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Re1:The first sign
B



 人には、向き不向きというものがあると思う。
 体力に自信のある人もいれば、頭脳面で優れている人だっている。
 だからといって苦手分野を簡単に放り出すのは、どうも性に合わないのだ。
 自分に足りないものだからこそ、努力で補うべきではないか。
 弱点の克服。大いに賛成だ。

 …でも、流石にコレは、ヒドイ。

「ふんぬぅ〜〜っ!お〜も〜い〜〜〜っ!!」

 仕入れの業者が持ってきた酒樽を合計四つばかり乗せたカート相手に、アイリスは奮闘していた。
 本来このバーの搬入法は正面口となっているのだが、何故か店の前には今朝から邪魔くさい車が駐車されているため、親切な業者の方々がわざわざ遠い裏口に置いていって下さったのだ。
 勿論、こんな重労働をアイリス一人にやらせるほどルツキは悪魔ではない。
 さっきまでは数人のクロウディ派の男達と手分けをして酒樽を運び、カートが足りなくなった者は肩に担ぎ、更には廊下を往復する者までいた。
 だが今、気付けばアイリスだけがこの場に取り残されていたのだ。
 つまり、搬入すべき酒樽はアイリスの分のみとなったのだ。

「幼気(いたいけ)な少女にこんな重労働させるなんて……やっぱアイツは悪魔よ!!悪魔の化身よ!!!」

 ルツキ=マガナクス。
 人の良さそうなあの笑顔の裏には、きっと底無しの暗黒が広がっているに違いないのだ。

 だが、こうして悪魔を怨んでも状況が変わるわけもなく、重い物は重いまま。

 始めこそ、気合いを入れてカートを押していたものだから、出発点の裏口から10メートル程伸びた廊下を直進し、左手に方向転換する所までは行ったのだ。
 だが、このカートの切り返しがどうにも難しく、無駄な体力を激しく消耗しまくった。
 店までは、そこから更に10メートルの廊下を突っ切り、突き当たりにある二・三段程度の段差を上がって更に5メートル行った先の扉の向こう。
 …長い、長すぎる。

「だ、大丈夫?」

 ふと、カートに積まれた酒樽の向こうから躊躇いがちな声が聞こえた。
 体を横に反らして覗き込むと、坊主頭の少年が心配そうにこちらを見ている。
 つまり、大丈夫、という言葉はアイリスに掛けられたものだった。

「あ…ごめんなさい、邪魔だよね?でももう裏口に荷物は残ってないよ。あたしで最後みたい」

「え、いや、その…」

 坊主少年の名は確か、ボックスといったか。
 背もあまり高くなく、たどたどしい態度や言葉遣いから、まだ10代だと察しが付く。
 そういえば作業を始める前に、バーの経営担当の面々を紹介された。
 やはり全員、アイリスと同年代の若者か、少し下の少年ばかりだった。
 “経営担当”という役割があるからには、その他の担当もあるのだらろう。

 ならばリーダーであるノアは、一体何の担当なのだろうか…。

「あの、重い…だろ?まだ新人だし、女の子だし、搬入作業はキツいんじゃないかなって…」

「もしかして、心配して戻って来てくれたの?」

 図星だったのか、ボックスは「あ」だとか「う」だとか言葉を濁しながら、坊主頭まで真っ赤になった。
 な、なんて優しい子なの…っ!!

「ありがとっ!でも一度引き受けた仕事だし、最後まで責任持ってやるよ!」

「あ、じ…じゃあ、せめて一個持つから…っ」

 ボックスは早口でまくし立てると、カートに積まれた酒樽を持っては置き、持っては置きを繰り返した。
 どうやら、一番重量のあるものを吟味してくれているようだ。
 全部同じ酒樽なのだから重さも変わらない筈なのに…。
 ボックス少年の健気な親切が、アイリスの身に深く染み込んだ。

「じゃ、じゃあ。これ、持ってく」

「うん!本当にありがとっ!!」

 手応えのある酒樽を発見すると、ボックスは吃(ども)りながら踵を返していった。
 彼の励ましに答える為にも、頑張らねば。
 無くしかけた気合いを取り戻したアイリスが張り切ってカートを押すと、心なしか先程より断然軽く感じる。
 病は気から、という詞もあるし、これもきっとボックスのお陰だ。

「こんな廊下、すぐに突っ切ってやるんだから!!」

物言わぬ廊下に、はたまた酒樽に闘志を燃やすアイリスであった。



*・*・*・*


 まるで今までの挫折感が嘘だったかのように、アイリスは見事に酒樽の搬入作業を終え、本人にしか分からない勝利を噛み締めていた。
 だが即座に、悪魔…もといオーナーであるルツキから、開店準備の為にモップ掛けの仕事を託される。

「はい、バケツ持って二階からお願いします」

「へ…、何で二階?」

「…掃除は上から、って常識でしょう」

 常識…世間ではそういうものか。
 考えてみればアイリスは、実家では掃除などした事がなかった。
 どんなに部屋を綺麗にしても書類やら何やらで無駄なく汚す“馬鹿”がいるし、無駄にだだっ広い家だったせいもあって、清掃業者は頻繁に来ていたのだ。

「二階、二階っと」

 初めての清掃作業にほのかな期待を覚えたアイリスは、軽快な足取りで階段を上がる。

 この酒場は、一階にバーカウンター、四人掛け用の席が六つ、大人数用の席が二つ設置されている。
 一階の隅にある吹き抜けの階段を上がると、そこは二階席となっており、更に四人席が三つ、ソファ付きの大人数席が一つ用意されている。
 建物全体や、椅子、テーブルまでもが木造のせいか、店内はやけに古めかしい印象を受けるが、アイリスが客として訪れた時は、寧ろ趣(おもむき)があって昔懐かしさを感じるこの店内の雰囲気を気に入っていた。
 今となっては、謎のテロ集団の怪しげなアジトという目でしか見れないが。

 ともあれ早速アイリスは、水を溜めたバケツの中にモップの先端を突っ込むと、ジャブジャブと音を立てて浸した。

「さて、ちゃっちゃと終わらせよっと」

「あー待て待てっ!」

 濡れたモップの先端を床に叩き付けてグリグリと擦り付けていると、突然横から制止の声を挟まれた。
 今まで二階の窓拭きをしていた彼もボックスと同じバー経営担当で、名はハイマンといった。

「えっ、何?」

「何じゃねーよ!ちゃんとモップ絞ってからやれって!あんまりびしょ濡れだと床が腐っちまうだろっ!」

 茶色の短髪の上から手拭いを頭に巻くハイマンは、いかにも働き者らしい雰囲気をしている。
 粗雑な言葉遣いだが、丁寧にモップ掛けの指導をしてくれるハイマンは、やはりボックスと同じく親切な少年だった。
 聞く所によると、やはり彼も18とまだまだ働き盛りの若者らしい。

「モップ掛けは床の目に沿ってやるんだぞ」

「ふぅん、そーゆーもんなの?」

 ハイマンに伝授されたモップ捌きを覚えたアイリスは、端から丁寧に二階の床を磨いていた。
 ――その時だった。

「おぅ、待たせたな」

 その声と共に、続々と聞こえてくる足音。
 何事か、とアイリスは、二階の手摺りからそっと下を覗き込んだ。

 遅いお目覚めで店の奥から出てきたらしいノアは、一階に集う“いかにも”な連中を引き連れていた。
 上はカーキのブルゾンに黒いタンクトップ、下はファスナーの沢山付いたスラックスに黒光りするゴツい編み上げブーツを履いていた。
 鴉(からす)のような黒髪を無造作に立たせ、耳にはシルバーのピアスが沢山付いている。

 ――柄ワルッ!!
 それがアイリスの第一印象だった。

「くれぐれも無茶はしないで下さいね。今、失敗(しくじ)ったら、計画はパーですから」

「足が付くようなヘマはしねーよ。連中も油断してるみてーだし、余裕だろ」

 そんなルツキとの会話は、アイリスには全く理解出来なかった。
 何となく隣のハイマンを見ると、彼は手摺りを強く握って頻(しき)りにノアを気にしていた。
 まるで、ノアに何かの期待を抱いているような。
 一階まで駆け降りたい衝動を抑えているようにも見えた。

「うっし、行くぞ」

 ノアを筆頭に、威勢の良い“いかにも”なオニイサン達が正面玄関に向けて歩き出した。

 彼らはこれから何処へ行くのか。
 まさか、テロ活動?
 もし彼らが、こんな清々しい朝から人様に迷惑を掛けに行くような悪党共ならば、このまま見過ごすわけにはいかない。
 けれど、何となく違うような気がする。
 彼らの凛々とした立ち振舞いは、まるでこれから戦に出る勇ましい戦士のようにも見えた。

「あ、車…」

 アイリスは思わず言葉を漏らしてしまった。
 正面の扉を開けると、すぐ目の前に見覚えのある車が停車していたのだ。
 それは、昨日アイリスが乗せられた荷台付きのトラック。
 あれが停まっていたせいで、裏口から重い酒樽を運ぶ羽目になったのだ。
 アイリスは恨めしげに、正面出口の向こうのトラックを睨んだ。

 ――すると、その時。
 突然、深い漆黒の視線に射抜かれた。
 次々とオニイサン方が店を出ていく中、ノアが立ち止まり、真っ直ぐにこちらを見上げてきたのだ。

 ――えっ?何でこっち見てるの?

 今、二階には、アイリスとハイマンの二人しかいない。
 隣のハイマンもノアに見つめられて動揺しているのか、頬を赤らめてモジモジしていた。
 …はっきり言って、気持ち悪い。
 もしかして、彼はソッチの人なのだろうか。

 再びノアに視線を戻すと、今度は無表情のままこちらに向けて片手を上げている。
 こうなるとハイマンは一気に舞い上がり、両手をこれ見よがしに大きく振って応えた。
 周囲から微かに笑い声が漏れているのは、きっと気のせいじゃない。
 やっぱり、これは二人にしか分からない愛の会話なのだろうか。

 けれど、ハイマンがどんなに手を振っても、ノアが手を降ろす気配はない。
 彼の真っ直ぐな黒い瞳は、ただ一人だけを捕らえて離さなかった。
 まさか、と思いつつも、アイリスはあからさまに引きつった笑顔を浮かべて、小さく手を振って見せた。

「――…」

 すると、どうだろう。
 ノアの無表情は、見る見る内に緩やかな笑顔へと変わった。

 やはり彼は、どことなく似てる。
 あたしが会いたいアイツに、とても似てる――…。

「リーダー、出発準備できました」

「おう、んじゃ、行ってくるぜ」

 仲間に促されるまま、ノアは正面出口の向こうへと消えていった。


 色々と、謎は深まるばかりだ。
 そもそも、クロウディ派とは何の集団なのか。
 ルツキのような悪魔の化身もいれば、親切でソッチ系な経営担当の面々、“いかにも”なオニイサン方。
 それらの個性的なメンバーを纏めているのが、リーダーのノア。

 ノア=クロウディ。
 ジルクスの英雄ノア。

 ――レックスに似ている、ノア。


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あきゅろす。
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