ノミ蟲が大量の酒と共に俺の部屋を訪れたのは、日付が変わって少しばかり経った頃だった。
丁度風呂上がりだった俺には、勝手に部屋に上がり込んでいた男にキレるより先に、そいつが差し出してくるビールがやけに魅力的に見えた。まぁ、それだけの話だ。
それから、数時間。
時計の針は、夜明け少し前を指している。
別段興味があるわけじゃなかったが、やる事も無かったので部屋中に転がった缶を数えてみる事にした。いち、に、さん…あー、数があり過ぎて数えるのめんどくせぇな。
「しっずちゃ〜ん」
馬鹿がひっついてくるのを、ひたすら無視して五から先を数え続ける。
ろく、しち、えー、なんだっけか。
「いざやぁ、七の次は何だ?」
「えー。しずちゃんバッカだなぁ。七の次は、沢山だよ!」
「あー、てめぇバカだったか」
「シズちゃんにだけは馬鹿とか言われたくないんだけど。ふふっ…あははは!!」
人の肩に頭を乗っけたバカが、ふざけた名前で人の事を呼びながら笑い出す。
「耳元で笑うな。うぜぇ」
「あはっ、しずちゃん。だってさぁ、七の次が分からないんだって。ホント、バカ!っは、も、お腹痛い…っく、はははは!!」
アルコールでハイになった臨也が、やかましく笑い続ける。
ああ、もうホントうぜぇ。
「うるせぇ」
「んっ……」
臨也の口を塞ぐ。声の一つも洩らさないよう隙間なく。ああ、勿論、手のひらだ。コイツにキスなんて、死んでもしたくないし、コイツだってされたくないだろう。
「…っ、ん……、
口だけでなく鼻も覆ってやったので、段々臨也の顔がしかめっ面に変わってくる。
それでも、瞳だけは笑っているので大丈夫だろうと離す気にはならなかった。
「んっ、んん…!!」
離れていこうとした身体を、腕の力だけで留める。
赤くなった頬が、泣きそうな色を帯びた瞳が――綺麗、だった。
「んん…んっ……」
コイツに綺麗、なんて言葉を当てはめる日が来るとは思わなかった。
くたりと凭れかかってきた身体から手を離せば、耳触りな咳込む音が聞こえてくる。
「はっ、ぁ…くそっ、なんだよシズちゃん。殺す気?」
すっかりいつもの様子に戻ったコイツには、とてもじゃないがさっきの言葉は当てはまらない。
「別に。手前が死んだら、好きになれるかと思っただけだ」
臨也は一瞬眉を潜め「じゃあ、俺死ねないね。君に好かれるなんて最悪だもの」と吐き捨てた。
特に興味はなかったので何も返事はしなかったが、あの綺麗な顔をもう一度くらいは見てみたい、と頭の奥で呟く声が確かに聞こえた。
***
「シズちゃんとは、二度と飲まない」
目を覚ました臨也が、偉そうに宣言してくる。
だが、テレビの占いを見ていた俺は、歯磨き粉が零れないように気を配る方が大切だったわけで。
口を閉ざしたまま、へぇ、と適当に返事をすれば臨也は延々と酔った席でのあれこれを愚痴り始めた。知るかよ、勝手に酒持参で人の部屋に入ってきたのはどこのどいつだ。
「いきなり首絞めるとか、ほんっとありえないし。あれ、本気で俺を殺そうとしてなかった?」
へぇ、俺首絞めたのか。
お前が言うように本気だったら、よく繋がってるよな。その首。
口をゆすいだ後、ぽつりと呟けば、臨也の口元が一瞬引き攣った。考えてなかったのかこの馬鹿。
「でも、あれはないでしょ?楽しくお酒飲んでるのにさぁ」
「知るか。手前がムカつく事でも言ったんだろ」
記憶が飛んでいる俺は、それらしい理由を挙げるのも面倒で適当に会話を切り上げた。
見れば、確かに臨也の白い肌にはくっきりと俺の手の跡が残っている。
「んー、何話してたかは忘れたけど。でもシズちゃんは相変わらずバカだなって思ったのは覚えてる」
「よし、ちょっとツラ貸せ。電柱と同化させてやるからよぉ」
首根っこを掴んで持ち上げれば、ビクリと臨也の背が動いた。
なんだか居た堪れない気持ちになったが、同時にナイフが着ていたシャツと薄皮を切り裂いた事に気付いて頭の中から怒り以外の感情が綺麗に出て行ったのがよく分かった。
午前零時の訪問者
(シズちゃーん!また来ちゃった)
(…もう飲まねぇとか言って無かったか?)
(いいじゃん。俺のオゴリなんだから)
(…………)
(今度は首、締めないでよね)
(あー、多分な)
(多分?)
(…きっと)
(わぁ、シズちゃんサイアクー)
(テメェと違って嘘付かないだけマシだろ)
(俺の嘘は皆を幸せにするからいいんだよ。はい、重いから持って)
(ん…。つかテメェ今幸せとか言ったか?不幸のどん底の間違いだろうが!ああ?)
(はい、ほらシズちゃん。かんぱーい!)
沢山の嘘と、嘘と。
それから、一握りの真実が混ざった時間。
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