冷静さと、怒りと02
その直後に何故であろうか、踏み台にされたトッポの身体が最も遅く地面に届いた。
(すごっ……)
レイナは額から冷たい何かが流れ落ちるのを感じ取った。
魔術を使ったための、疲労による汗ではない。
それは冷たい汗。
アスタランデ中央に聳える中央山脈の雪解けによる湧き水よりも、その冷や汗は恐らくレイナにとって冷たく感じただろう。
クレス・ロックスター。
ディット・バーン。
この二人の戦士の見せた一瞬のきらめきに心底恐怖を覚えたのだ。
まずトッポに届いたの、近くにいたクレス。
そのままトッポの身体を蹴り下ろして、空中に浮く。
その次の瞬間落ちてくるトッポの身体を蹴り上げ、その体に乗って宙に浮くディット・バーン。
その結果トッポの体が一番最後に降りたのだ。
クレスからしてみれば、トッポに魔法が直撃した瞬間に、一気に距離を詰めてきたディット・バーンを交わすためにとった行動。
ディット・バーンは逆に、宙に逃げたクレスを捕らえようとした行動。
そのいずれも洗練された動き。
「むぅ……やはりあの男。あの武器といい……やはりそうか」
その時レイナの肩越しから強張ったブラックウィンドの声が聞こえた。
「知ってるの?」
レイナが聞く。
「あの男……。盗賊ギルドの刑執行人……。常識を逸した盗賊ギルドの頭領を裁く人物だ。盗賊ギルド界を王家に例えて考えるならば、彼ら刑執行人というのは王親衛隊長ほどの地位を持つ」
その言葉にレイナは自分の耳を疑った。
盗賊ギルド。
いまや国や地方自治体を除いては、一番力を持っている団体が、この盗賊ギルドなのである。
魔術師ギルドはどちらかといえば、暗の組織。
だがトレジャーハンターとしての地位を確立した盗賊ギルドは、灯の組織。
一般人からは魔術師ギルドの人間の方が好まれて入るが、要人からは逆に盗賊ギルドの人間の方に理解がある。
盗賊ギルドの幹部クラスになれば、緊急時には王宮から使者が来て、実王の相談さえも受けたりするのだ。
その中でも、今目の前で線の細い青年と熱い戦いを繰り広げているこの男は、かなりの上位クラスの地位の持ち主という事になるのだ。
「この戦い、クレスに分が悪すぎる」
クレスというのは、その盗賊ギルドの刑執行人と対峙している青年のことだろう。
(五分じゃないの……?)
レイナの目にはそう映った。
確かにレイナは魔術師としては桁外れの戦闘能力を持つ。
下手な戦士クラスならば彼女に勝つのは難しいだろう。
その彼女から見たら、別に力関係が五分の戦士同士の決闘に見える。
だが、実力伯仲かと思われる二人には決定的な違いがあることをブラックウィンドは見抜いていた。
実際、戦況のほうはディット・バーンの方に流れが傾いているのだ。
「なんでこんな大勢の人を殺したんだ!」
「それで食ってるからだ」
同じやり取りが何回ほど繰り返されただろうか。
そのやり取りが交わされる度に、流れが徐々にではあるが、ディット・バーンのほうへ傾いていた。
「違う!僕が聞きたいのはそんな理由じゃない!」
怒りに任せて、クレスは力いっぱいの一撃をディット・バーンに叩き込もうとする。
だが、その攻撃のひとつひとつがディット・バーンにははじめから予測できていた。
「もっと腰を入れろ。そんな腰のない一撃が俺に届くと思うな」
ディット・バーンはクレスの攻撃をやすやすとかわす。
「馬鹿にしやがって……!」
クレスは余裕綽々のディット・バーンの態度に腹を立て、更に俊敏な突きを次々と繰り出していく。
「腰の入ってない剣に意味は無い。貴様はその剣で俺に何を伝えようという。俺の何を正そうという」
その言葉はクレスに衝撃を与えた。
自分が今まで振るってきた剣。
誰の何を正そうとしているのか?
それはただの保身の剣。
自分が目の前にいる盗賊に伝えたかったものは何だったのだろう。
クレスの剣が、地面を貫く。
「僕は……!僕は、君に何を伝えたいかなんて分からない……。もしかすると、ただ君の心に善を見つけられずに、僕は怯えていただけなのだろうか?」
ディット・バーンは自分の行動を恥じた。
自分のしたことがこのハーフエルフの剣を狂わせるかも知れない。
目の前のハーフエルフが、若き頃の自分を見ているようで、心が躍ったのが事実。
独特の言い回しや、価値観があまりにも自分と違っており興味をもったのも事実。
だが、以前未熟な自分を育ててくれたギルドの人間には自分はなれない。
いっぱしの剣士に育てることが出来ないなら、口を出すべきではなかった。
ディット・バーンはクレスにかける言葉を見つけられない。
「動かなくなったね」
ブラックウィンドも二人の異変に気づく。
だが、更にこの場には異変が。
二人の剣士と盗賊を遠目から見ていたレイナだが、ひとつ気になるものを見つけた。
(あら?)
それは、レイナから向かってちょうど、ディット・バーンとクレスの対峙している更にその奥の方にある。
何かが光ったように見えたのだ。
「烏さん……!何か光ったの!」
小声でブラックウィンドに異変を告げる。
ブラックウィンドは黙ってレイナの指の指すほうに神経を集中させる。
鳥目だから見ることは出来ないのだが、精神の波動というものを感じようとしているのだ。
その瞬間、レイナは彼の言葉を思い出した。
「あ、あぁ……少し林になったところに昔の領主の家の跡があるけど……闘いだって?あんなとこで?」
レイナは素早く彼の姿を捜す。
彼はレイナとブラックウィンドのほうを見上げながら、地面にへたりこんでいた。
当然だろう。
こんな凄まじい出来事が連続で起こっているのだ。
普段平和な世界で過ごしていた彼には、刺激が強すぎたのかもしれない。
「ねぇ、君!ここが領主の家の跡なのよね?さっき、やけに驚いていたわよね?ここに何があるの?」
その言葉に彼は一瞬固まったが、すぐに動きを取り戻した。
彼の表情には明らかな焦りの色が浮かんでいる。
彼は見ていた。
ラスト・オブ・ブレイズの影響で人が夜中に出歩かなくなった近頃。
その存在に気づいていたのは、彼とその一味だけだったかも知れない。
「やばいよ!ここは!ここは……!」
明かに彼は動揺を見せる。
(何があるって言うのよ!)
レイナは焦れていた。
しかし……。
「あ、あぁぁ!」
彼の目に怯えた表情が浮かぶ。
その顔は真の恐怖を物語っている。
「で……出た……」
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