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人生には、予想外が付きものだ。
想定通りに物事が進み続ける事は、まずありえない。

考えるのを止めて、静雄は一つ息を吐いた。
仕事を終えた疲労もあるが、これからしなくてはいけない事の面倒さを思えば、それは深い溜息となる。

すぅ、と一つ大きく息を吸う。
そして、開けたままだった玄関のドアを静かに閉めた。
ドアを開けたまま怒鳴るのは、あまりに非常識だと残っていた冷静な部分が告げたのだが――思えばそれは、静雄に残された最後の理性でしかなかった。

「臨也ぁぁぁ!!なんでテメェが俺の家にいやがるんだ!!!」

張り上げた声の大きさは、いかにドアを閉めようが
静雄が住むアパート全室に響き渡ったのは言うまでもない。










臨也の捕獲は、思いの外簡単であった。

勝手に部屋に入り込み、
勝手に炬燵のスイッチを入れ、
勝手に蜜柑を食べながらうたた寝していたのだから、当たり前とも言えるのだが。

静雄の怒声に跳ね起きた臨也が立ちあがり、「じゃあ、どーも」なんて平然と去っていこうとした後ろ姿(正確には、フード)を掴み捕獲は完了。
じりじりと進もうとする臨也と、掴んだ手を決して緩めない静雄。しばしの拮抗状態の後、溜息を付いたのは当然の如く臨也だった。


「…ねぇシズちゃん。フード持つのやめない?」

「却下だ。逃げるだろテメェ」

「別にそんな気はないけど…。伸びるんだよねぇ」

「いくらでも伸びてろ」

現に逃げようとしているクセに何を言うんだ。
そんな感情を込めるように吐き捨てた言葉に、臨也の肩がぴくりと震えた。

「大体さ、なんでそんなに怒るわけ?俺が君の家に忍び込むなんて、今日始まった事じゃないじゃん」

「臨也くんよぉ…。開き直ってる場合じゃないって分かってんのか?ああ?」

声に凄みを利かせるが、臨也相手にそれが通用するとは思っていない。
これにはもっと、別の意味があるのだから。

「――――じゃん」

「あ?」

顔を背けられ、ぽつりと告げられた言葉が聞き取れず、静雄は怪訝に眉を潜めた。
よく見れば、掴んだコートがふるふると震えている。コートを着ている臨也が震えているのだと、気が付かないわけがない。

「いいじゃん!俺達、付き合ってるんだから!!」

臨也の顔は真っ赤だった。
釣られて、静雄の顔にも朱が走る。

「だからって、不法侵入していい理由にはなんねーだろぉが!!」

思い切り叫ぶが、これは半分は八つ当たりだ。
嬉しいと思う自分が悔しくて、照れ隠しという名の、凄みを利かせる。

「……もういい、帰る」

だから、臨也が拗ねたようにこう言えば
静雄はガリガリと頭を掻きながらこう言うのだ。

「駄目だ」

「……………」

静雄の心を占めるのは、またやってしまったという後悔だ。
どうして自分は、素直に喜べないのだろうか。ドアを開けて、無防備に眠る臨也を見付けた時、一番に感じたのは微笑ましさだったと言うのに。それを一番に出すのは、どうにも照れくさくて。

ああ、自分の感情は、なんて面倒なのだろう。
溜息を付きたくなったが、ぐっと我慢する。

いま、本当に溜息を付きたいのは自分ではないと、それくらいは理解していた。

「まだ…居ろよ」

「なにそれ、勝手過ぎ」

言葉は辛辣であったが、声は驚く程柔らかかった。
振りかえった顔が、仕方ないな、と言わんばかりに微笑んでいて。

堪らなくなった静雄は、そのまま臨也を抱き寄せた。



「……おかえり、シズちゃん」

「――ああ」

言葉は、苦手だ。
抱きしめる腕から、気持ちが伝わればいい。

腕に力を込めると「痛いって」と笑う声がした。
声すらも愛しくて、静雄はそっとその額にキスをする。

「ただいま、臨也」

「………シズちゃん、その顔…それ、ズルイ」

ぼふりと顔を押し付けてきた臨也は、耳まで赤い。
思わずそこにもキスをすれば、上擦った声と、それから慌てて逃げようとする身体。

「逃がさねーって、言っただろ?」


素直じゃない自分達は、挨拶だって遠回りだ。
それでも、手に入るのがこの温もりならば――それは、悪くないのかも知れない。

互いの体温を分け合いながら、二人は、同じ事を考えていた。







end


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あきゅろす。
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