虚無杯満:2



「子桓よ、今日からこの女子をおまえの義姉に迎える」
「……なにゆえ、ですか」
「儂に幼女趣味はない。が、気に入ってしまったのでな。よろしく頼むぞ」




後で元譲から理由を聞くと、父は魏と呉の国境付近で起こった戦に赴き、その帰りに寄った村で倒れているところを連れ帰ったのだという。それが、姉上…もとい篠乃、だった。今からさかのぼればもう何年も昔になるが、姉上との出会いと言うのはなぜか色濃く頭に残っているものなのだ。
が、父が姉上を連れてきた当初、どちらもまだ幼く私は…確か八歳前後だっただろうか。そのときの自分にとって姉上は邪魔でしかなかった。父の跡を継がねばならない、その為には余所見をしている余裕はないのだ。今考えれば、姉上は拾ったときの身形からしてかなり上流階級の家の出だったと思う。行動にも品を感じられるし、本当に気が利くのだ。


「子桓、…肩の力入り過ぎているわ…。少し休憩しましょうよ!この間父上から頂いた御茶があるの」
「…私にそんなことをしている時間はない。それに、私を子桓などと気安く呼ぶな」
「ご、めん、…なさい…。気をつける、でも、休んでね…」



よく考えてみろ、呼び名以前にまず自分の部屋へ人を自由に入れさせる時点でおかしいと思う。本当は幼き頃から気付いていたのかもしれん、元々姉上を嫌ってなどいなかった、と。
ただ、うらやましかった。私は世継ぎの人間だから厳しいのかもしれない。それでも父は私に優しい仕草を見せてくれたことがあっただろうか?―――、ない。自分よりも後にここへ来たくせに何故父は姉上を可愛がるのか。自分の方が彼女よりも才はあるし、なにより実子なのに。
でも姉上は、私が冷たく当たっても、優しい、んだ。身分の為でも、野望のためでもなく、真っ直ぐで純粋な優しさというものとでも言うのか。


「曹丕、あなた、今日こんなに竹簡やるの…!?」
「そうだが、何か」
「熱があると言ったでしょう!今無理をしては後々病状が酷くなるわ、今日は休んで、お願いだから…」
「そんなことを言ってはどんどん執務が溜まる。休んでいられるものか」
「でも……」
「なぜ姉上は私に構うのだ、父の元にいればよいものを…っ…く、っ!」
「そ、うひ!」



結局あの曹操の息子という肩書きを持った私が休めるわけがない。いくら体調不良と言っても、きっと私よりも皆は仕事を優先に考えるのだから心配してなどくれない。慣れっこだ。だから、意識を失う直前まで映っていた姉上の泣きそうな表情に酷く切なさを覚えた。




「………………わたし、は…」
「馬鹿曹丕。医者の方が過労も原因だって言ってたわ。どれだけ心配したかわかってるの…?」
「そんなもの…嘘に決まっている、だろう」
「嘘ってなに。私、曹丕とは血は繋がってないけど、弟よ。大切な人を心配して、何が悪いの!?」



彼女は本気で泣き出してしまった。私が横になっている牀榻に上半身を埋めている。他人のことなのに何故ここまで言い切ることが出来るのか。軽く溜め息を吐いてから視線をある箇所に向けると執務室への扉が開きっぱなしだった。が、机の上で山になっているはずの竹簡が綺麗になくなっていた。―――もしかして、姉上がやってくれたのかもしれない。それが無性に嬉しく感じて、病気のとき特有のあの弱い精神が刺激されて目の前がぼやけてきた。泣いてるわけ、ない、と必死に無駄な言い訳をしながら姉上にこう言ったんだ。


「すまぬ、姉上…あと、かん、しゃしてる」
「そ、ひ…」
「…曹丕など、呼ぶな。子桓って呼べ」



たぶん、そこで見た姉上の笑顔。
そこから全てが始まったように思えた。





虚無の杯、満たしましょう:2

王子はこんなに純情じゃなーいー!なんて思った方、すみません…。たぶんこれからの話でもですが、我が家の王子は純粋な子ですきっと。何十人も側室いません、正室もいません(!)
20080605








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