魏軍師S,24歳の苦悩



互いに雨に濡れたあの日、雨は思ったよりはやく止み、衣服が肌にぴたりと貼りついた篠乃は普段より数倍程艶めいて見えたが、本当に寒そうだったので彼女を抱えて大人しく宮に戻った。
何もせず。なにもせずにな。


「……何故だ」


その日、起床後に洗顔して衣服を替えて、執務室で羽扇の手入れをしようと手に取ろうとした瞬間、床に無残に散っている黒い羽根が目に…入っ… なんだと!?まさかと思ってぎこちなくその自分の武器に目を向けると案の定と言うか信じたくないのだが羽根が抜き取られたり千切られていたり、それはもう私に相応しくないほどのボロボロぶりであった。(誰がやったか、だって?)…心当たりは大有りだ。もうこんな嫌がらせが例の日以降ずっと続いている。


「いい加減、殿と子桓様に説教せねばいかんな」


どうせ今の時刻だ、いつもの場所で朝餉を御召しになっているはずだ。――…あの雨の日、本当に何もなく帰還し、急ぎ着替えをし、無事に事が終わると思っていたのだ。だが、何が癪に障ったのか篠乃を背負ってきたらそれはもう、射殺される勢いで殺気を飛ばしてきた。そして間が悪いこのときに篠乃は眠りから覚めた。すると殿も子桓様も二人して篠乃に 「大事無いか!」 とか 「仲達にピ――されてないか!?」などたたみかける様に問い出していた。勿論、意味をイマイチ理解できていない篠乃は大丈夫、以外に答えは見つからないわけで。本当に助かった。
が、どうにも篠乃が私につきっきりなのが気に食わないらしく、今日までの嫌がらせにいたるのである。第一印象が冷徹、無口そう、大人、とか言われがちな曹親子。それなのに全く違う親から生まれたような素直な篠乃。似ていないと思われがちだが実は皆、悪戯が好きという共通点を持っている。これは、豆知識だ。
そこで足を止め、目の前に立ちはだかる大きな扉を押した。別に私が非力なのではない、扉が重いだけだ。そもそも私は軍師で腕力がないのだ。その分を頭脳にやっているからな。ギギギ…と音を立てながら開いた扉の奥では、曹操、子桓様、そして篠乃が他の上位の人間となんとも優雅に楽しそうに朝餉を召していた。もうこやつ等のすることひとつひとつが腹立たしいわ!


「あ、仲達、お早う!」
「…お早う御座います」
「仲達の席はここです、早く座って!」
「司馬懿、篠乃には一切触れぬよう用心せい」


篠乃が呼んでくれたことで私に厄が降ってくることはなかったが、やはり睨んでいる。もう貴様らの目はそれが仕様なのではないかと思うくらいだぞ。大人しく座り、運ばれてきた食事を軽く口に放ると、不意に無言を通していた子桓様が口を開く。私は無意識に構えていた。


「…篠乃、本当に仲達には何もされていないだろうな」
「兄様、なぜそんなに心配しているのですか?」
「あんな雨の日にどこで雨宿りをしたのか知らぬが、不必要に仲達に纏わりつかれたり、本当になかったか?」
「ありません。仲達はそんなことしませんよ、私が寒かったから温めてもらったけど…」
「「なっ、なんだと!?」」


ば、馬鹿者!父と兄は二人揃って椅子から立ち上がり、他の者の中にも椅子からずり落ちたりとあからさまな反応を見せた。かく言う私も冷静ではいられない。言い方が、怪しすぎるんだ、篠乃め…ッ!


「…、も、もう少し詳しく言ってみろ、」
「えっ、えっと、変な事なの、かな…。だって仲達って温かいし思ったよりがっちりしてるし、あの時の仲達は凄く優しくて、その…いつもより大きく感じましたッ!」
「「…なん、だと」」
「馬鹿ッ!篠乃は重要な箇所を言わな過ぎだ!ちゃんと聞いて下さい。防寒対策用の羽織も持たずに出掛けたので冷えてきてしまい、篠乃が単にくっ付いて来ただけです」
「…篠乃から、…とは嘘ではないのだな」
「だ、だって寒かったのですからしょうがないんです…」


そこで父兄二人黙った。どうにも、私から篠乃を強引に……など、そんな事になっていたら私はこの場で酷い目に、もしくは斬ろうなどと考えていたのだろうが、過保護な二人は私がやっていたわけではないと知ると篠乃を責める事になるため何も言えないのである。魏の中心の二人がとても馬鹿に見えた。


「一つ言っておくぞ、司馬懿。篠乃の本意とは言え、世間知らずな面が多い。おぬしが遊びで篠乃と付き合っているのならばもうそれはこの場でやめると誓え(篠乃と戯れる時間が減るだろう!)」
「…ち、仲達は、私の事好きじゃないの…?」
「………」
「さっさと言え、仲達」
「言わねばどうなるかわかっておろう」
「〜〜〜〜〜ッ!私が遊びでお前と戯れると思っているのか!好きだという事くらい気付け!凡愚め!」


こんな恥ずかしい事を吐き出した場でゆっくり朝食など食えるわけがない。顔の火照りを冷ますのも含めて外へ出ようと立ち去る事にした。が、一人にになりたいという願望は叶わず、篠乃が嬉しそうに飛びついていた。まあ、悪くはないか。だがそのまた後ろから何かを必死に堪える曹親子の声に溜め息をつかざるをえなかった。こんな国に仕える私に果たして幸せなど、あるのだろうか。


「仲達、大好きよ」


……無いこともないか。



S,24
(こんな君主で魏は大丈夫なのか)

曹操の娘&曹丕の妹シリーズです。司馬懿の愚痴を書くのが楽しくてたまらない今日この頃です。
20081216




 


あきゅろす。
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