main_10|08|30 ふりまわしあい(天戦)
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「坊」


黒塗りの車体の窓が下がって、中から声を掛けられた。運転席の見慣れた銀髪に、俺はぽかんと口を開けた。


「何間抜け面してるんです。早く乗ってください」


指の長い、モデルみたいな手が手招きする。
誘われるままに俺は車に乗り込んだ。






「迎え、いいっつったのに」
「言われましたけど、こんな遅くに坊一人で夜道を歩かせる訳にはいきませんぜ」


もともと途切れが目立っていた会話が、ここでぷつりと絶える。車内には僅かなクーラーの音とエンジン音、それとラジオの音だけが残った。軽快な音楽をバックにDJが何か言っているが、頭には入ってこない。
掌がじわりと汗ばむのを感じた。少しだけ緊張している。沈黙が辛いのではなくて、これからしようとしている事で、俺は居辛さをほんの少し、感じている。
運転する天草の横顔を、じっと眺める。街明かりを受ける銀髪が綺麗だ。注視しなければ気付かないような、僅かな不機嫌を孕んだ目元も、やはり綺麗だった。

俺が今日のように友人やクラスメイトと遊んでくると、天草の機嫌は決まって悪くなるのだ。機嫌の悪い天草は、二人きりでも俺を名前では呼ばず、あまり目を合わせなくなる。それは本当に意識していなければ気付かないような、違和感の無い変化だった。
天草がそれを意識的にやっているのか、それとも無意識の内なのか、尋ねた事が無いから分らない。けれど、どちらでも良かった。天草が嫉妬している、その事実だけで良かった。その事が俺に安堵と、少しばかりの優越感を与えてくれるからだ。

信号が赤になり、車が停まる。その隙を見計らって、身体を乗り出して、天草の目元に口付ける。


「……」


天草が小さく目を見開く。何も言ってこない。信号が青になって、結局何の言葉も無いまま車が走り出した。

(何か言えよ、馬鹿)

自分からキスなんて、滅多に無いことをしたのに。もっと喜べ馬鹿、無能。声に出さずに口の中で罵った。今更自分のしたことが恥ずかしくなって、頬にじわりと熱が上る。


「う、わ」


唐突に頭の上に掌が降ってきて、俺の髪の毛をぐしゃぐしゃと撫でた。


「そう言うのは、口にしてくださいね」


子供に言い聞かせるように笑いながら言われたので、心底腹が立って天草を睨んだ。頭の上にあった手を掴んで、がぶりと噛み付いてやる。すると今度はムラムラすると言われた。訳が分らない、相変わらずの変な男。


「天草」
「何です?」
「…真っ直ぐ帰るのか?」


少しの間を置いて、行きたい所でも?と疑問系で返された。用意していた答えを頭の中で唱え、俺は口を開く。どきどきして、口の中が粘ついた。


「…ホテル」
「っ…」


ぐらりと。それまで真っ直ぐ走っていた車が僅かに車線から反れそうになって、すぐ持ち直す。


「あっぶねえ」
「…驚かせないでくださいよ」
「なんで驚くんだよ」
「驚きますよ、そりゃ。……念の為聞いておきますが、どういうホテルをご所望で?」
「男同士でも入れるとこ」
「…了解」


いつもは真っ直ぐ通る交差点を、車が左折する。これからする事を考えたらそわそわして落ち着かない。今日は自分から誘ったんだから、嫌だ恥ずかしい、は通用しない。積極的にしなければならないのだ。そうすればする程、天草は喜ぶだろう。何しろ自分が素直に足を開いただけでも喜ぶ男だ。
浅はかな考えを巡らせて、機嫌取りという名目で天草に堂々と甘えられる事に胸を躍らせている自分に気付いて、少し笑ったら怪訝な目で見られた。

そうだ、今日は最初に好きだって言ってやろう。




ふりまわしあい
(困らせたい、焦らしたい、焦らせたい、あいされたい)





あきゅろす。
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