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平穏最後の日(完結)
15



「ここで座ってて、飲み物持ってくるな」

遼介にそう言うと、園川は足早に飲み物を取りに別室へ入っていった。

残された遼介が事務所内を見回すが、どうやら出払っていて園川以外誰もいないようだ。
ことり、と音がしたので見上げると園川がマグカップをテーブルに置いた音だった。

「コーヒーは飲めるか?」

「はい、有難うございます」

冷たく冷えたグラスが水の汗を掻き、中では氷がちり、と揺れている。
この季節に嬉しいアイスコーヒーを一口飲むと、気分がすっきりした。
外はもう夏日を記録する毎日で、今日も随分と暑い。

「今日は暑いですね」

何気なく遼介が言うと、園川もネクタイを緩めながら同意する。
職業的に当たり前なのだろうが、この暑い中園川はスーツだ。

「そうだな、今日は真夏日になるかもしれないって久遠さんもボヤいてたし」

「……ああ、そうなんですか」

久遠と言われて一瞬顔を思い出せなかった。

何故だ? あんなに良くしてもらっている人を一瞬でも忘れるなんて。

しかし、久遠のことを考えようとすると頭がぼんやりしてきて、体が拒否しているように感じた。
きっと暑さのせいだ、そう思った遼介はゆっくりしようと残っているアイスコーヒーを飲み干した。

一方、園川も遼介に違和感を感じていた。
何が違うのかと問われても説明は出来ないのだが、遼介の纏う空気が違って見えたのだ。
そうしている内に久遠たちが戻ってきたため、園川は意識をそちらへ向けた。


「お疲れ様です」

「……皆さんお疲れ様です」

園川が久遠に頭を下げるのにワンテンポ遅れて遼介も会釈する。
その時の表情の変化を久遠は見逃さなかった。

「おう」

しかし一声返すと、それを咎めることなく自席へと進む。

「遼介君、久々だな!」

「秀一さん、お久しぶりです」

ふわりと笑顔を斉藤に向ける遼介を見て、久遠は先ほどの表情を頭の中で再生させる。

あの間にあった顔は何だ。

今まで見せなかった顔だ、決して嫌悪ではない、あれは無だった。

――どういうことだ?

まるで知らない者を見た時のような、初対面の者が突然現れた時のようなそれ。

久遠は人の顔色を見るのが得意だ。
これは仕事柄何百人とそういう奴らと対峙してきて身に付いたものである。
借金から逃れようと嘘を吐く者、交渉時の相手方の本音はどうか、人間の裏という裏を見てきた久遠は、人と顔をつき合わせた時は常に無意識ながら瞬時に相手の考えを理解しようと脳が働いている。

その頭が警笛を鳴らした。


今斉藤と話している遼介は全く普段と変わりはない。先ほどの一瞬が嘘のようだ。
しかし、こうやって遼介を見ていればいつもは何度も目が合うはずなのに、今日はまだ一度も合っていなかった。



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あきゅろす。
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