確定を覆す方法


往生際が悪いオキャクサマを締め上げた後、世界で一番嫌いな顔を見付けてしまった。

「いーざーやぁ」

目障りな蟲は、十中十九で世間に迷惑をかけると分かっている。見付けなければ良かったと心のどこかが呟いたが、すでに身体は走り出していた。

条件反射。
悲しい事に、この反射が身についてからもうかなりの時間が経つ。

「シズちゃんは、ホント俺を見付けるのが上手いよねぇ。何、そんなに俺が好きなの?」

笑う顔が、最高にムカつく。
そう考えているうちに、怒りで満杯の頭の中に蟲の言葉が意味を伴い流れてくる。

「―――死ねよ。いいから死ね。今死ね。てゆーか殺す。ぜってぇ殺す」

「いっつも思うんだけどさ。良い歳した大人が、そう簡単に死ねとか殺すとか口に出すのって良くないよ?まぁ、俺もシズちゃんには死んで欲しいんだけどね、心から」

鼻先を掠めたナイフよりも、目の前の蟲だけに視線を固定する。

「手前は、人に刃物向けながらよくそんな事が言えるナァ?」

臨也くんよぉ。
ほんっと、お前が簡単に死ぬスイッチとかどこかにあるなら教えて欲しい。

「あれ?シズちゃん今変な事考えてない?」

「……………」

首の後ろ辺りにあれば一発なんだろうにな。百歩譲って音声オフのスイッチでも構わない。
そうしたら世界平和とはいかなくても、少なくても、池袋と新宿の治安が1/7くらい良くなるハズだ。

その1/7に俺の心の平穏が、大分多く含まれている。

「…シズちゃん?ちょっと、何か言えよ」

ノミ蟲は構われなくても寂しいのか、ちょろちょろと俺の周りで動き出した。
黙っているのを良い事に、グラサン外そうとしてみたり、かすめ取った煙草を吹かしてみたり。

もういっそ無視してみようか。完全に無視。
相手にするから調子に乗るんだ。

「――何、本格的に脳ミソまで筋肉になったわけ?話す事も出来なくなっちゃったんだ?」

"バカなシズちゃん"
煽る為だけに発せられた言葉に、乗る程俺もバカじゃな――ければよかったんだけどな。

「臨也ぁ!手前、ふざけんな!!」

「あはは、シズちゃんホント語彙が少ないよね。本格的に頭悪いんだ。かーわいそっ」

ばーかばーか、とそれこそ馬鹿みたいに繰り返す臨也を追って、見失った事に気付いた時にはもう日が暮れていた。









泣き事が言いたいわけじゃねぇけど、本格的に俺は疲れていた。
あの蟲に関わるとホント碌な事が無い。溜息を付きながら見慣れたドアを開け…ん?なんで鍵開いてんだ?

「おっかえりー!」

「…………」

そこには、つい30分程前に見失った馬鹿が居た。
ちょっと待て、何勝手に人の部屋に侵入してるんだよ。――ああ、なんか玄関先に先が微妙に曲がった針金が落ちてる。これか?この馬鹿はこれで人のプライベートな空間に入り込んで来たってわけか?

「ご飯にする?それとも先にお風呂にする?もしくはお約束にする?…とかいうサービスは俺にはないからね!シズちゃん、ざんねーん!」

こういうワケの分かねぇ台詞を聞くたびに、俺の疲れは増していく。
喧嘩の最中もこんなウザいノリだったコイツに付き合って、本気で疲れてんだ今日の俺は。

「あー…もういい。疲れ過ぎてやる気なくなったから見逃してやる。早く帰れ」

「えー!せっかくご飯作ってあげようと思ったのになー」

「……ぜってぇ毒が入ってるだろ」

「いいじゃん。シズちゃんには大抵の毒なんて効かないんだし」

そういう問題かよ、おい。

「今冷蔵庫見たんだけど、シズちゃんちの冷蔵庫はビールの為だけに存在してるって感じだね。野菜もあったけど、芽が出てないモノの方が稀だ。見てこのニンジン。芽が出てる上、切ってみたら水分が蒸発してすっかすか。まるでシズちゃんの頭だね。ペットだけじゃなく冷蔵庫の中身も持ち主に似るなんて知らなかったよ!シズちゃん新しい知識を有難う。別に知りたくなかったけど!」

「…やっぱ死ぬか?」

「いやいや、まだ続きがあるんだよ。このスカスカのニンジンと、シンク下の空間でいっそこのまま土に埋めた方がいいんじゃないかと思われる状態で発見された玉ネギとジャガイモ。さぁ、これで何が出来ると思うシズちゃん?」

「―――カレー?」

「残念!実に惜しいねシズちゃん、正解は……ポテトグラタンとニンジンのポタージュでした!」

全然掠ってねぇし。あと自分でドラムロールを途中にはさむのヤメロ。なんだかこっちが切なくなってくる。
でも、具体的な料理名を聞くとどこかの蟲の所為で昼を食べ損ねた腹が存在を主張しはじめるから不思議なモンだ。

「……作れんのか?」

「あっれー?シズちゃん、食べたい?」

「―――別に」

くっそ、鳴るんじゃねよ俺の腹。
音を聞いた臨也が、ニヤニヤと笑ってやがる。

「じゃあ、今日は特別。すぐに作るから、シズちゃんはそこら辺に座ってればいいよ」

「おい、此処俺の家だぞ」

「知ってるよ。俺の部屋はこんなに狭くてボロくないしー」

話しながらも、臨也は手際良く野菜の皮を剥いて切っていく。バターで玉ネギが炒められる良い香りがして、ふと俺は気付いた。このメニューならコンビニでパンも買ってきた方がいいんじゃねぇかと。

「―――何処行くの、シズちゃん」

立ちあがった俺がドアに向かうのに気付いたようで、臨也が振り向かずに声をかけてくる。…ん、なんか怒ってねぇかコイツ?

予感は的中。
次の瞬間にはナイフが顔を掠め、後ろの壁に深々と刺さっていた。思わずそれに目を向ければ、距離を詰めて来た男が俺の右腕をシャツごと壁に縫い留めた。おい、こんな時ばかりの早業は必要ねぇんだよ。

念を入れてなのかどんどんと増えていくナイフと壁の穴を思えば、溜息だって出るってもんだ。何がしたいんだこの馬鹿は。

「…おい」

「座ってて。すぐ作るから」

「いや、臨也…?」

ここまで見事に縫いとめられちゃ、座る所か出来上がっても食べられないと思うんだけどな。
部屋に充満する家庭的な匂いとはまさに対極の現状。

力任せに引きちぎるのは簡単だけど、なんとなく戸惑われた。料理作ってやろうと思ってた所を、出て行かれると思ってショックだった…んだよな。多分。ならば、声をかけなかった俺にも多少…ほんのわずか、数パーセント程は非があると言えなくもない。

「ね?シズちゃん?」

聞き分けの悪い子どもに言って聞かすような声音に、不本意ながらも一つ頷けば「良かった」と気持ち悪いくらい柔らかい邪気のない笑い顔を見せられた。なんだコイツ、今日は熱でもあるんじゃないか?









「シズちゃんさぁ」

トースター(生憎俺の家にはオーブンなんて洒落たものは存在しない)でグラタンが焼けるのを見守りながら、臨也がようやく喋りだしたのは、そろそろこの中途半端な体勢に疲れて来た頃だ。

「昼間、俺の事無視しようとしたでしょ」

「は?」

何を言っているのか、一瞬分からなかった。
逃げようとしていたコイツを見付け、声をかけたのは俺だったし、無視をしたというならばそそくさと人混みの中に姿を消そうとしたコイツに当てはまるんじゃないか?初めはそう考えたが、対峙の途中で相手をするのが疲れた時があったのを思い出した。

「あれ、嫌い」

「……………」

「シズちゃんは大嫌いだけど、俺を無視するシズちゃんはもっと大嫌い。こうして家に押しかけて恋人さながらに手料理振舞いたくなるくらいに、ね」

普通の恋人はピッキングなんてしねぇよ、とか。
そもそもお前も俺も男だろ、とか。そんな当たり前の言葉は俺の頭に浮かばなかった。

つまりは、ここまで手の込んだ嫌がらせをされたくなければもう無視するな。コイツはそう言いたいんだろう。

「手前、ホント面倒臭いな」

あと馬鹿だ。馬鹿だ馬鹿だと思っていたけど、コイツはそれを越える大馬鹿らしい。

「うるさいよ。あー、すっごく良い焼き色。さすが俺」

チン、という音の後グラタンを取り出した臨也はムカつく程にご満悦顔だ。

「あ、これならパンがあったら良かったなぁ」

一人、後悔の色を言葉に乗せる馬鹿の前で俺は深く、溜息を付いた。

「―――だから、さっき買いに行こうとしてたんじゃねぇか」

馬鹿は、そんな俺を見て――

「…そうなの?」

「シズちゃんがそんな気が利くなんて夢にも思って無かったよ」

「てゆうか、なんで標本みたいになってるの?」

今日一番の上機嫌で、喋り出した。
わざわざリアクションを返す気力も義理もない俺は、ただ先程から考えていた命令だけを口にする。

「いいから、これ外せ。シャツが修復出来ない状態だったら、同じだけお前を滅茶苦茶にするからな」

「それ、ベッドの上で?」

「馬鹿か、死ね」

ニコニコニコニコ、何が気に入ったんだか知らねぇけど。
機嫌が良くても悪くても、ほんとコイツは面倒臭い。




チュッ

「…っ、……はぁ?」

「ねぇ、シズちゃん。せっかくだからキスしていー?」



馬鹿は提案の順番さえ、知らないらしい。






end














『だって返事は決まってるでしょ?』








確定を覆す方法










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