蛇足
危険な香りの保健室1
「かっ、楓ぇ?!」
名前を叫ぶ男を、楓は意識のどこかで認識する。
彼の名前は堀田彦星。
通称ヒコ。
不良の馬鹿共が集うこの学校で、喧嘩と脳みその腐れ具合でトップクラスを誇る少年だ。
出席番号が前と後ろということで、とりあえず見知った顔ではある。
止まらない吐瀉物を、途中何度か突っ掛かり逆流させながら、楓は彦星を目だけで見上げた。
細身の長身を屈ませ、驚きで目を大きく見開いて、大丈夫かと声を張り上げている。
…大丈夫かって、これが大丈夫に見えるのか。
そう言ってやりたかったが、当然声を発する事は出来ない。
気付けば周りは沢山の人垣が出来ていた。
オイオイ、吐いてんぞコイツ!!と笑うような面白がるような声が聞こえてくる。
早く切り上げたいのに、止まったかと思えばまた込み上げてくるを繰り返していて、楓はもう色んな意味で涙目になってしまっていた。
「楓……楓、お前もしかして」
頭上で、さっきまでと打って変わった冷静な彦星の声がした。
「えっと何だっけ……あれ、つ…つ……あっ、つわりなのか?!」
止まった。
あんなに込み上げてきていた吐き気が、一気に下った。
つわり。つわりとはあの悪阻の事なのだろうか。
妊娠女性特有のあの悪阻なのか。ドラマとかで「もしかしてあの人の子供が…?」パターンでよくあるあの悪阻の事なのか?
「そうなんだろ?つわりなんだろ楓!!」
「……そうなんだろって、そんな確信したみたいな顔で言われても…」
顎を伝う液体を手の甲で拭いながら、楓は呆然と呟く。
「おいヒコ、何だよつわりって」
周りに居た不良の一人がそう言った。他の奴らも一様に首を傾げている。
そこからか、そこからなのかお前らは。
そうだ、校内でもバカ中のバカのレッテルを貼られてる彦星が、他の奴らも知らない言葉を知る筈がない。
誰だ、この男に中途半端な知恵を付けさせたのは。
と口を開きかけたとき、視界に自分の吐瀉物が入った。
「…保健室連れてってくれないかな」
そんな物見ながら悠長に話が出来る程、楓はアブノーマルではなく、すぐに教室に向かえる程、余裕と元気もなかった。
騒いでいる不良共を尻目に、フラフラと彦星の肩を借りながら楓は保健室に向かった。
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