津軽とサイケ


1.



「ねぇ、どこにいるの?」

この声を、聞き慣れてしまったのは一体いつの事だろう。
少なくても"最近"ではないだろうと考えながら、金の髪で和装に身を包んだどこかアンバランスで、それでいて堂に入った雰囲気を醸し出している青年――津軽は、静かに溜息を零した。

せっかく、川の音を聞いていたのに。
この来訪者は、そんな風情など聞き入れてくれはしないのだ。

「あっ!みつけた!つーがる!ねぇ、遊びに来たよ!!」

「…どうした?」

「"どうした?"じゃないよ。あのね、つがるに逢いたくなったの。だから来たの!」

器用に声マネをしながら(ついでにぴょんぴょんと跳ねながら)ねぇ、えらい?と、良く分からないアピールをする来訪者。
幼さを残す話し方とは反比例して、彼もまた津軽と同じ歳の頃の青年であった。名を――

「サイケ」

「うんっ!なに?つがる」

キラキラと見つめられ、津軽は何となく――これは自分でも自覚している悪い所の一つだと思いながら――目前の、艶やかな黒髪をゆるりと撫で「偉いな」などと言ってしまう。それに返ってくる反応を知っていて、それが見たいというだけの理由で津軽はこうして己の元を訪れてくる客人――サイケを、度々甘やかす。

「えへへー。俺ね、つがる大好きだよ!」

ピンクのコードが伸びるヘッドフォンに両手を添えながら、サイケはにこりと微笑んだ。
可愛らしい言葉と仕草が相成り、津軽は自然の中に身を置く至福のひと時が邪魔された苛立ちを今度こそ維持出来なくなってしまう――元より、人里離れた古民家に一人住んでいる津軽には一人を堪能する時間は際限なくあるのだ。わざわざ、こんな辺鄙な場所まで度々足を運ぶサイケの行動を疑問に思えど、慕ってくれる彼を邪険にする理由など本当は持ち合わせていないわけだが。

「…お前、もの好きだよな」

袖を通さない羽織が、静かに風になびく。
この穏やかな時間に、目の前の賑やかな存在が足された"今"もまた心地いい。

「そうかなぁ。あっ、でもね。つがるは、あんまりみんなに笑っちゃダメだよ」

「?」

「そんな顔みたら、みんなつがるが好きになっちゃうもん」

「……バカか」

「! サイケ、バカじゃないもん!!」

子供っぽく唇を尖らせる仕草が、津軽にはどうしても可愛らしく映ってしまう。
それでも、津軽は知っていた。目前の青年の唄う歌が、多くの人間を魅了し、離さない事を。お伽話を彷彿とさせるメロディに現実風刺の歌詞を織り交ぜた歌は、一度聞くと頭から離れない。確かに、そんな歌が唄える人物が愚かだとは思えなかった。

「そうだな。サイケは、バカじゃない」

悪かった。と続ければ、サイケはやや釣り気味の瞳を大きく大きく見開いて。

「…うんっ」

砂糖菓子よりも甘く、微笑んだ。









2.



ぱたぱた、ぱたぱた

足音だけで誰が近づいてくるのか分かってしまい、津軽はそっと煙管を咥える口元を歪めてみせた。
元来、この人里離れた家に訪れてくる者はそう居ない。ましてや、自分から楽しげに会いにきてくれる物好きなど――片手で数えきれてしまう。


「へへっ、だーれだっ!」

自分よりも幾分か冷たい手に両の瞼を覆われ、苦笑しながらその手に触れた。
ゆっくりと指の形を確かめるように指先で撫でると、訪問者はくすぐったそうに手をずらす。しかし津軽は自分から離れた指を手放す事はせず、逆に引き寄せ、己の口元へと導いた。

撫でるように指に舌を這わせれば、ビクリと真後ろの身体が跳ねるのがよく分かる。
それでも、気付かないふりをして指の付け根を嬲るように、ゆっくりと舐めていく。

「ふふっ!つがる、ね、つがるってば!あはっ…くすぐったいよ!」

無邪気な声を聞きながら、指先を甘く噛めば「んん…」とくぐもった声が聞こえてくる。

「―――つがるぅ…」

「なんだ?」

ようやく、訪問者の方に振り向いた津軽の目に映ったのは…

ほのかに顔を上気させ、困ったように彼の着物をギュッと掴む整った顔立ちの少年だった。
本来ならば、青年と呼んでも差し支えないのかもしれない。歳の頃は津軽と同じ。けれど、幼い口調や態度はその青年を本来よりもずっと年若い印象にさせている。

「あのね…おれ…」

「どうした、サイケ?」

唇を形の良い指から離せば、青年――サイケは、気が抜けたような…それでいて物欲しそうな吐息を零す。

「…ううん、なんでも…ないの」

(…嘘つきだな)

幼い普段の印象からは、想像もつかない色香を漂わせるサイケを見ながら、津軽は心中でだけそう呟いた。

一体、いつになったら正直になるのだろうかと。そんな事を考えながら。

「――遊びに来たんだろう。何して遊ぶ?」

「…!うん、えっと…えっとね…!その…」

「?」

「………つ、つがるが、さっきやってくれたの…おれも、したい」

その瞳に、確かな情欲が宿っているのを見付けた津軽は――

愉悦の感情に心を浸しながら、低く甘い声で囁いた。

「サイケの好きに、すればいい」

「…うんっ!」

煙管を持たない方の、綺麗で――それでいて男らしく筋張った手。差し出されたその手を、嬉しそうなサイケが両手で包む。
おずおずと赤い舌を伸ばし、拙く指を咥えるのを見ながら――

煙管を吸う事で隠した口元を、津軽は妖艶に歪ませた。







3.



「んっ…ん、ぁっ…」

くちゅり、と音を立てながらサイケの唇が津軽の指を舐め上げていく。
その卑猥な光景を見下ろしながら、津軽はただサイケの髪を梳いていた。

言葉など存在しなかった。
荒い吐息と、艶を帯びた唾液の音だけが二人を包む。

サイケは津軽が髪を梳き、時折筋張った手が悪戯に耳を掠めるのに身を震わせる。

「…んっ、つがるぅ…」

「どうした?」

涙目のサイケと対するように、津軽はいつもと何も変わらない。
唾液でベタベタになった津軽の右手に頬ずりしながら、サイケはじっと津軽を見つめた。

欲に染まった瞳は、常の無邪気なサイケとは想像もつかない色をしている。
それを知るのは津軽だけであると、津軽も、そしてサイケも知っていた。

「おれ、つがる、ほしい…」

着物の裾を掴みながら、おずおずと。それでいて目だけは決して逸らす事をしないサイケ。
ようやく素直になったその様子を見て、津軽は笑った。サイケと同じ、欲に染まった瞳を細める。

「ようやく、素直になったな」

「…おれ、いつも…すなおだもん」

「へぇ」

意地悪く笑う津軽。
サイケしか知らない素の津軽。

「つがるなんて…きらい。好きだけど」

「どっちだよ」

笑いながら、どちらともなく顔を近付ければ――
二人だけが知る、歌がはじまる。









end




back







あきゅろす。
無料HPエムペ!