平穏最後の日(完結)
10
「遼介もお父さんの方がいいよな〜」
先ほどとは打って変わって上機嫌な声を出して遼介の頭をなでなでする。
「恭兄にはいつも来てもらってたし、今回は進路に関する面談だからお父さんの方がいいかなって」
「進路?卒業してからのこともう決めたのか」
「すげーな」と目を丸くして謙介は言う。
「別にここのことは気にしないで好きなところ行っていいんだからな?」
「ありがとう。勉強もうちょっとしたいからとりあえず大学に行きたいんだ」
「あーそうか。恭介も大学行ってたし問題ねえ」
「じゃあ面談の準備しないとな」とにこにこと遼介に笑いかける。
「準備?」
「おお、遼介みたいないい子のお父さんなんだから真面目な恰好しないと」
真面目な、と言われて父を見つめる。
息子の遼介から見ても体躯の良い整った顔立ちは、大人の色気があると同時に実際の年齢より若く見せていて実に人目を引く。
しかしながら数えきれないくらいの細かな傷と鋭い瞳は誰が見てもその世界の人だろう。
残念ながら遼介は身内の贔屓目もあり父親の見目が一般と言われるようなものと離れているとは気が付いていない。
「恭介は社長で通ってるから俺は会長あたりか。役職名だけなら本当に”会長”で合ってるしな」
「変装でもするの?」
「まあなぁ、サラリーマンが使うようなスーツに眼鏡でもかけりゃあどうにかなるさ」
あとは当日の運転を真面目そうな奴にさせて車もそれなりの車にして……と謙介は部下を呼んで手配しておくようにと指示を出す。
スーツと眼鏡もそれ用のを買ってこさせるらしい。
何やら大事になってきてそんなにしなくてもと断りを入れたが、謙介は嬉しそうに「大丈夫だから」と言うだけだった。
「三者面談いつだ?予定空けとく」
「あ……と、来週の木曜日の十六時だって」
「分かった、楽しみにしてるな」
「ありがとう」
それからまた仕事に戻った恭介を待っている間謙介と学校の様子を話したりした。
部活の話は特に感心した様子で、冬にまた全国へ行ったら応援に行きたいと園川と同じことを言っていた。
「遼介とはこうしてずっと話したり親子らしいことをしたかったんだ。今まで淋しい思いをさせたなあ」
目を細めて小さく笑う謙介を見て遼介の心がぎゅっと縮む。
それくらい哀しそうな笑顔だった。
「そんなことない。今こうやって目の前にいてくれてる、それだけで嬉しいよ」
それを聞いた謙介は「そうか」とまた笑う。
それでもまだ哀しそうなそれに遼介はひゅう、と冷たい風が吹き付けるようだった。
「それじゃあまた連絡するから」
「おう」
恭介とともに遼介が帰っていく。
まだこの家は遼介の住む家ではない。
ここは極道の家で堅気の者が敷居を跨ぐことはまずない家だ。
一人になった謙介は先ほどよりさらに暗い顔をする。
「いつか遼介がこの家を”普通に生きられない家”だと気付いた時は、どんな顔をするんだろうな……」
いくらヤクをやらない、堅気を巻き込まない良いところだと謳っていても真っ当な道を歩いているわけがないここに、何も知らない遼介を放り込んでしまったことが未だ気がかりだった。
後悔はしていない。遼介は紛れもない息子なのだから。
しかしあの心優しいあの子の苦しむ姿はもう見たくなかった。
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