虚無杯満:5



この世に篠乃以上の女がいるわけがない。
いて堪るものか。




恋は盲目など、旨いことを言うものだ。父が以前から目をつけている呉の二喬。私にとってはただの娘としか映らない。それもそうだろう。全部全部、篠乃が綺麗だから、……それだけだ。世の男百人の中で九十九人が二喬を選んでも残りの一人――私は確実に篠乃を選ぶ。
想いを打ち明けた後も、以前と変わらぬ態度で接してくれる彼女に安心を覚えた。もう私は彼女を姉上と呼ぶことは少なく…否、呼ばないかもしれないが、それでも篠乃という温かい存在に甘えている。あれだけ篠乃に愛を囁いていたのに自分に媚びることのない態度が好きだ。


「そうでしたわ、曹丕様。曹操様がお呼びになっていましたわよ」
「…わかった。甄姫よ、もう下がれ」


立ち上がって、部屋からは出ずに、篠乃の部屋と私の部屋を廊下にでなくても出入りできるように作らせた扉へと向かう。一々人目につくのが嫌だからだ。もう、いっその事別々な部屋にするのもやめてしまおうかと思うが。篠乃の部屋へ行こうとしている自分を恨めしそうに見つめるのは、甄姫だ。どうにもあの女は私に取り入ろうとしているのが目に見える。どんなに美しいと謳われても、私の前では無意味に等しい。


「篠乃、入るぞ」
「あら、子桓。どうしたの?」
「…いや、特に。父がお呼びだと言うから誘いに来ただけだ」


机に向かっていた篠乃は何かの書物を読んでいた。が、すぐにそれをやめて父のところに行く用意を始めた。…大したものではなかったのですぐに二人で部屋を出ることにした。私が彼女を名で呼ぶと、少しだけ恥ずかしそうに肩を竦める。こういう仕草は最近になって見られるようになったものだ。見ているとどうしても苛めたい、と言う感情が湧き出てくる。


「何を恥ずかしがるのだ」
「だ、だって…こんな…こと、されたことないもの…」
「これから、嫌でも"こんなこと"をするようになるのだ。慣れろ」
「無理だよ……っ」


少し身を寄せて腰に手を回すだけでこの反応。私に言い寄る女でこんな反応をする女は見たことが無い。もう普通、という感覚はここで育ってきた以上、無いかもしれぬがその私に対して"普通"に接してくれるのは篠乃だけで。だからこそ、余計に彼女を愛しく思えるのかもしれない。父の執務室へ到着し、扉を数回叩くとすぐに「入れ」との声が聞こえてくる。まあ、仮にも親子なのだから遠慮する必要はないのだが。


「ん?篠乃も一緒か」
「邪魔なら、外で待っていますが…」
「いや、構わん。二人ともこちらに座れ」
「……それで、父よ。話とは?」
「単刀直入に言うと……子桓、お前もそろそろ妻を娶ってはどうだ」
「私は篠乃以外に興味は無い。強いて言うなら娶る相手は篠乃しか考えていない」


そう言った私を見た後、父はちらりと篠乃にも視線を向ける。


「…まあ、これでも儂は子桓の父親だ。お前の考えていることは随分と昔から予想はついていた。何せ、篠乃への執着心は異常だったから。儂が娘として篠乃を可愛がっていてもいつも周囲からは子桓の視線を感じたぐらいだ」
「気付かなかったわ、私」
「子桓の気持ちはわからんでもない、その禁断的な関係も儂は嫌いではないしな。その辺りは親子と言うものだ。だが…お前たちには縁談もだいぶ来ておる。それでも、意思は変わらぬのか」


いまさら何を、と言った心境だ。当然のように頷いてみせると、篠乃も隣で頷いているのがわかった。姉上と言っても、義姉だ。姉弟縁を切れば結婚などいつでもできる。こういう時は物分りのいい父で心底助かる。どうやら、縁談も全て切ってくれるようだ。


「……篠乃。子桓は、幼いころから立場を知りすぎたせいか、あまり我が侭を言わぬ息子だったのだ。だから、こういう時くらい、言い分を聞いてやりたいと思うのが親と言うもの。どうか、子桓の気持ちを受け入れてくれぬか?」
「私はもとよりそのつもりです。子桓を受け入れてあげられる場所になりたいと、ずっと思っていましたから…」
「そうか。ならば、決まりだな。二人とも、曹家のためにもちゃんと子作りするのだぞ」
「ちょっ…!?お、お父様!?なに、を…!」
「はっはっは、本当のことを言ったまでだ」


久しぶりに親子という、絆を感じられ、どこかじんわりと温まった気がした。





虚無の杯、満たしましょう:5

もともと養子としてヒロインちゃんを連れてきたので、他人なわけです。しかしパパ上もあっさりと承諾してくださいました。でも、あの曹操様なら子桓の気持ち、すごいわかってくれそうな気がする…(笑)
20080616








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