲ないのかい?」

「い、いえっ!頂きます」

 思えば、休憩中にしておく筈だった腹ごしらえもまだだった。
 美味しそうなサンドイッチが綺麗に並べられている皿を目の前に差し出され、アイリスは何の躊躇いもなく口に入れてしまった。

「ふふ、食欲旺盛な娘は嫌いじゃないよ。たんとお食べ」

「…ありがとう、ございます」

 警戒なんて、する余地も無かった。
 おばさんは何処にでもいる普通の人で優しそうだし、実際サンドイッチも野菜が沢山入っていて、とても美味だった。

 この人が、薬品まで使ってあたしを攫った誘拐犯?

「それにしてもあんた、本当にベッピンだねぇ。他の男もほっとかないだろうに」

「ふぇっ!?」

 いきなりそんな話をされるものだから、アイリスは危うく手にしていたサンドイッチを落としそうになった。

「まぁ何にせよ、ウチの坊っちゃんを選んだのは正解だよ!」

 …は? 坊っちゃん?

「あの子は熱中すると周りが見えなくなる時があるからねぇ。しっかり支えといてやっておくれよ」

 支える?あたしが?
 その“坊っちゃん”を?

 ていうか…。

「あの…坊っちゃんて、誰の事ですか?」

「あんた、何言ってんの!この家の坊っちゃんって言ったら…」

 ――…コンコンッ

 おばさんが言い掛けたその時、再び扉がノックされた。

「噂をすれば、だね」

 良いタイミング、と言わんばかりにおばさんはアイリスに笑ってみせた。

「開けておあげ。…坊っちゃん、あんたにずっと会いたがってたんだよ」

 ドクン、と心臓が大きく高鳴った。
 アイリスの不安が、大きな期待に変わったのだ。
 そして次の瞬間には、迷わず扉の方へ駆け出した。

 ――…嘘、まさか。
 あんたなの?
 レックス…っ!!!!

 勢い良く扉を開けた瞬間、アイリスの目の前に現れたのは――…





「ご機嫌いかがかな、マドモアゼル?」

 一輪の真っ赤な薔薇の花と共に微笑む、銀髪の紳士風情。
 セルディス派のリーダー、リノ=セルディス。

「お前かあああああああぁぁぁぁああっ!!!!!!!!」

「がふゥっ!!!!」

 アイリス渾身の鉄拳が、リノの左頬を直撃する。
 散り行く赤い薔薇の花弁と共に、彼の身体も見事に宙を舞った。

「りっ、リーダァー!!」

 アイリスの叫びを聞いて駆け付けてきたのは、どうやらリノを崇拝しているらしい大男サイム。
 長い廊下の端まで飛ばされたリノを支え起こしながら、サイムはアイリスを睨み付けた。

「おい、てめえっ!!リーダーに何て事しやがるっ!!!!」

「黙れ阿呆共がぁっ!!それはコッチの台詞だっつーの!!違法な薬品使って人様を拉致監禁した挙句、散々膨らませた期待を一気に打ち壊すたぁ、どういう了見だっ!!!!」

 まだ殴り足りないのか、アイリスは両の拳に力を込めた。
 サイムも負けじと立ち上がり、ひたすら互いを睨み続けている。

「ほらほらほらっ!!あんた達、喧嘩なら余所でやっとくれ!!坊っちゃん、大丈夫かい?」

「あ、ああ…。すまない、マダム・オリーブ…」

 睨み合う二人を諌(いさ)めながら、先程のおばさんは座り込んでいるリノに手を貸す。
 殴られた頬は赤く腫れ、鼻血を流していても、リノの紳士たる毅然とした振る舞いは変わらなかった。

「坊っちゃん、あの子の話は本当なのかい?無理矢理女の子を攫うなんてやり方、あたしは賛成しないね」

「ち…違うんだ、マダム。ほらサイム、きちんと自分の口で説明するんだ。マダムにもアイリス嬢にも」

 リノの言葉には逆らえないのか、サイムはアイリスから視線を逸らし、気まずそうに表情を歪めた。

「…すんません、女将(おかみ)さん。この女の事で悩むリーダーを見ていられなくて…。さっき偶然、街でこの女を見付けたもんだから…つい力付くで攫ってきちまいやした。本当、ご迷惑おかけしました、女将さん」

「あたしへの謝罪はないのか…っ」

 今にも怒りが爆発寸前だったアイリスだが、何とか拳を握る程度に止めて冷静に考えた。
 つまり、自分を誘拐した犯人はこの低能巨漢男…サイムだったわけだ。
 攫ったその理由は、この鼻血ヤサ男…リノが自分の事で悩んでいた所為だって?
 それもおばさんの話によると、ずっと会いたがっていたとか。
 アイリスは改めてリノに向き直った。

「…あんた、あたしに何の用があるの?」

 アイリスの発言は、強気だった。
 何となく、話の糸口が見えてきたような気がしたからだ。
 リノは、おばさんに施して貰ったらしいティッシュを鼻に詰めて、何とも不恰好な様でこちらを真剣に見つめ返してきた。

「…そうだね。折角サイムがキミを連れて来てくれたんだ。僕はちゃんと、言うべき事を言わなければならない」

 リノの瞳は本気だった。
 思わずアイリスは息を呑み、一歩だけ後退る。

 昨日のテロ事件で、アイリスは彼らを“小さい”だの“幼稚”だの、とにかく好き放題に言いまくった。
 その後、ルツキ達が乱入してきたので、セルディス派は撤退。
 アイリスは、彼らにとって最悪な印象を残したままだったに違いない。
 以前、チームはナメられたら終わりだ、とルツキが言っていた。
 彼らセルディス派は、こんな小娘にナメられたままテロ行動を中断させられたのだ。
 面白くない、訳がない。

「マドモアゼル…いや、アイリス嬢。キミにはどうしても言いたい事がある」

 自分に用があるとしたら、それはただ一つ。
 “落とし前”という名の制裁だろう。
 当然アイリスにも非はあるが、このまま黙ってやられるのは余りにも納得がいかない。

 一体、何を要求してくるのだろうか。
 そしてリノの口が、ゆっくりと開かれた。





「好きだ」

 ――…好きだ。
 そんなの、どう落とし前つけたら…。

「…って、はぁ!?」

「何度でも言おう。好きなんだ、アイリス嬢。僕はキミに惹かれてしまったのだ。キミの溢れる気品、確固たる信念、美しい表情…。誘いを拒まれたあの瞬間から、僕はキミに恋をしたんだぁっ」

 トチ狂ってる。
 そう思わざるを得なかった。
 あんな暴言を吐かれて、恋をしただって?
 よっぽどの気違いか、あるいは天性的なマゾヒストなのか。
 どちらにせよ、良い気分は全くしなかった。

「なんだい、まだ恋人じゃなかったのかい?」

 道理で、おばさんが意味不明な事を言っていたわけだ。
 確かにこの男は、没頭すると周囲が全く見えなくなる傾向があるらしい。
 その証拠にリノは、凍り付いているアイリスを無視して、ただひたすら愛の告白を繰り返していた。
 だが生憎、この男を支えてやる気は全くない。

「…話ってそれだけ?じゃ、あたし帰るから」

「ノン!まだもう一つ話したい事があるんだ!!」

 いい加減、これ以上の茶番はうんざりなんですが。
 そう言いたそうな、げんなりとした顔付きでアイリスは溜息をついた。
 そんな彼女とは対称的に、リノは溌剌(はつらつ)とした笑顔で言った。

「このままキミに誤解されたままでは、僕としても後味が悪いのでね」

「誤解…?」

「ほら、キミが言っていただろう。僕らのしている事は、子供が玩具を振り回しているのと同じだと」

 確かに言った。
 だが、実際その通りではないのか。
 関係のない市民を巻き込んで、派手にテロ活動をしているのだから。
 そんな疑問を浮かべるアイリスに、リノは、やはり笑顔を見せた。
 そして、小さく手招きをしてみせる。

「付いておいで、アイリス嬢。見せてあげるよ、僕らセルディス派の正義を…」



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