虚無杯満:8



心地の良い洗脳を受けて、私は貴方に惹かれて行くの。



子桓に手当てしてもらった脚の傷は数日経てば大分癒えてくる。それすら惜しいと思ってしまう私は相当彼に惚れてしまっているのだろうか。子桓の為に私は普段通りでいよう、子桓を受け止める支えのひとつになってあげられたら、それでいいと思っていた。だけど。

彼の視線、言葉、行動、全てが甘い毒のようで、じわりじわりと私の心を侵して行く。

そんな態度を急にされたものだから、私は避けることができずにどんどん子桓に囚われていっているのかもしれない。でもそれが嬉しくて、自分を変えていった。結い上げていた髪に飾りを付けた。軽く乗せていた化粧に、色を混ぜてみた。今まで隠していた肩を生まれて初めて人前で露出した。どれをやるにも本当は恥ずかしくてやりたくなかったのに、最後は子桓にやれ、なんて言われるからやらないわけにもいかず、以前の私では考えられない程洒落込んでいると思う。

でも、いいんだ、子桓がそれで満足してくれるなら。私ができることは本当に限られているから、望むことはしてあげたい。その為に、今日も私は張コウと一緒に鍛錬場で稽古をつけてもらっていた。…勿論子桓に見つかり次第部屋まで連れ戻されるけれど。


「………では、今日はこのくらいにしておきましょうか。あまり長く稽古を続けると曹丕殿が心配なさりますよ」
「そう…ですね」
「私はこの後兵達との鍛錬がありますので、同伴できませんがちゃんと傷の手当はしてくださいね?美しい肌に傷が残ってはたまりませんからっ…!」
「わ、わかってます!」


かなり必死そうな張コウに苦笑しながら私は一人で鍛錬場を出た。以前は普段着でやったから脚を思い切り怪我してしまったが、あれ以降はいくらか鍛錬向きの服を着るようにしている。あまり重装備では動きづらいから鎧は身に付けていないけど、それでも小さな怪我で済むようになった。それでも痛いものは痛いけど……ねぇ…。


「そういえば、甄姫さんってどうなったんだろう…」


処置室へ向かう途中で、ふとそんなことを思った。張コウが甄姫を連れて行ったあの後のことを何も聞かされていないのだ。死刑になった、とか、遠くの地へ流された、と言う話は全く無いので無事ではあるみたいだけど。私なんかの為に人が一人でも殺されるなんてことして欲しくないし…。でも生きている、どこへも連れて行かれていない、と言うことは今もここの何処かにいるということなのかな。無事とはいえ、実はあまり会いたくはない。

ようやく着いた処置室で、もう慣れた手付きで傷ひとつひとつを消毒しておく。処置室には典医がいないのでどうしても一人で処置をするため考え事をするにはぴったりな場所になる。普段から考え事が多い私はいやでも長居してしまうのだ。子桓に飽きられたら?子桓が私を要らないと言ったら?…思えば小さい頃からずっと子桓と一緒にいた私にはその問いに答えることができない。いつの間にか子桓がいない人生なんて考えられなくなってしまっていたんだ。だから私は今、必死なのかもしれない。強くなって、全部全部、私の全てを子桓の為に、と。



そんな風に考え事をしていた私は背後の気配に気付くわけがない。だから、すぐ真後ろまで迫ってきて漸く私は人の足音に振り返ろうとした。が、遅かった。振り返るに至る前に、耳元のすぐ近くから鋭い刃の如き笛の音が私の頭を痛めつける。美しい笛の音も、それが笛なのかわからないほどの高い音で頭が壊れそうな程に鳴り響き、意識が、あやふやになっていってしまった。
そして、完全に意識が遠のく直前に、それを阻むかのように背中に重い痛みを受けた。……斬られた、みたいだ。頭の痛みと背中の痛みが中和しあい、もういたいのかもわからない。


「彼をあきらめることにしましたの。私が退くのですからこの痛み位は受け取ってくださいませ」


あぁ、そうか、これをやったのは甄姫だったのだ、と最後の力で感じ取った。鉄笛一本で戦場に立てる彼女の強さが分かった気がした。





虚無の杯、満たしましょう:8

またもや、書き連ねてしまいました…!そして子桓さんお休みです。次出します、多分次からはラブラブできると思うんだ´`
20080703








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