蜘蛛の待つ森


眩い光に包まれた後、それからはもう静雄が予想できる事は一つとして無かった。


「どこまで続くんだ…?」

静雄の視野を占めるのは、一面の緑。
深い森は、果てが見えない。

アスファルトとコンクリートで造られた光景を見慣れた静雄にとって、休日に訪れるたのならば好感も持てたかもしれない。
しかし、彼はほんの数分前まで学校に居たのだ。正確には、図書館に。古びた表紙の本をめくり、気付けばこの森の中だ。生い茂る木々も、不気味にしか映らない。当たり前の事だろう。


実際、森はうっそうと蔦が茂り、太陽の光すら隠すように木々が生えている。薄暗い森だ。癒しを与える緑というより、何かを守る為だけに存在しているようにさえ思える。

「っ、…出口はどこなんだよっ」

腕に絡まった蔦を力にまかせて引きちぎれば、手のひらに薄っすらと血が滲む。それに舌打ちしながらも、静雄は目の前に今までは無かった洋館が見える事に首を傾げた。

(さっきまでは無かった…。なんだありゃ?)

心中で疑問を重ねていると、古めかしい扉が音も無く静かに開いた。まるで、静雄の来訪を待ちかねたかのように。




「………」

静雄がその洋館に足を踏み入れた途端、辺りの空気がガラリと変わった。

「やぁ、いらっしゃい」

何時の間にか閉まった扉
人の気配など、何一つ無かったというのに突如として正面に現れた男

そのどれもが静雄の動揺を誘い、そして言葉で問う事を忘れさせた。

「久しぶりのお客様だ。歓迎しよう、平和島…静雄くん?」

名乗っていないはずの名を挙げ、ニコリと笑う男。
静雄はその男から、目が離せなくなった。





***




オリハライザヤと名乗った男は、随分と不思議な人間だった。

聞いてもいないのに、人間を心から愛している事。情報収集が趣味で、大抵の事は知っているという事(それでも、出会ったばかりの自分の名を知っているのがおかしい事くらい静雄にも理解が出来たのだが)それらをつらつらと語ってみせた男が淹れた紅茶は、文句のつけようがないくらい美味しい。

静雄がこの男について知れたのは、それくらいの事だった。






「この屋敷は好きに使っていいからね」

ニコリと人が良さそうな笑みを浮かべる男は、病的に白く、纏っている黒を基調にした衣服と合わせて大変不健康そうに見えた。それでいて、弱っている、というわけではない。むしろこの目は、捕獲者のそれだ、と静雄は考える。

この場に長く居てはいけない。
けれど自分には行くあても無い。

堂々巡りだ。目前の男は、そんな静雄を見ながら楽しそうに笑っている。

「ああ。手、怪我してるじゃない。おいで。手当してあげるよ」

「…あ。いや、いいっす。別に、舐めてれば治るっ…?!」

申し出を辞退し終わる前に、男の舌は静雄の傷口に這っていた。
ぬるりという感覚に、嫌悪感で眉を潜める。無意識に殴ろうとした手が実行に移る直前、笑いを貼りつけたまま男は静雄の手を解放する。

「ホントだ。舐めたら治っちゃった」

「はぁ?何言っ…て……」

男の言った通り、静雄が森で負った怪我はもうどこにも見えなくなっていた。
元々傷の治りは早い方だが、さすがにこんなに早く治るという事は今までにない。



「―――アンタ、何者だ?」

静雄の声に、男は唇に付いた血を舐め取りながら微笑んだ。

「俺?そうだなぁ――獲物がかかるのをずっと待ってた蜘蛛…かな?」

「なに…いって、…っ?」

視界が揺れ、立っている事すらも出来なくなる。思わず床に手を付けば、男はわざわざ屈みこむ事で視線を合わせながら、唇を開いた。

「クスリ、効いてきた?君ってすごく頑丈だから、ちょっと多めに使っちゃった」

「…な、んで……」


その呟きの真意は、

崩される事の無い笑顔について知りたかったのでも、覚えの無い仕打ちについて問い詰めたかったわけでもない。

ただ――


「君が――君が、いけないんだ。俺を置いて勝手に死ぬから」

「…………………」

「だからね。俺は君を呼ぶんだ。君が死んだら、また別の時代の君を」


ただ――
この笑顔ばかりの男が、泣きそうな理由が、知りたかった。


「約束しただろう?俺を一人にしないって…約束したのは、君、なのに…っ!」

力が入らず、震える手で。
それでもしっかりと静雄は男の身体を抱きしめる。

「っ…!」

「なくな、ばか」

何も知らない。理解が追いつかない。
けれど一つだけ分かった事がある。

今は、こうするのが正解なのだと。





「……何にも、知らないくせに」

「ああ」

「俺が何かも、残された俺がどんな気持ちだったかも知らないくせに」

「…ああ」

「―――なんで、アイツと同じ事するんだよ…!」




オリハライザヤと名乗った男は、随分と不思議な生き物だった。

聞いてもいないのに、人間を心から愛している事。情報収集が趣味で、大抵の事は知っているという事。男が淹れる紅茶は、文句のつけようがないくらい美味しい事。それから、男の泣き顔は、造りモノの笑顔より、ずっとずっと綺麗な事。

後から思えば、静雄がこの男について知れたのは、それくらいしかなかった。


何も知らない。
理解が追いつかない。

けれど分かった事もある。



"自分はきっと、また恋をするのだ"と。





end




ツイッターのRTネタでした。
完全に私得な話ですが、書いていてとても楽しかったです^^




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