はじまり
よく通る綺麗な声の持ち主は、姿形まで声と同じだった。
「折原臨也です。宜しく」
簡素な自己紹介であったが、クラスの半分の視線を釘付けにし、もう半分からは妬みにも似た視線を受ける事になった。しかし彼は、それらを全く気にせずニコリと一つ微笑む。
完璧過ぎて、嘘臭いと思う程、人を観察する能力に長けた者は――まだ居ない。
「キャ…ッ」
「大丈夫?ああ、こっちにも落ちてるね」
「あ、ありがとう…」
「どう致しまして」
用意された席まで歩く途中、彼の接近に動揺した女子がペンケースをひっくり返し、それをさりげなく拾って渡す様子まで見せつければ、その視線は感情までも支配する事になる。
完璧だった。
転校初日のスタートとして、彼は最高の滑り出しを見せたのだ。
しかし、彼自身にとってそれはどうでもいい事らしい。席について早々、隣の席のクラスメイトへと声を掛ける。
「ねぇ、俺の前の席の人は?休み?」
「え…あ、うん。きっと遅刻してくると思うよ。平和島くん、よく絡まれてるから…」
声を掛けられた女子生徒は、しとやかに顔を赤らめながら、この接近のチャンスを逃すまいと教科書のシェアを申し出た。臨也はにっこりと、先程と同じ笑みを浮かべながら有難う、と囁いた。
(ああ、なんてつまらないんだろう。誰も彼も、思い通りになり過ぎて面白くない)
「…あの、折原くん…見にくくない?」
(うん、醜いよ。なーんて、言うのはもう少し先にしよう。きっと楽しい)
小声で話しかけてきた女子を煩わしく思いながら、臨也はそれを悟らせぬよう同じく小声で返す。
「それよりさ、そのヘイワジマくん、ってどんな人?」
(さぁ、俺の興味に見合う人間が、この学校には居るだろうか?)
出会い編
(…寝てる)
折原臨也が、前の席の"ヘイワジマシズオ"と出会ったのは、転校してから二日程経過した木曜日の事。
登校した臨也が見たのは、ずっと無人だった目の前の空間に痛んだ金髪が死んだように眠っている姿だった。
(朝から寝て、授業中も寝て…どんだけ成長する気なんだよ)
顔は見えないが、その体格が細身ながらも随分縦に長い事が良く分かる。弱々しい細さではないが、シャツの向こうに見える腰など大分、細い。
本来は臨也自身により当てはまる形容詞を心中で呟きながら、臨也はつん、とシャープペンでその背中を突いた。
「お、折原君…!」
隣の女子が泣きそうな声で、囁くが臨也の興味はすでにその女子に欠片も注がれてはいなかった。
今は、この眠り姫ならず眠り王子――いや、もしかしたらものすごく男臭い顔をしているかもしれないから王子はやめよう、と臨也は心中で首を振った――ともかく、この男がどんな反応を示すのか、それだけが気になった。
「………ん?」
かなり強めにシャープペンを押しつければ(ちなみにもう、芯の方へと変えていたのでシャツには黒い跡がついている)、目前の男がうめき声を上げた。
「…んだ?」
「先生が睨みつけてるよ?問題、解けって」
「あ?…あー、そか」
(ふーん。意外と低くて落ち着いた声だなぁ)
ガタン、と律義に立ちあがった男は、教卓の前で動きを止めた教師を見つめているようだ。
臨也の位置からは、段々と蒼白になっていく教師の顔しか見れないが、それはそれで面白い。
「―――どれ解けばいいンすか」
「えっ?あ、あ…じゃあ、その…問4を平和島くん」
本来は指名などしていなかったが、平和島静雄がそう思っているのなら、寝ぼけていたとしてもつじつまを合わせた方がいい。この時間の教師は、賢くもそう判断したようだ。
「・・・・・・・・」
「答えは、-1と7だよ。ヘイワジマくん」
臨也が小声で呟けば、男は素直に同じ言葉を口から吐き出す。今が、現代国語の時間だと言う事を全く持って気にしないまま。
「〜〜〜〜っ!!!」
思わず噴き出した臨也の気配を感じ、ようやく騙された事を悟ったのだろう。ぐるりと前の席のヘイワジマが振りかえる。
「………あ」
「手前、何のマネだ。ああ?」
もの凄い形相で睨みつける男を見ながら臨也が思ったのは――
(うん。これは王子だ。ちょっと…いや、かなりガラ悪いけど)
実に的外れで、実にどうでもいい事であった。
接近編
「シズちゃんさぁ、友達居ないの?」
「誰だ」
臨也が彼に接近を試みたのは、机が黒板に刺さるという出来事から丁度二時間経過した昼休みの事であった。
「いやだなぁ。もう忘れたの?君の後ろの席の、折原臨也。宜しくね?」
「違ぇよ。そのふざけた名前は、誰の名前だって聞いてんだ」
「え、君だけど」
ぶちっ
何かが切れる音がして、まさか血管?と青筋が綺麗に浮かび上がった目前の顔を思わず見上げ、それから掴んでいるフェンスが見るも無残な姿になっている事を目視する。
「あーあ。学校は大切にしなきゃダメだよ?」
「だっれの、所為だぁ!!」
「あはは、うーん。俺?」
「手前以外に居るかっ!!」
怒りだけに支配された顔を見るのが、臨也は嫌いではない。
感情に振り回される人間を見るのも、その後後悔に打ちひしがれる姿があると思えば中々悪いモノではなかった。
折原臨也という人間は、わずか16歳にして歪み切った人間だ。
それは本人も自覚している事であったし、何より直そうと思った事が一度もない。歪んだ己すら、面白いと臨也は考えている。
だからこそ、この真っ直ぐな人間に興味が沸いた。
思いのままに動くようで、決して自分を失わない――怒りに振り回されるのすら、自分で決めている男の事がどうにも気になったのだ。
「あのね、シズちゃん。俺、君の友達になってあげるよ」
「手前みてぇな胡散臭ぇ友達いらねぇよ」
「うん、まぁ。俺が友達になるって決めたから君の意見は関係ないんだけどね」
引きちぎられたフェンスが頬を掠めるのを、完璧な笑顔で見つめる。
「だからね、お願い」
「ああ?」
「お昼、一緒に食べよう?」
あまりに欲の無い願いに、怒りに染まっていた瞳が一瞬我を取り戻す。
ああ、今だ。と、臨也は重ねて口を開いた。
「俺、転校してきたばかりで友達がいないんだ。シズちゃん、友達になってよ…」
「…胡散臭ぇのがいけないんじゃねぇか?」
「だって、これが俺だもの。ねぇ、シズちゃん。ダメ?」
「………………その、変な名前で呼ばなかったら、考えてもいい」
「ホント?有難う、シズちゃん!」
「……………………」
(コイツ、本気で気に食わねぇ)
(あはは、怒ってる怒ってる。面白いなぁ)
end?
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