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ローヴェルの猟犬
1ー7 軋み廻る告死の歯車

「俺様はお前達と組む気は無ぇって何度言えば解るんだ?レイン。マズルへし折られねぇと解らねぇみたいだな」

「フェルガ。僕達は賞金集めの為に戦っているんじゃない事は理解しているだろう?君の力が必要なんだ。……サーベラスの、最初の──」

 耳に響く炸裂音が大気を伝い鼓膜を揺らす。フェルガ=ボルケノスの拳が安アパートの壁に大穴を開けたのだ。
 僕は後ろから黄昏色の、もう消えるか消えないかの境界にある夕陽に照らされながら、開いた玄関でその漆黒の体毛に包まれた大柄な犬獣人の金の瞳に睨まれる。憎悪も何もない、ただ単純な怒りがその瞳には燃え盛っていた。

「テメェらには散々振り回された。薄穢ねぇ首輪を嵌められてよ……作戦、作戦作戦作戦。もうウンザリだッ!俺様は俺様の力を信じる。俺様と、相棒の"爆撃師"と共にな。……それと、過去の記憶を持ち出すんじゃねえ……サーベラスの記憶は、負け犬の記憶は俺様じゃねえ」

 威圧的な言葉にたじろぎながら、それでも僕は真紅の瞳を向けて反論する。

「僕達の目的を忘れたのかっ!サーベラスを抜けたからもう此方の方針には従わないだって?違うだろうッ!力を持つ者は人を助ける義務がある。例え他の目的、金を得ようとか、名誉を得ようとか、そんな事が力の目的だとしても僕達は──」

「──黙れよ、綺麗事自動生産機。発声源のケーブルを断ち切ってやろうか?」

 刹那、右拳が矢となり高速で振り抜かれる。眼を反射的に閉じながら右へと咄嗟に避けるが、突き抜けた風が自身の白銀の体毛を靡かせる。薄目を開ければ、しかし判断がその為に遅れ、左の拳が腹にめり込む。背筋が凍り付く痛みに表情を引き吊らせ……身体を折る、と同時に歓迎したのはフェルガの左膝だった。そして追撃に膝を引くと同時に足を上げて足裏を見せそのまま突き飛ばす。
 僕は何も出来ずに膝蹴りにより鼻血滴らせたまま、玄関から弾き飛ばされ外の6階の廊下の鉄製フェンスへと叩き付けられる。横の部屋の学生らしきアパートの住人が丁度鍵を差し込んだ所でこの光景を驚愕の表情で眺めていた。もう学生は帰る時間だったか。

「……貴様らのお陰で俺様達は狙われたんだよ。誰の反感を買ったか知らねぇが、俺はまだ死にたくねぇ……。他人の為の命でもねぇ」

 軋み、頭が警報鳴らす激痛の中、見上げて相手の言葉を理解しようとして、しかし出来なかった。

「……何、の……事を、言ってい、るんだ?フェルガ……。狙われ……僕……"達"……?」

 何も繋がらない。反感?僕達が?狙われる?誰に?……頭が重い。思考が追い付かない。
 その様子を見てか、黒の犬獣人は圧し殺した笑いを上げる。まるで無様な捨て犬でも嘲笑うかの様な瞳を向けながら。

「知らねぇのか?……あぁ、そうかぁ……クロストがお前には教えてねぇんだな。クックク、あぁっはは!!!檻から逃げる要因は隠す……あの糞野良犬のやりそうな事だ……。テメェも首輪とリードで飼いなさられてる間抜けなんだよ。明日には俺様は恐らく消える。精々気張れよ?」

 拒絶する様に閉じられる扉。僕は立ち上がろうと足に力を入れるが、脳震盪を起こしているか、視界が歪に歪み平衡感覚が掴めない。後ろの柵に掴まろうと掲げた右腕は、しかし右側に居た者に掴まれる。そのまま、引き上げられ無理矢理に立たされる。その者の左手に持つビニール袋に、レトルトの麻婆豆腐が見えた。イサナだろうかと思ったが、黒に白が混ざった腕は違うだろうと判断。

「無理な交渉をするからだ。奴は、自身の力しか信じない」

「……そこが、論点じゃな、い。僕達の戦っている、意味を……解って、いない。クロストは、償いを……」

 僕を支えた者へと、鼻から血を滴らせ白銀の体毛汚すがそれでも言葉を続ける。フェルガの相棒であり、隣国との戦争で大きな戦果を上げ爆撃師として恐れられたその存在へ。

「奴は……フェルガは自身の行いが無意味な事だと理解し始めていた。お前も薄々は感じているんじゃないか?この壊れ命を無くした脱け殻の国に尽す意味が存在するのか……と」

 顔を上げると、そこには彼が居た。爆撃師、アポカリプス。黒と白が入り雑じった体毛を持つ腕も足も長い、長身のそのサルーキ種の犬族の男の強靭な腕が、僕の腕を掴んでいた。相変わらずボロボロの革ジャンを着ているのだなぁと思い、その思考を切り替える。

「だ……だけれど、住まう人々に罪は……無い。解っている筈だ……力の使い道を」

 アポカリプスの支えてくれていた腕から放され、柵に背を寄り掛からせる。
 相手を見るが、しかしその半分を黄昏色に染めた男の顔の表情は変化が無かった。全てを見透かした、その名の通り……全てを暴露した姿を知っている様な、その存在。あの時から全く変わっていなかった。

「俺は元々この国に居た。どう思おうが勝手だが、俺は俺の進むべき道へと進む。俺はお前達の掲げる目的の先が見えない。俺の見据えてる先は常に現実だ。……俺には止める気は、無い」

 それだけ言えば彼は顔を背け、そして玄関の戸を開き中へと入り……そこで、振り向く。

「……何れではあるが、麻婆豆腐同盟によりお前の方の者を一人此方に回す契約が成立した。本人の同意により、だ。済まないな、悪気は無い。だが、貴様達の理想に付き合える程気楽な者も多い訳ではない。覚えておけ」

 そして、戸を閉められた。その時の音が、やけに耳に残った。僕は、そのまま柵にずり落ちる。全身の痛みが麻痺して、考えが纏まらない。
 僕達は、確かに……その時を生きていた筈だった。サーベラス自警団は、僕とクロストとフェルガの三人で仕事を請け負い、この国に名を上げた。この国の為に…全く関係の無い、そして、殺されるべき僕達が、必要とされた。今も、助けが必要なのだ。国が変わろうとも……どうあろうとも……。

「僕は……間違っていない。でも……」

 揺らぐ身体のまま、それでも無理矢理に起こし…そのアパートの廊下を歩く。

「誰も、間違っていないとしたら……僕は……」

 フェルガの放った意味深な言葉も、今は考える暇すら無かった。










 暗い室内。漸く家に辿り着き、ソファーに座り目の前のテーブルへと白いニット帽を外して置き、一息吐く。
 右手に握っていたビニールの袋と、大きなケースが複数、先程まで背負っていた更に大きなケースがソファーの右側に置いてある。

「此所から届けるのも面倒だなぁ」

 呟いた独り言は電気も付けない空間に溶けて消える。正面のテーブルを挟んだ棚の上の、ただ一つ仄かな明かりを灯す熱帯魚の水槽を眺めると、憂鬱そうな自分の顔が映る。
 あの場所では、強くはなれないだろう。ただ他者を殺し、戦闘において最適な選択を望み、全ての状況に対応出来る存在にはなれはしないだろう。確かに、命に代わるものは無い。しかし、それは誰に、誰のものに対して向けた言葉なのか。レインの言葉も、クロストの言葉も、今では耳に届きはしなかった。

 立ち上がり、台所へと歩く。ダッフルコートを脱ぎ捨てる様にソファーへと掛けて、台所の冷凍庫を開ける。そこには大量の大きな氷が幾つもあった。冷気が地を舐めて足元を伝わる。その中から、一つの長方形の氷を取り出す。

 命は平等だ。一般人であろうと命は重く価値があり、絶対に守らねばならないものだ。

「…………」

 しかし、それらの為に同等の自身の命を捧げることは、果たして出来るだろうか。強いから、死ぬかもしれない戦場でも多くの命を救う為に戦う…それは、自身の命を捨てる事は構わず、自身の命よりも助ける者の命の方が重いからなのだろうか……。

 台所の下から、鑿を取り出す。鋭利な三角や平型、針の様なそれらを左手の指の間に嵌めて、そこから一本を抜き取り氷の一角へと当てる。

……僕には、そうは思えない。

 僕は僕の命を守りたい。それはエゴだと知っている、解っている。だがそれは正しくないと誰が否定できるだろうか?誰も否定出来ない。身を守りたいなら、自分で強くなれ。言い訳など無用だ、自分はそうやって生きてきた。それだけが事実なのだ、と。

 鋭い音を響かせ氷が削れる。抉られ、丸みを帯びて、そして鋭利で、優しく、美しくそれらは完成されていく。

……僕は、生きる為に強くならなければならない。時間はもう無い。何れ、直ぐに公に晒されるであろう。だからこそ、命を守る為に……。

「削り落とされるだけだ。華やかさに見とれている間に、犠牲は忘れ去られる」

 氷彫刻用の鑿を振るい、飛沫を飛ばした。そこには、削ぎ落とされた氷の欠片に囲まれた蕀の蔦と薔薇……そして小さな鳥が存在していた。全てが氷によって作られた、純粋に透明な像となって、そこに生まれていた。










 明るい部屋。そこに独り、ただ独り……残る。
 白い尾を揺らし、生活感溢れるその部屋の椅子に座り、背凭れに背を預けて天井を見上げていた。

 その家は、あまりにも生活感のある空き家でもあった。近所の他の者は、此所に誰かが住んでいる姿を見掛けた事は殆ど無いだろう。……五年前から先は。
 鍵が常に閉められ、しかし電気代も水道代も確かに支払われ……だが、誰も常に住んではいなかった。

 しかし今日は違った。その家の椅子には、白猫の獣人が座り、右手に魚のキーホルダーが付いた鍵をぶら下げていた。

「……こうでもしないと、実感が湧かないんだよな…。もう五年か」

 その呟きに答える者は、居ない。全てが整い、そしてその中の一つだけが掛けていた。そうしなければ、他の完璧な世界の中に居ては、忘れてしまいそうだったから。
 この世界に、自身の守るべき者が居ない事を。全ての時を止めた部屋で、深い実感を得る。もう居ないのだと。会えないのだと。

 それでも、出会った。歪な形で、忌々しい姿で。

 だからこそ、認めなくてはならない。拒否し、まだ生きているとすれば何度この心を抉られる思いをするか、解らないから。自己の防衛として愛する者の死に向き合わなければならなかったから……今、この現実の苦しみを受ける。

 もう、そうして五年もの刻が流れた。

 首からぶら下がるネックレスへとふと手を伸ばし、握り締める。忘れてしまったら、存在していた事を俺が否定してしまったら。その恐怖が覆う。
 忘れてはならない。幾らでも痛みは受け入れよう。絶対に、記憶から失わせてはならない。存在した事実を、俺が消しては。

 それでも、この場所が……心を鋭く突き刺す。

「カルフィ……っ、ぐ……」

 情けないのは解っている。女々しい事も、過去を引き摺り過ぎている事も。
 それでも、堰を切って溢れ出したものが止まる事は、なかった。










 熱い身体を抱き止める。舌を出しての体温調節では間に合わないが、それでも相手の開いた口へと自身の口を合わせて舌を捩じ込む。耐えきれない吐息が漏れて、粘着質な音を立てる。
 そして、どちらともなくその口を離し、糸を引かせる。

「ロッドに感謝するしかないな。またおあづけを食らう所だった」

「…………馬鹿」

「勿論、発情期のフレイラさんに私は何時でもお付き合い致しますよ?それはお金を払ってホテルでも構わないし──」

 その言葉は、黒く艶かしい身体を見せ付けるフレイラの腕から繰り出された亜音速のチョップにより強制停止させられる。そして立て続けの「晩年発情期のお前に言われたくない」との言葉でトドメを刺される。それを言ったら御仕舞いであるが。
 しかし相手はいつものベッドの上で、毛布の中で顔を私へと見せないように背けて……背中を向ける。それがフレイラの"してもいい"という合図だと知っている為に、相手の身体を撫でて……自身の茶色い体毛の腕を腰へと回し、指を下へと這わせる。身体を跳ねさせて、尾を震わすその身体に自身の身体を重ねる。フレイラの尾が左右に力強く振られて、しかしそれもすぼめる様に丸められる。

「んッ!……クロ、スト……ッ……」

「はいはい、優しくしますよ、お姫様」

 そういえば、今日はこの事で頭が一杯で郵便受けを全く見ていなかった事に気が付いた。何故唐突にそんな事を思い出したのか……恐らくは、自身が常に神の指令を受けて世界に最善の行動を行う平和の使者であるからだろう、という嘘設定を即席で思い付いたが、例えどんな設定があろうとどんな世界の危機だろうと目の前にある性欲に勝る物などこの世界の裏側まで探しても見付からない結論。

「……クロスト、早く……」

 無駄な思考がフレイラを焦らしていた様だ。恐らくは先程の思考は、この相手に自身を望ませるという事の為にあったのだろうと確信。取り敢えず居ないであろう神と、自身を男に産んでくれた母に感謝して……深く身体を重ねた。










「……伝達事項は終りか?」

「これだけだニョン。ニャハハッ、ボクとしては早く腐れ狗共と噴水ごっこしてみたかったりするしこんな感じに手応えあると嬉しいっぽいかニャー?」

 その質問には答えず、全身覆うマント靡かせる獣人は恐ろしく高いその場所から街を見下ろす。あまりにも高過ぎる……巨大な会社の何百階層もあるビルすら点として見える程の、あまりにも異常な高さのその場所で。
 横では、普通では絶対に有り得る事の無い真紅の二股の尾を持つ猫族らしき少年は灰色の体毛を風に靡かせながら、その見下ろす世界の見える淵で逆立ち歩きをし尾でバランスを取っている。

「貴様から見れば、遊び、か。全てを愉しむ主観に共感の一つも抱けないな」

「いいもん。ルシにぃにそんな事感じて貰わなくてもいーしーっ。うにゃっ!?」

 拗ねたような口調で言うが、風に煽られバランスを崩し……そのまま、体は淵の外へと傾き……突然にその落下する筈の少年の体は停止した。

「ニャッハ、心臓止まっちゃうと思ったよ」

「……俺を試すな」

 何も背にはなく、ただ暗黒の夜空が見えるだけ。否……背には、夜空に溶け込む黒が存在し、その少年を受け止めていた。

「ニャヴ〜。バレてた?」

 わざと体を傾けその下に落ちるようにし、助けてくれるか否かを試していたのだが、既に解り切っており。それでもそのまま落ちれば明らかに死ぬであろうから支えておいたが、翌々考えてみればその行為自体が無意味である事に思考は辿り着く。
 引き上げて普通に立たせてから、目線をその少年から外す。黄金の尾を揺らし、その相手の当然の質問に一切答える事無く街を見下ろす。鋭い真紅の眼で。

「招待状は渡された。後は、宴にどの狗が嗅ぎ付けるかだ。馬鹿と煙が高い所を好むなら、あの狗が来るだろう予測は付くが……おい」

 そこで、少年がズボンを下ろし黄金の液体を放出していた為に敢えて、突っ込む事にした。突っ込まずとも何も意味は無いのだが、あまり気分の良いものではない。武者震いした少年は振り向き、笑顔で口を開く。

「にゃ?これからおなくなりになられるヒトビトに何か問題でもありますかにゃー?」

「…………、……。……招待状は届いていた様だな」

 金の猫獣人は少年の言葉を無視して紫のマントを翻し、後ろを振り向いた。その深紅の瞳は、その広大な円形の足場の中央へと注がれる。
 ズボンを引き上げた少年も釣られてその音の原因へと目を向ける。機械の駆動音が、風の旋律に混じり響いていた。

「幾万もの命を乗せた天秤の対極は、貴様達の力……。告死の鐘を鳴らす歯車は既に動き始めた。力を手に取り、その歯車を止めてみるがいい……猟犬共」

 駆動音は、増していく。


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